52.バレンタインの甘い魔法
二月中旬。
建国祭の熱狂も落ち着いた帝都の街並みには、どこかふんわりとした空気が漂っていた。
凍てつくような冬の風の中にあっても、すれ違う人々の顔は明るい。
そんな街の中を歩く女性が一人。
彼女はソフィア・クラフト。世界最高の職人ヴィル・クラフトから『八宝斎』の称号を継ぎ、正式に八代目に就任した若き天才・魔法杖職人だ。
フクロウ亭の買い出しに出たソフィアは、道行く人々を眺めて不思議そうに首を傾げた。
「なんだか、街全体がふわふわしています。幸せな魔力で溢れている気がします」
ソフィアの持つ『魔力ゼロの眼』には、帝都が淡いピンク色の魔力に包まれているように見えていた。
甘い香りが漂ってきそうなほどの、温かな波動。
隣を歩く女性は、彼女の店で働く従業員のヨランダだ。彼女は買い物かごを提げたまま微笑む。
「バレンタインデーが近いですからね」
「え。バレンタインデー、ですか」
ソフィアは目を丸くした。
ここは剣と魔法の異世界である。そんな地球の行事が存在することに驚きを隠せない。
「ええ。初代皇帝ノア・カーター様が考案された、愛を伝えるイベントですわ。想い人に甘いお菓子を贈るのが習わしでしてよ」
「なるほど」
ソフィアは一人で深く納得した。
この世界にはサンドイッチという食べ物があり、四面楚歌という言葉も存在する。
それらが初代皇帝の考案だとすれば、辻褄が合う。自分と同じ転生者が、過去にこの国を作ったのだろう。
こちらの世界でも、女性から特別な男性に贈り物をする重大イベントが存在するのだ。
(なら、やることは一つですね)
ソフィアは両手で拳を握り、ふんす、と鼻息を荒くした。
「ギルさんに、なにかあげたいな」
「およよよ……」
「よ、ヨランダさん? どうしたんですか」
唐突に、ヨランダが泣き出したのである。しかし不思議なことに、彼女から発せられる魔力は悲しい色をしていなかった。
ソフィアは、誰もが持つ魔力を持っていない。それゆえに、魔力への特別な感受性を持っていた。
魔力から、その人の心が分かるのである。
そんなソフィアの目に、ヨランダの心は喜んでいるように見えた。
「ソフィアちゃんが……あの恋愛偏差値赤ちゃんのソフィアちゃんが、ちゃんと恋愛イベントに絡んでいる……およよ、ヨランダは嬉しいですわ」
だいぶな言い方であるが、否定はできなかった。ソフィアはあまりに恋愛に対して興味がなく、こういったイベントは今まで全てスルーしてきたのだ。
「うちのバカ坊ちゃんと、末永く爆発しろですわ」
ちなみにヨランダは、ギルバートの実家であるフォン・ヴォルグ家の使用人である。
こんなこと主人の前で言ったら懲戒解雇だろう。が、ギルバートはその辺りを容認していた。あまり貴族らしい振る舞いをしない彼。そこもまた、ソフィアの好きなところである。
◇
ギルバートにチョコを作るのだと使命感に燃えながら、ソフィアは足取りも軽く家路を急いだ。
買い出しを終えてフクロウ亭に戻ると、カウンターには灰のように白く燃え尽きたリサが突っ伏していた。
「どうしたのですか、リサちゃん。ひどい顔ですわよ」
「そこの軍人さんの、惚気話が長すぎて」
リサはげっそりとした顔で、店の奥を指差した。
そこには、紅茶を飲みながら穏やかに微笑む青年の姿があった。
ソフィアの帰りを待つ間、ずっと彼女の魅力を語り続けていたらしい。
銀髪の美丈夫。彼はギルバート・フォン・ヴォルグ。ヴォルグ家の次男であり、帝国軍魔法局に所属するエリート軍人である。
「ご、ごめんなさい、ギルさん。お待たせしてしまって」
ソフィアが謝るも、彼から発せられる魔力からは、怒りの色はまるで感じられない。
「いいんだ。フィーを待つ時間も、俺にとっては幸せだから」
ギルバートは立ち上がり、甘い声で囁く。
恋人同士になった途端、彼の愛情表現はストレートになり、隠すことをやめていた。
「坊ちゃん喜べ。ソフィアちゃんってば、バレンタインにプレゼントしたいって」
「よ、ヨランダさんっ。ね、ネタバレしないで……」
「ネタバレも何も、あげるのバレバレですわ。お二人は恋人なんですもの」
確かに、隠すまでもなかった。
「そうか。嬉しいよ、フィー」
ギルバートの魔力を見ても、彼が驚いている様子はない。もらえるもの、と思っていたようだ。
ソフィアは顔を赤らめ、甘えるように少しだけ意地悪な言葉を口にする。
「でもギルさんは格好いいから、いっぱいチョコをもらって胸焼けしちゃいますね。私のなんて、食べてくれないかも」
頬を膨らませて見上げると、ギルバートは真顔で即答した。
「フィーのしかいらない。フィーが作るなら、百個でも二百個でも食べる」
「もう、バカ」
ソフィアは恥ずかしさのあまり、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
尻尾があれば、間違いなくパタパタと左右に揺れているところだ。
「バカはどっちよ、このバカップル」
「ご馳走様ですわね」
リサとヨランダが、呆れたように肩をすくめる。
平和で甘い時間が流れていた。
だが、ギルバートが懐からある物を取り出した瞬間、空気が一変する。
「そういえば、ファフニール様からこれを預かっていたんだった」
彼の手のひらに乗っていたのは、翡翠色に輝く一枚の鱗だった。
それを見た瞬間、ソフィアの目の色が変わった。
バレンタインの甘い空気は一瞬で吹き飛び、職人としてのスイッチが入る。
「こ、ここ、これはぁっ」
ソフィアは目を輝かせ、鱗に顔を近づけた。
「古竜の鱗。魔力伝導率も強度も最高の、幻の芯材。ほしいなぁ、いいなぁ」
「いいよ。フィーにあげる」
ギルバートはあっさりと譲り渡した。
鱗を胸に抱きしめ、うっとりとした表情を浮かべるソフィア。
その職人らしい姿を見て、ギルバートは満足げに微笑んだ。
そしてソフィアは、「はっ、そうだ」と何か思いついたのか、奥の工房へと引っ込んでしまう。
せっかくソフィアに会いにきたというのに、結局、彼女はすぐ仕事に戻ってしまった。
「俺も帰ろうかな」
「それでいいわけ? ずっと待ってたじゃん、あんた」
リサのツッコミに、ギルバートは笑って応える。
「当たり前さ。俺はフィーの、クリエイターとしての情熱も、杖のことになったら周りが見えなくなることも含めて、愛おしいんだから」
「あ、そ。ハァ。ソフィアが羨ましいわぁ」
◇
それから数日後。バレンタインデーの当日。
フクロウ亭の工房から、少し寝不足気味のソフィアが出てきた。
「ギルさん、ハッピーバレンタインです。これ、私からのプレゼントです」
ソフィアは満面の笑みで、ラッピングされた手作りチョコと、細長い箱を差し出した。
ギルバートは嬉しそうに箱を受け取り、蓋を開ける。
中に入っていたのは、古竜の鱗を組み込んだ新品の杖だった。
「高位の魔法使いは、万が一メインの杖が破損した時のために、サブ杖を持っておくのが常識です。だからこれは、ギルさんのための控えの杖です」
「控え、か。だがこれは」
ギルバートが杖を手にした瞬間、恐ろしいほど完璧に自身の魔力が馴染むのを感じた。
古竜の膨大なエネルギーが、ソフィアの緻密な計算によって、ギルバート専用にチューニングされている。
「持ち運びしやすいように、伸縮式にしてあります。教鞭のように懐に忍ばせてください」
「……なるほど。便利だな」
「それだけじゃありません。ファフニール様の人化回路を模倣して、変形機構も組み込みました。いざという時は、防護マントに形を変えてギルさんを守ります」
ソフィアは得意げに胸を張り、言葉を続ける。
「さらに、大容量の魔力バッテリー機能も内蔵していますから、魔力切れの心配もありません」
「……それ、もう国宝レベルじゃん」
横で聞いていたリサが、引きつった声でツッコミを入れた。
「え、そうですか。ギルさんを思って作っていたら、こんなになっちゃいました。えへへ」
「こんな凄いもの、サブじゃなくてメインにしたくなるな」
ギルバートが感嘆の息を漏らすと、ソフィアは慌てて首を横に振った。
「ダメです。メインは大事に使ってくれているじゃないですか。これはあくまで、私がギルさんを守るための、お守りですから」
控えめでありながら、深すぎる愛情が込められた一品。
ギルバートは杖とチョコレートを大事に胸に抱き寄せ、ソフィアの髪を優しく撫でた。
「フィー、嬉しいよ。ありがとう。一生、大切にする」
「はい」
二人は見つめ合い、幸せそうに微笑み合う。
その甘すぎる空間を遠巻きに見ながら、リサは膝から崩れ落ちた。
「ねえ。あれでまだプラトニックな恋人同士ってマジ」
「マジなんですわ、リサ様」
ヨランダは遠い目をしながら、熱いお茶をすする。
職人としての規格外な贈り物と、初々しい二人の愛情。
帝都のバレンタインは、甘く、そして途方もない魔力に満ちていた。
三章スタートです。またポイントやコメントなどで、応援していただけますと幸いです。
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