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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki
第一部 後宮医案・宸眷薬師の誕生

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第87話 太医たちとの勝負がてらドラゲンドルフ試薬を作っちゃおう<四>

 ドラゲンドルフ試薬を完成させ、準備を整えた凜華は景雲の同伴という形で再び外廷へと出た。

 太医たちは後宮に入ることができるが、先輩たちを呼びつけるのも角が立つ。

 薬師房は現代で言うところの派遣型総合医療施設のようなもの。設備や資材は揃っていて、大抵のことはすぐに対応できるため、凜華の方から出向くことにした。薬師房を一度見てみたいという気持ちもあった。


 垂花門を出たあたりから、周囲には黒山の人だかりができていた。どこから情報が漏れたのか、噂の薬師を見ようと大勢の官吏や女官、出入りの業者たちまでもが詰めかけている。

 衆目を嫌う景雲の命令で、凜華は背の高い宦官たちに囲まれていたが、それでも人々は必死に後を追ってきて凜華を一目でも見ようとするのだった。

「宸眷の薬師殿だ。滅多に拝めないぞ」

「若いな! あの若さで大学を出たというのか。信じられん」

「うちの長患いの父さんも診てくれないかしら……」

 凜華の評判は外廷でもうなぎのぼり、宦官たちに追い立てられ散らされつつも、好意的なざわめきが波のように広がってゆく。


 一行はまっすぐ薬師房へ向かう。

 外廷には、規模の異なる薬師房がいくつも点在している。

 宮廷内でも命の扱いは平等ではなく、患者の身分や拠出できる金銀の多寡、支払い能力によって門を叩くべき房も、派遣される薬師のランクも細かく分かれる。

 薬師房の頂点であり、清心殿の近くに構えるのが大所帯の「大薬師房」である。

 朱塗りの回廊を抜けて敷地内に入ると、むせ返るような匂いの壁にぶつかる。甘酸っぱい果実の香り、土埃を思わせる根菜の匂い、鼻奥をツンと突く劇薬の刺激臭。何百という薬草や鉱物が混ざり合って煮詰められた重厚な香気が、常に建物の周囲に漂っている。


 凜華は大薬師房の主殿に目を見張った。

「大きいねぇ……」

「研究施設でもあるしな。太医が詰めているのはここだ」と景雲が説明する。

 中に入ると吹き抜け構造の大広間は、常に喧騒に包まれている。

 薄暗い一階の土間では、顔を煤と汗で汚した下働きの薬師や見習いたちが、薬研を使って生薬を挽き、身の丈ほどもある大きな青銅の釜に薪をくべている。

 もうもうと立ちのぼる湯気の中、壁一面を覆い尽くす百目箪笥(ひゃくめたんす)の引き出しは絶え間なく開け閉めされ、大量の薬が出し入れされている。

 帳場には、薬師を求める者たちがひっきりなしにやってくる。各所へ派遣する薬師の指名札が飛び交う様は活気に満ちていた。


 その泥臭い熱気から、物理的にも身分的にも切り離されているのが二階である。階段を境にして、空気はがらりと変わる。下の土間が「労働と混沌」の場なら、上階は「権威と秘匿」の場だ。

 広間を見下ろす二階の回廊とその奥にある豪華な詰め所――そこがこの国の医療を独占する「五大医家」の総帥たる太医たちの聖域である。

 六角形の形をした共有の中央控室があり、そこから五つの家の詰め所へ繋がる廊下が伸びている。

 廊下の先にある各詰め所の扉や几帳には、五大医家それぞれの家紋が金糸で刺繍された幕が、己の領土を主張するように重々しく垂れ下がっている。絹の官服に身を包んだ太医たちは、下の喧騒など聞こえないかのように部屋で貴重な医学書を繰り、あるいは側近の弟子たちと秘薬の研究に励んでいる。

 彼らの指先が汚れることはあまりない。薬研を挽いたり実際に診療したりするのは下の者の仕事である。皇族の侍医を務めることを除けば、一番の使命は「一族にのみ伝わる秘伝」を至高の処方に落とし込むことだった。


 五つの医家は、太医という同じ最高位にありながら、決して交わらない。鍼灸や按摩を得意とする家、毒や劇薬の扱いが上手い家、本草学を極めんとする家……。各家の間には、目に見えない分厚い壁が存在する。

 互いの処方を覗き見ることは禁忌であり、一族の秘伝が外部に漏れることを何よりも恐れている。廊下ですれ違う際も、形ばかりの冷ややかな会釈を交わすのみで、瞳の奥には常に他家への警戒と、自流への強烈な矜持が(くすぶ)っている。

 大薬師房は、下層のむき出しの生命力と、上層の冷徹な権威、そして五大医家の静かなる暗闘が同居する巨大な密室だった。

 釜から立ちのぼる薬の湯気は、宮中の病人を癒やすと同時に、名門医家たちの底知れぬ野心と秘密をも包み隠している。


 凜華たちは、二階の中央控室に通された。

 太医長の顧成と周関が皇帝を出迎え、足もとに平伏する。

 凜華はひざまずく壮年の男二人を見下ろす形になってしまった。同じ薬師房の薬を使っているが、太医と顔を合わせるのはこれが初めてである。

 この人たちがこの国の薬師なのかと思うと新鮮な気分だった。同業にしてライバルでもある。


 顧成が恭しく言った。

「陛下、本来なら私どもが出向くはずでございましたのに。わざわざ御足をお運びいただきまして誠に恐縮です」

「よい。薬師房の視察がてら来た」と景雲はそっけなく言った。椅子が持ってこられると、どっかりと腰を下ろす。

 顧成は立ち上がりながら、凜華が肩から下げている国宝級の薬箱を恨めしそうに眺めた。

 薬師の武器は携帯する薬箱であり、所属する組織や階級の証明でもある。患者は薬箱を見て薬師を尊敬し、逆に侮りもする。特に貴族たちは、派遣される薬師のランクを気にするし、下位の者が来ると苦情を入れがちだ。

 この唯一無二の薬箱を下賜されるのは自分であったはずなのに……と思えば、沸々と怒りが湧いてくる。なんとしても、この小娘を打ち負かさなければと決意した。


 部屋を見渡すと、太医は彼ら二人しかいなかった。

 他の太医やその配下は、医長命令で体よく追い出されていた。

 顧成と周関からすると、凜華がこの場で何を言うにせよ、彼女が持つ知識をむざむざ他家に教えてやる義理はない。

 部屋の隅には数十人の弟子たちが並んで立ち、事態を見守っている。彼らは顧家と周家の一門であり、当主と凜華の勝負の見届け人でもあった。


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