第82話 間借りだけど一国一城の主になったぞ<中>
屋内がひととおり片付くと、凜華は裏庭へ向かった。
裏手には鬱蒼とした林が広がっており、土地は十分余っている。木をある程度切り倒して整地すれば「かまど」を設置できるスペースが確保できそうだった。
「ここに専用のかまどを作れば『薬用炭』が作れる」
薬用炭は、喉から手が出るほど欲しい万能素材だが……現実は甘くない。
木を切り倒す人足も、特殊なかまどを作り上げる専門の職人もタダでは動いてくれない。
費用は自分で稼ぐか、金払いのいいスポンサーに出資してもらうしかない……。
「今はだめかあ」
凜華は脳内でそろばんを弾き、重いため息をついた。
何はともあれ、一応にも拠点を得た。
凜華は、清玲閣を故事成語の「壺中乃天」にあやかって「壺天閣」と名付けることにした。
「後宮内の間借りだけど、これで私も一国一城の主。よーし、頑張るぞぉ!」
気合いを入れると、入り口の前に厨房から持ってきた大きな瓢箪をぶら下げる。瓢箪は酒入れとして使われていたが、古くなって捨てられそうになったのを貰ってきたのだった。
これぞ異世界の「懸壺」、診療所の看板である。
かくして後宮の片隅に、凜華専用のラボラトリー兼診療所が誕生したのだった。
引っ越しが一段落した、その日の夜。
壺天閣の居間は、炭の爆ぜるかすかな音と、鉄瓶が鳴らす低く細い地鳴りのような音が響いていた。
すっかり冷え込んだ空気を温めるため、部屋の中央に置かれた火鉢には炭が入り、赤々と燃えている。
凜華と寿寿、最後まで残って手伝ってくれた絃楠の三人が火鉢を囲んでいた。
「絃楠さんは、仕事は大丈夫なの?」凜華が尋ねると、絃楠は顔を上げた。
「ええ、本日はお暇をいただいておりますので」
「お休みだったんだ。休日を潰してまで手伝ってくれてありがとう」
凜華が礼を言うと、絃楠はいえいえと恐縮した。
「特にすることもありませんし。先日診ていただいた御礼です。おかげさまで風邪はすっかり治りました。お金も払えますが……」そのうち診療費の請求が来るだろうと思っていたら一向に来ないので、絃楠は気にしていた。
凜華は明るく言った。
「お金はいいよ。手伝いだけで充分」
二人の会話が終わると、火箸を持った寿寿が言った。
「そろそろいい塩梅だと思います」
火箸で火鉢の中をつつく。熱い灰の奥に、寿寿が作って仕込んだ「おやき」が五、六個埋まっていた。灰の中から白っぽい塊を掘り出した。
表面には薄く灰がこびりついているが手早く払うと、香ばしく焦げた小麦の香りが鼻腔をくすぐる。
絃楠は優雅な所作を崩さぬまま、塊を物珍しげに眺めた。
「灰の中で直接焼くとは。宮中の厨ではお目にかかれない調理法ですね」
「埋めとくだけだからね。ものぐさにはぴったりのおやつだよ」
凜華は、寿寿から手渡された熱いおやきを指先で転がした。
煤けた皮を二つに割る。中から溢れ出したのは、純白の湯気と肉汁を吸って艶やかに輝く具材だ。
「これはおやき」
「おやき?」
「肉まんや点心に近いものかな。小麦粉を練った皮で具を包んで、蒸籠の代わりに灰の熱でじっくりと蒸し焼きにする。具はなんでもオッケー。これは豚肉と青菜のおやき」
凜華は早速にも一口かじった。
表面は炭の熱で硬く引き締まり、野趣溢れる歯応えである。噛みしめると、内側のモチモチとした皮、閉じ込められていた脂の甘みと青菜の鮮烈な香りが弾ける。灰の熱が肉のたんぱく質をゆっくりと分解し、旨みを限界まで引き出している。
絃楠もかじりつく。
「これは美味しいですね」と言い素朴な味に感心した。
「ものぐさ料理も悪くないでしょ」凜華が得意気に答える。
寿寿は、二人が美味しそうに食べる姿を見てようやく自分の分に手を伸ばした。
「火を囲んで食べるものは、どこであっても楽しいね」
凜華の言葉に絃楠は静かに頷き、寿寿は「はい」と嬉しそうに頬を緩める。鉄瓶から立ち上る湯気が、天井へ吸い込まれていく。
三人がおやきを食べ終わり、熱い麦茶を啜った時だった。
何の前触れもなく、入り口の扉が開いた。
大股で歩く足音がし、豪奢な身なりの男が居間に入ってきた。景雲だった。
「なんだ、ずいぶんと寛いでいるようだな」
「あっ、陛下」凜華はいつものように彼を呼んだ。
「へ、陛下?」
突然の最高権力者の来訪に、寿寿は悲鳴をあげながら飛び退いた。
凜華はしょっちゅう長楽殿へ行っているが、寿寿はいつも留守番である。下女は貴人に拝することすら滅多にない。皇帝をこんな間近で見るのは初めてだった。
予期せぬ訪問に驚愕し、ガタガタと震え出した。
景雲は、寿寿を冷たくねめつけた。
「……なんだお前は。下がれ」
「ひいっ! も、申し訳ございませんっ!」
縮み上がった寿寿は脱兎のごとく居間を飛び出し、二階の自室へと逃げていった。
まさか引っ越し初日に皇帝が通ってくるとは思わなかった。皇帝は当然凜華が目当て。自分はお邪魔虫以外の何ものでもない。




