54. 刃の賢者ラーズスヴィズ
帝都の昼下がり。
ソフィア・クラフトは、フクロウ亭の店先で箒を手に落ち葉を掃いていた。
冷たい冬の風が、ふわりと彼女の髪を揺らす。
そこへ、一台の車椅子が通りかかった。
乗っているのは、愁いを帯びた美しい女性だ。
「どけっ」
すれ違いざま、柄の悪い男が乱暴に車椅子にぶつかっていく。
女性は声も出せず、車椅子ごと冷たい石畳の上へと倒れ込んでしまった。
周囲の通行人が足を止める。
ソフィアは箒を置き、まっすぐに倒れた女性の元へと駆け寄った。
しかし、彼女は女性に手を貸して助け起こすことはしなかった。
「車輪が取れてしまってるわ……」
なぜか、壊れて外れかかった車椅子の車輪を、手際よく直し始めたのである。
倒れたままの美しい女性が、不思議そうに首を傾げて問いかけた。
「なぜ、足の悪い私よりも、車椅子の修理を優先させるのですか?」
非難の視線を浴びながらも、ソフィアは手を休めず淡々と答えた。
「だって、あなたは傀儡ですから」
その言葉が発せられた直後だった。
「ふんっ。なるほど、少しはできるようだね」
空から降ってきたのは、和装に簡素なローブを羽織った小柄な老人だった。
老人は、ソフィアが直したばかりの車椅子にふわりと着地し、深く腰を下ろした。
同時に、倒れていた美しい女性は立ち上がると、老婆の後ろに控えた。
「ワシの極細の鋼糸を見破るとはな。目視できるものではないのだが」
「その糸は、魔力でできてます。いくら極細であろうと、魔力であれば、私の目はとらえることができます」
倒れた女性は、人間そっくりの外見をしている。
しかしその関節からは、よくよく見ると極細の魔力糸が伸びていた。
何十何百もの糸は、その老婆の五指から伸びている。
魔力に対する鋭敏な感受性があるソフィアだからこそ、目視できるレベルの細さだ。
「……虚無の魔眼。なかなかできると見える」
老人は、猛禽類のような鋭い眼光でソフィアを見据えた。
肌がヒリつくような、すさまじい剣気と覇気が周囲を制圧した。
(ただの魔法使いじゃない。ガンダールヴル様や、ファフニール様と、同格。いったい、そんなすごい人が、なんで私の前に……)
そんな戸惑うソフィアの心に応えるように、老婆が言った。
「ワシは八賢者が一人。刃の賢者ラーズスヴィズじゃ」
(刃の賢者っ。やっぱり……ガンダールヴル様たちと同じ。用もなくふらっとくる人ではない。なにか、私にさせたいの……?)
ソフィアは小さく身構えた。
ラーズスヴィズと名乗った老人は、車椅子の肘掛けを指で叩いた。
「貴様の噂を聞いてな。光のガンダールヴルと牙のファフニールの推薦もあり、貴様に一つの大きな仕事を任せようと思っておる」
(やっぱり、仕事の依頼だったのね。……ありがとうございます、ガンダールヴル様、ファフニール様)
彼らのおかげで、新しい杖仕事が舞い込んできたのだ。
ソフィアは、二人の賢者に深く感謝の念を捧げた。
しかし、ラーズスヴィズは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「だが、ワシはお前の力をまだ知らん」
「私の力、ですか」
「ああ。お前の仕事を魅せてみよ。ワシを満足させる一本を用意すればよい。それで判断する」
絶対的な強者の威圧感が場を支配する。
(この人はすごい魔法使いだわ。でも、杖を求めている。ならば、杖職人は私の仕事をするまで)
その威圧感にも、ソフィアは臆することなくコクリと頷いた。
「わかりました」
普通の職人であれば、ここで最高の素材を使い、ゼロから強力な魔法杖を作り上げようとするだろう。
(さて、お手並み拝見といこうかね)
ラーズスヴィズは目を細め、ソフィアの動向を見やった。
新しい杖をどこからか調達するか。高級素材を取ってくるか。
しかし、ソフィアの視線は別のものに向いていた。
「では、こちらをお借りしますね」
「は?」
ソフィアが指差したのは、ラーズスヴィズの車椅子に立てかけられていた、一本の古びた歩行杖だった。
あちこちが傷つき、塗装も剥げている。
ラーズスヴィズはぽかんと口を開けた。
「な、何を言っておる。それは魔法も使えん、ただの、歩行用の木杖じゃぞ」
そう、魔法の触媒ですらない、歩くための杖である。
「ですがこれは、あなたの大切な杖です。これを直します」
「っ」
ソフィアの言葉に、ラーズスヴィズの眉がピクリと動いた。
「……大切な杖だと、なぜわかった」
「この杖には、貴女の強い思いが魔力として残っていますから」
魔力ゼロの眼を持つソフィアには、はっきりと見えていた。
杖に絡みつく、ラーズスヴィズの深い愛情。
そして、杖の奥底に静かに眠る、【もう一人】の人物の温かく不器用な魔力にも。
ラーズスヴィズはしばらくソフィアを睨みつけていたが、やがてフンと鼻を鳴らした。
「……よかろう。許可する」
◇
杖を預けてから一週間の間。
ラーズスヴィズは一人、窓の外を眺めながら亡き夫のことを思い出していた。
夫は、ひどく不器用な刀鍛冶だった。
かつて彼女は、夫にこう約束を求めたことがある。
『あんたの最高傑作を、いつかワシにくれ』
しかし夫は、困ったように頭を掻くだけだった。
『お前を守れるほどの業物は、まだまだ打てんよ』
照れ笑いばかりで、結局、最高傑作を渡してくれないまま、夫は病でこの世を去ってしまった。
遺されたのは、足を悪くした妻のために彼が木を削って作ってくれた、ただの歩行杖だけである。
ラーズスヴィズは、約束を果たしてくれなかった夫への少しの寂しさと、彼への深い愛情を胸に抱き続けていた。
そして、約束の一週間後。
ラーズスヴィズは再びフクロウ亭を訪れた。
芳醇な紅茶の香りが漂う店内で、ソフィアが静かに、布に包まれた杖を差し出した。
「では、見せてもらおうか。お前の仕事を」
布を開けたラーズスヴィズは、息を呑んだ。
そこには、見事なまでに新品同様に修復された歩行杖があった。
亡き夫にもらった時と全く同じ、いや、それ以上の美しい輝きを取り戻している。
彼女は震える手で杖に触れ、深く感心した。
「見事に修復されてるね。だが、これだけか?」
厳しい声で問うラーズスヴィズ。
ソフィアは何も言わず、杖の持ち手をしっかりと握り、カチリとひねって引き抜いた。
澄んだ金属音が響き渡る。
杖の中から現れたのは、鏡のように極限まで研ぎ澄まされた、鋼の刀だった。
「なっ。し、仕込み杖……」
ラーズスヴィズは驚愕に目を見開いた。
長年愛用していた彼女自身も、全く気づいていなかったのだ。
「そ、そんな……あの人の杖に、まさか、こんな仕掛けが施されてただなんて……」
「無理もありません。この杖剣は、貴女様が本当に窮地の時に、引き抜けるよう、封印の術式が施されておりましたので」
危機に陥らないと、抜けない刀だったらしい。
無敗の魔法剣士である彼女には、窮地らしい窮地は訪れず、ゆえに、抜けなかったのだ。
ソフィアはその封印が解けていることに気づき、解きほぐしてきたのである。
ソフィアが丁寧にサビを落とし、研ぎ上げた刀身には、はっきりと文字が刻まれていた。
『我望愛人守刃』
愛する人を守る刃であれ。
不器用だった夫は、死ぬ前にすでに最高傑作を打ち上げ、それを妻の杖に密かに仕込んでいたのである。
最強の魔法剣士である妻の鋼糸が絡まないよう、ミクロ単位で滑らかに研磨された、究極の操り刀。
ソフィアの瞳は、その見事な刀の仕上がりにキラキラと輝いていた。
約束は、とうの昔に果たされていたのだ。
「……言ってくれればいいのに。ばかもんが」
ラーズスヴィズの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「ワシに刀を、残したと。そう一言でも、言えばいいものを。ほんと、お前はほんとに、不器用なのだから」
だが、その不器用さこそ、亡き夫の名残りそのものだった。
もう、夫は死んだ。この世にはいない。その顔も、声も、記憶の中にしかいない。
しかし。
その不器用な愛。妻に残した愛情が、時を超えて、ラーズスヴィズのもとに届いた。
長い歳月を経てもなお色褪せない、夫からの温かな気持ちが、彼女の胸に流れ込んできた。
(あなた……久しぶりね。ほんと、久しぶり。会いたかったわ、もう一度……)
時を超えて、杖を介して、ラーズスヴィズは夫に出会えたのだった。
◇
やがて、ラーズスヴィズは顔を上げ、仕込み杖をしっかりと握りしめた。
彼女はソフィアを鋭く見据え、問うた。
「ワシは、仕事を魅せろと言った。なのに、なぜここまでする」
ソフィアは真っ直ぐにラーズスヴィズの目を見つめ返し、答えた。
「杖を作るということは、ゼロから新しい物を生み出すことだけではありません。その人にピッタリの、一番必要な杖を提供すること。それが私の仕事だからです」
迷いのない、清らかな声だった。
その答えと、完璧な仕上がりの仕込み刀を見て、ラーズスヴィズは内心で深く感嘆した。
虚無の魔眼も、魔力絶縁体質も、尋常ならざる手先の器用さも、たしかに凄まじい。
しかし、真に彼女が優れているのは、杖職人であろうとする心、その矜持だ。
技術をひけらかすことも、己の金銭欲を満たすこともなく、ただ客の、杖の使い手の幸せのみを追求する。
(ヴィル・クラフトの孫。まさしく、黄金の手の系譜か)
ラーズスヴィズは満足げに口角を上げた。
「……認めよう。ソフィア・クラフト。今年の魔導士選抜試験、公式杖職人は、おまえに任せる」
「はいっ。……はい? え、ええーっ。公式杖職人っ」
まさかそこまでの大役とは知らずに、ソフィアは目を白黒させ、驚愕の声を上げた。
ラーズスヴィズは呆れたように、苦笑した。
(こやつ、ほんと……杖バカだな。そこがいい。そこを、気に入ったのだからな)
こうして、八賢者の厳しいテストを見事クリアし、ソフィアは次なる大舞台への切符を手にしたのだった。
次回、ソフィアの杖がとんでもないことをしでかす(n回目)。
昨日の複線は、明後日くらいに回収されます。がんばれ坊ちゃん
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