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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki
第一部 後宮医案・宸眷薬師の誕生

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第97話 陛下、水辺の暗殺者(?)に狙われる<上>

 さて、古来より風流人というものは、天に浮かぶ月を「直接見上げる」という野暮を嫌い、わざわざ水面や盃の酒に映る「水月」を愛でては花を浮かべ、詩歌を詠むという手の込んだ遊戯に興じてきた。

 しかし、大自然の生態系からすれば、人間たちの甘ったるい情緒などは知ったことではない。時には雅な水面に、ロマンの欠片もない物理的な破壊兵器を潜ませることがある。


 空には、白粉を塗ったような、丸く明るい満月が懸かっていた。

 皇帝の奥の住まいである長楽殿の庭園。

 手入れされた池のほとりに、皇帝・景雲と彼の薬師である凜華の二人が並んで腰を下ろしていた。

 景雲は、手にした愛用の瑠璃圷を月光にかざし、その中で琥珀色に揺らめく液体を軽く揺らした。

 中身は凜華が考案した特製の薬用酒である。

 最近では、身体を温める桂皮(シナモン)を増やし、滋養強壮に優れる枸杞(くこ)の実、疲労回復に効く人参(にんじん)なども入れて、より上質な味に仕上がっている。

「月見酒というのも悪くない」

 芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。景雲は、上機嫌に瑠璃圷を呷った。

「でしょ? 血行を良くする生薬を山ほど溶かし込んであるから、最高の睡眠導入剤になるよ」

 凜華は、自分用の小さな盃(中身は果実水)を傾けながら、ふわりと笑った。


 今夜の長楽殿の庭は、いつもとは少し趣が異なっていた。

 池のほとりや水底に敷き詰められたのは、遥か南方の海辺から運ばれた「七色の宝石砂」である。砂は月の光を反射してきらきらと輝いている。

 砂粒の一つ一つが、波に磨かれ丸みを帯びた紅珊瑚(べにさんご)や、結晶の角を丸めた透明な石英(せきえい)、新緑を閉じ込めたような橄欖石(かんらんせき)の破片であり、それらが絶妙な割合で混ざり合っている。

 水に濡れると砂の色彩は鮮やかさを増す。

 砕かれた貝殻が真珠層の光沢をきらめかせる。踏みしめるたびに奏でる擦れ音は、潮風の記憶を刻んだ星々が囁き合っているかのようだ。


 風一つない穏やかな夜。虫の音と、かすかな水音だけが響く。頭上には満月、足もとにはきらめく宝石砂。隣りには意中の女。

 ――うむ。非常に良い雰囲気ではないか。

 景雲は、内心で大いに満足していた。先日の壺天閣での光る幽霊だのミミズだのが嘘のような、甘くロマンチックなシチュエーション。さらに特製の薬用酒による適度なリラックス効果。

 なに、焦ることはない……と彼は思った。

 凜華は後宮の女。元から自分のものなのだ。

 いかに強情で天涯孤独を気取っていても、時間をかけて口説けば、いずれは絆されて我が腕に落ちてくる。愛も情も、時間をかけて育めばよいのだと。


 そんな主君の心中を察してか、庭の隅に控えていた李元が、ここぞとばかりに気の利いた真似をした。

 彼は、見事に咲き誇った牡丹や木蓮の花びらを、薄く透き通るような玻璃(はり)の平皿にたっぷりと盛り付け、池の水面にそっと浮かべたのである。

 波紋が広がり、水面に映る巨大な満月を横切るようにして、花の乗った玻璃の小舟がゆっくりと滑り出す。

 月と花と、異国情緒あふれるガラスの輝き。これ以上ないほどに計算し尽くされた優雅極まりない光景であった。

「わぁ……きれいだね。水に浮かぶ花束みたい」

 狙い通り、凜華は身を乗り出して水面を見つめた。

 そのはしゃぐ横顔を眺めながら、景雲はそっと腕を伸ばす。

「凜華」

「ん?」

「もっと近くへ」

 彼が凜華の肩に腕を回し、抱き寄せようとしたその時――。


 突然、池の水底深くで奇妙な「青白い光」が閃いた。凜華が「え?」と目を瞬かせた次の瞬間である。

 パーン!

 鼓膜を弾くような鋭い破裂音。それは至近距離で爆竹を鳴らしたか、あるいは乾燥した竹を火にくべて爆発させたかのような暴力的な音であった。

 破裂音と同時に、水面に浮かんでいた玻璃の皿が、見えない大槌で殴りつけられたかのように粉砕された。

「なっ……!」

 砕け散ったガラスの破片と水飛沫が、花びらと共に水面に広がる。

「えっ、今の音は……? この世界には銃が存在してるの?」

 凜華は現代人としての感覚から、顔を引きつらせた。

 鋭い破裂音は、小口径の銃器の発砲音にしか聞こえなかった。


「曲者だ! 陛下をお守りしろ!」

 李元の悲鳴めいた号令と共に、完全武装した護衛たちが雪崩を打って飛びこんでくる。

「暗殺者か。凜華、こちらへ来い!」

 景雲は瑠璃圷を放り投げた。凜華の腕を掴むと、彼女の身体を庇うようにして後ずさる。

「ちょ、ちょっと待って」

 凜華はぐいぐい引っ張られつつも、池の方を振り返る。

「待てるか、馬鹿者。死ぬぞ!」

 景雲は怒鳴り、凜華を抱えて引きずるようにして建物の中へ駆けこんだ。そのまま安全な奥へ向かう。

 優雅な月見酒の空気は一瞬にして霧散し、長楽殿は物々しい松明の炎と怒号が飛び交う場と化した。

 後宮へ通じる門は即座に封鎖され、池の周囲の捜索が始まる。

 皇帝と薬師のロマンチックな逢引き(?)は、得体の知れない「見えない狙撃手」によって台無しになってしまったのである。


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