第85話 太医たちとの勝負がてらドラゲンドルフ試薬を作っちゃおう<二>
ただちに、薬師房の総力を挙げた現場検証と死体検案が開始された。
指揮を執るのは、太医長の顧成と、次長で周家の当主である周関である。
普段は皇族しか診ない太医たちであるが、皇帝の御前で起きた事件であるし、異国の使節団の目もある。帝室の信頼厚い太医が捜査協力することで、国の威信を示す狙いもあった。
「死因は急性の中毒死と思われます」
曹大人の遺体を検分した周関が、重々しい口調で告げた。
彼は鋭い眼光で、曹大人が座っていた卓の上を睨みつけた。
そこには、きれいにしゃぶり尽くされた蟹の殻の山と、柿の種が散乱していた。
「医長、ご覧ください。蟹と柿です。曹大人は蟹味噌を大量に食した直後に柿を食べている」
「それがどうしたというのだ」
「蟹と柿は、古来より『禁忌の食い合わせ』とされております。どちらも身体を極端に冷やす『寒』の性質を持つ食材。同時かつ大量に胃の腑に収めれば、内臓が急激に冷え、気が滞り、恐るべき中毒を引き起こします。これが大人の死因かと」
周関は確信を持って告げたが、顧成は首を横に振った。
「馬鹿なことを。確かに蟹と柿は食い合わせが悪いが、引き起こすのは激しい腹痛や下痢、せいぜいが嘔吐だ。痙攣して絶命するなど聞いたことがない。それに……」
顧成は、待機を余儀なくされている高官たちを見た。
「同じ席、他の卓の方々も同じように蟹と柿を食べている。彼らは皆、ぴんぴんしているではないか」
「曹大人はご高齢でした。胃腸が弱っておられ……」
淡々と説明を続けようとする周関を、顧成は乱暴に遮った。
「違う。食い合わせなど言い訳にもならん」
「……」
周関はまたかという風に眉をひそめる。常々、顧成の思い込みの激しさには辟易していた。
今度は、顧成が自論を展開する。
「曹大人の従者に確認したが、大人は本日いかなる薬も飲んではおらんそうだ。薬の飲み合わせによる毒化の線は消えた」
顧成は、卓の端に残された最後の一品、ナスの野菜炒めに目を向けた。
「彼が倒れる直前に口にしたのは、この野菜炒めだ。銀針を刺してみたが変色はなし。となると鉱物由来の毒ではない。恐らく野菜炒めに致死性の植物毒が入っていたに違いない」
顧成は、死因は毒物だと端から決めてかかっている。そうであって欲しいという彼の願望も入っていた。
周関は内心呆れかえった。このアホンダラめと思う。
いっそ「持病の発作説」でも唱えてくれた方がはるかにましだが、真っ向から反論して彼の機嫌を損ねても面倒だ。
苛立ちつつも顧成のプライドを傷つけないよう、丁寧な口調で言った。
「しかし医長、残った野菜炒めを犬に食わせてみましたが犬は元気ですぞ。これが泡を吹いて倒れるなら毒でしょうが。他の料理も同様でした。毒が混入されたと考えるのは無理があります」
「それは……」
顧成も行き詰まった。食い合わせではない。飲んでいた薬の影響でもない。野菜炒めそのものも毒が入っていたとは思えない。
ならば一体、何が曹大人を死に至らしめたのか。
目に見えない気体か?
あるいは、未だ知られざる新たな毒が?
天下の太医たちが「老官僚一人の不可解な死」の謎を解き明かすことができない。このままでは使節団の不審を招くし、皇帝の前で醜態を晒すことになってしまう。
その時、顧成の脳裏にとある名前が思い浮かんだ。
皇帝の露骨すぎる寵愛と庇護を受け、後宮の片隅に「壺天閣」なる専用の屋敷まで与えられた、素性の知れない女薬師の凜華である。
今では後宮で開業し、医家を気取っていると聞く。外廷と内廷で住み分けているため、患者を取り合う事態には陥っていないが、指名があれば皇族や妃たちも診ているという。
この国の医学を学んだわけでもない小娘が、皇帝の主治医ヅラをしているのは許しがたいことだった。いくら腕が立っても、彼女は五大医家の枠組みから外れた異端中の異端。太医長の自分を差し置いて……と思うと悔しくて仕方ない。そもそも、女が薬師をやっている時点で噴飯ものである。
顧成はニタリと陰湿な笑みを浮かべた。
「そうだ。今回の件はあの女、壺天閣の薬師に任せてみようではないか」
「宸眷の薬師を? そこまでするような事件とは思えませんが」周関がうんざりしたように言った。
「あやつは常々、我らを鼻で笑い薬師房の薬を掠め取っておる。ならばお手並み拝見。この謎を解かせてみるのも一興だろう」被害妄想も交えながら、顧成は憎々しげに顔を歪めた。
「私は反対です」どうせ聞き入れないだろうなと諦めつつも、周関は一応にも止めた。
「あんな小娘に目くじらを立てることはありません。所詮は皇帝の寵愛頼みで生きるしかない後宮の女。徹頭徹尾、無視して放っておけばよろしい。下手に関わって、もし陛下に泣きつかれでもしたら……。皇帝の逆鱗に触れては面倒なことになりますぞ」
「なんだ周次長、怖気づいたのか」
「そりゃそうですよ。私も自分や一門が一等かわいいですからね」
「案ずるな。もし解けなければ、所詮は口先だけの小娘として締め出す口実にできるではないか。謎を解き明かしたなら、その時は同じ薬師、我らの末席に連なる者と認めてやる。ということにしておけばよい。どちらに転んでも我らの地位は揺るがんよ」
顧成は突き出た腹を揺らして、愉快そうに笑った。要するに極めて上から目線、そして責任転嫁も狙った「勝負」の押し付けであった。
翌日。
壺天閣の広々とした研究室、土間に新設した炉の火加減を調整していた凜華の元へ景雲がやってきた。
皇帝自ら足を運び、この厄介な「太医たちからの挑戦状」を伝えたのである。
彼は額に青筋を浮かべながら言った。
「……というわけだ。連中は死因がわからないものだから、お前を試すという名目で責任を押し付けてきた。どうする。私が太医どもを黙らせてもよいが」
実際、景雲は怒っていた。外廷には、毎日数万人単位の人間が出入りしている。当然、怪我人や病人もそれなりに出る。時には事故や殺人も起きる。
事件事故のたびに、凜華が太医の子分よろしく引っ張り出されてはたまらない。彼女は自分のもの、宸眷の薬師なのだ。「ふざけるな。お前らだけでなんとかしろ」と怒鳴りつけたいのを、必死に堪えたくらいだった。
ところが、煤で顔を汚した凜華は持っていた火箸でトントンと地面に叩き、あっけらかんと言った。
「あ~典型的な『職場の古参マウント』てやつ? 謎が解けたら同僚と認めてやる、ねえ。いかにもプライドの高いおっさんたちが考えそうな手だわ」
「怒らないのか?」
「怒るも何もあるあるすぎてね。どこでも一度はくらう試験だか試練みたいなもんよ。むしろここで謎を解けば、今後はやりやすくなるかも」
凜華は立ち上がり、白衣替わりに着た古着の袖をバサリと翻した。
「いいよ。曹大人の死因を解明すればいいんでしょ? 薬師と認めてくれるなら引き受けるよ」
「……まさかお前の口からそんなことが聞けるとはな。傍若無人、孤立上等かと思っていたぞ」
景雲は虚を突かれたような顔をしている。この女のことだから、太医たちなぞ端から眼中にないだろうと思っていたのだ。
凜華は心外そうに言った。
「え~私だって気は使うよ。一人でできる仕事じゃないし、連係プレーが大事だし。前の職場もけっこう大変だったんだから。みんな同じ資格持ってるし、気難しいしで」
「まあ、お前がそう言うなら……構わんが」景雲は怒りのやり場を失い、小さな声で困惑気味に呟いた。
凜華は気合いを入れるように、両腕を突き上げた。
「よーし、やるからには徹底的に調べないと。まずは宴の献立の検証からだね」




