第92話 キラキラ白衣から始まる宝石泥棒捕獲作戦だよ<二>
しとしとと降る小雨が、夜の後宮を深い霧で包み込んでいた。五歩先も見えないような視界不良の中、景雲は足音を殺して壺天閣の庭へ足を踏み入れた。
周囲は水を打ったように静まり返り、時折、濡れた葉から雫が落ちる音だけが聞こえる。
――ふん、幽霊などいるものか。どうせ狸か野犬の見間違いだろう。
そう高をくくっていた景雲だったが、次の瞬間、彼の足はピタリと止まった。
ぽうっ……と。
濃霧の向こう側、庭の植え込みのあたりに確かに「それ」はいた。淡く青白い光である。それは蛍の光よりも大きく、はっきりとした輪郭を持たなかった。
ぼんやりとした不定形の光の塊が、地面のすぐ近くを何かを探すようにフワフワ、ウロウロと移動している。
「……っ!」
景雲は驚き、反射的に腰の剣の柄に手をかけた。噂のとおり、異様な光景である。
光の塊が植え込みから立ち上がり、こちらへ向かってゆっくりと近づいてくる。
景雲の背筋に冷たいものが走った。
首が……ない!
「何者だ!」
景雲は、後宮の闇に巣食う邪鬼か、あるいは己の命を狙う刺客の妖術かと身構えた。
鋭い音を立てて剣を抜き放つと、霧を切り裂くようにして一気に距離を詰めた。
白刃が、青白い光の正体を捉える。
「ひゃあっ!」
光の塊が情けない声をあげた。
しかも手からぽろりと何か細長いものを落とし、「ああっ、逃げないで」と這いつくばる始末。幽霊にしてはあまりにもどんくさい。
「えっ? ちょっと陛下? なんでこんな夜更けに剣なんか抜いて……危ないじゃない!」
……そこには、見慣れた顔があった。
手に泥だらけの円匙(スコップ)と深皿を持ち、なぜか全身をぼんやりと青白く発光させながら、目を白黒させる凜華だった。
「……は?」
拍子抜けした景雲は、構えていた剣の切っ先をだらりと下げた。
危なかった。あやうく皇帝が寵姫を斬り殺すという、後宮らしいといえばらしいサスペンス劇場が開幕するところだった。
「お前……凜華か?」
「うん、凜華だよ。他にもいるの?」
「いないが、なんなのだ。その格好は……」
景雲は凜華の姿を見、羞恥と困惑で頬が熱くなるのを感じた。
凜華が着ているのは白衣。この国では白い衣といえば、下着、遺体に着せる帷子、喪服である。人に見せるものではなく、これで外を出歩くなど考えられない。
今の凜華は現代で言うならば、ブラジャーとパンツ一丁で徘徊する破廉恥な女であった。
こんなあられもない姿を誰かに見られたら……と思うと景雲は焦った。
「はしたないにも程があろう。下着姿で外を出歩くな。痴女か」
小声で叱りつけると、凜華は不服そうに頬を膨らませた。
「痴女じゃないよ。白衣だよ。寿寿が作ってくれたの。見てよこの機能的な胸ポケット。筆も薬匙も入れ放題」
得意げに胸を張るが、雨に濡れた薄手の白衣は、下の衣の線をうっすらと透けさせている。しかも全身が青白く発光しているため、変に浮き上がって見えてタチが悪い。
「小袋などどうでもいい。前を隠せ。目の毒だ!」
景雲は己の上衣を脱ぎ、光る痴女……もとい凜華の頭からバサリと被せた。
しかし、上衣の隙間から漏れ出る青白い光のせいで、今度は「上衣を被って光る怪発光体」に進化してしまった。
「これは薬師のエプロンみたいなもんだよ」
抗議する凜華に、景雲はまたかという風に嘆息した。
「……えぷろんとはなんだ。わかるように話せ」
噛み合わない会話をしばらくした後、ようやく景雲は、白衣は薬師が着る制服のようなものだと理解した。
それでもまだ謎がある。彼は恐る恐る尋ねた。
「なぜ、それはそのように……光っているのだ?」
「ああ、これ?」
凜華は白衣の袖を引っ張って見せた。驚くべきことに、布地全体が夜目にもはっきりとわかるレベルで青白い輝きを放っている。
「なんでか知らないけど、洗滌局に洗濯に出したら、湿度の高い雨や霧の日は、こうやって輝くようになっちゃったんだよねー」
「なっちゃったんだよねーではない。どういう理屈だ」




