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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki
第一部 後宮医案・宸眷薬師の誕生

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第91話 キラキラ白衣から始まる宝石泥棒捕獲作戦だよ<一>

 さて、古の書物には「腐草(くされたるくさ)為蛍(ほたるとなる)」などと記され、朽ちた草が夏の夜を彩る発光生物、蛍に化けるのだと風流に語られてきた。

 だが、ロマンチックな蛍の光に現代科学の容赦ないメスを入れるなら、それはルシフェリンという発光基質がルシフェラーゼという酵素の触媒作用のもと、アデノシン三リン酸と結合し、酸素によって酸化される際に生じる「冷光(れいこう)」という化学反応に過ぎない。

 かくも神秘的な発光物質がなぜか後宮に納品され、雨降る夜ごとに出現する「発光する女幽霊」騒動へと発展するのだから、この世界ではおちおち光ってもいられない。


 いつの時代も、あるいはどこの世界であっても、「形から入る」というのは、何かの道に打ち込む者にとって極めて重要な儀式である。

 古の武将が戦場(いくさば)に臨んで己の死生観を甲冑の意匠に託したように、日々未知の物質と格闘し、一歩間違えれば致死量の毒を吸い込みかねない薬師にとって「白衣」は戦闘服。

 物理的防御力ゼロのただの布切れであろうとも、精神的防壁として欠かせないものであった。


 その日、壺天閣の研究室で、凜華は上機嫌で真新しい純白の上着に腕を通していた。

 彼女が寿寿に頼んで特別に縫い上げてもらったのは、現代の「ラボコート(白衣)」をこの時代の様式に落とし込んだ特製の仕事着である。

 ベースとなるのは、薬品汚れや漂白処理に何度でも耐えうる頑強な純白の麻布。器具に触ったり火の番をしたりする際に邪魔にならないよう、袖口は宮廷風のゆったりとした(たもと)ではなく、手首にむかって絞られた実用的な筒袖の構造をとっている。

 さらに、便利なボタンなどというものは存在しないため、前を打ち合わせた後、腰のあたりに縫い付けられた細い帯をベルトのように回し、前でキュッと結んで留めるという機能美とスタイリッシュさを兼ね備えたデザインに仕上がっていた。


 下女に支給される綿衣の上に、パリッとした純白のコートを羽織った凜華は腰に手を当てて満足げに胸を張った。

「やっぱり仕事の時はこうじゃないとね。白衣は着るだけでぐっと気分が引き締まるな」

「ふふっ、凜華さん。とってもお似合いですよ」

 凜華の嬉しそうな様子を見て、寿寿も相好を崩す。

「予備で何枚か作ります。汚れたら、すぐに洗濯しますから」

「悪いわね。無理しないでいいよ」

「全然平気です」

 寿寿は余裕綽々で答えた。

 実際、彼女にとって洗濯は家事労働ではなかった。洗濯物はまとめて洗滌局へ持ち込めば、洗濯女たちが洗って干してくれる。寿寿は頃合いを見て乾いた洗濯物を取り込み、持ち帰るだけでよかった。


 現在の壺天閣は、実質的に凜華と寿寿の二人暮らしであり、掃除や炊事といった日常の家事はさほどきつくない。下働きの宦官たちが薪や炭といった重い燃料を運んでくるし、井戸から水を汲んで巨大な水瓶もいっぱいにしてくれる。要するに力仕事はすべて外部委託状態である。

 さらに、凜華が皇帝に呼ばれて長楽殿に行ってしまうと、大抵は朝まで戻って来ない。

 寿寿は凜華を送り出すと、内側から厳重に鍵を閉めて戸締りをし、好きなものを作って食べたり、趣味の裁縫をしたりして自由な時間を満喫していた。凜華は身分や宮中の堅苦しい作法にうるさくないので、気楽に暮らすことができた。

「私は洗濯物を持っていくだけですから」

「じゃあ、お言葉に甘えてお願いしちゃおうかな。真っ白な服ってどうしてもシミが目立つからね」

 純白の戦闘服を手に入れた凜華は、連日のように薬の調合や研究に没頭するようになった。


 ところが、しばらくすると後宮で奇妙な噂が立つようになった。

「……出たそうだぞ。昨夜も、壺天閣の裏庭に」

「ああ、聞いた。青白く光りながらフワフワ浮遊する幽霊だろう?」

 後宮の警備を担う武装宦官や夜勤の者たちの間で、まことしやかな怪談が囁かれるようになったのだ。

 曰く、雨の降る夜や霧が深く立ち込める晩に限って、壺天閣の庭先に「光る人魂」あるいは「怨念の塊」のようなものがフワリフワリと現れる。目を凝らすと、それは首から上が存在しない真っ白な幽霊であり、無念を訴えるかのように恨めしそうに地面を這いずり回っている……というのである。


 元々、壺天閣は地下室で「百年前の腐らない呪われた妃」が見つかった、後宮でも指折りの怪奇スポットである。

 その後も、大仰なお祓いが行われただの、悪霊が封印されただの、その封印が解かれてしまっただのと、三流の講談師が喜ぶような怪談には事欠かない場所であった。

 だが、今回の噂は妙に目撃者が多く、みな一様に「この世のものとは思えぬほど、青白く不気味に輝いていた」と具体的に証言している。


「……光る幽霊だと?」

 政務の合間、側近から噂を聞きつけた景雲は、不快そうに眉根をきつく寄せた。

「くだらん」と一蹴しかけたが、噂の出元が凜華の住まいで、己も通っている壺天閣であると聞いては捨て置けない。

 これは、皇帝の寵愛を一身に受ける(ということになっている)凜華への妃嬪たちからの嫌がらせなのか。

 それとも曰く付きの壺天閣で、本物の怪奇現象が起こっているのか。


 ――いや、待てよ。

 景雲の脳裏に、一つの疑念がよぎった。

 あの常識外れの薬痴(くすりばか)のことだ。凜華自身が何かやらかして、それが周囲に誤解されているだけなのではないか。

 景雲は自らの目で真偽を確かめることにした。

 一寸先も見えないほど霧が濃く立ち込める夜を選ぶと、怪異の巣窟たる壺天閣へ密かに足を運んだのだった。



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