第78話 専用のラボを賭けて「笑い死にの部屋」の謎に挑む<三>
「さすがは私の薬師だ。長年後宮を悩ませてきた笑い声を、石ころ一つで看破してみせるとはな」
景雲は自慢げに呟いた。同時に瞳に好戦的な光が宿る。
彼は凜華に近づくと、上から見下ろすようにして言った。
「だが、謎はまだ残っている。なぜ地下室に入った妃は『笑い出した』のだ? ただの酸欠であれば、苦しんで倒れるだけであろう」
「それはたぶん地下の環境が作り出した……特殊なガスの影響だと思う」
「ならば」
景雲は、にやっと悪びれた笑みを浮かべた。
「その『笑い死にのガス』の正体とやらを明かしてみせよ。ついでに緑色の鬼火が追いかけてくる理由もな」
景雲は凜華の耳元に顔を寄せると囁いた。
「もしそれができなければ……潔く私の妃になれ」
求婚を断られた腹いせか、あるいは彼女の才覚をもっと見たいという好奇心か。
「……本気?」
凜華は、胡乱な目で景雲を見上げた。
結婚を謎解きのペナルティとして突きつけてくるとは。皇帝という生き物はつくづく性格が悪い。
「も〜諦めが悪いんだから」
腕を組み、やれやれと大げさなため息をついてみせた凜華だったが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
景雲から突きつけられた、権力の横暴としか言いようがない賭け。並の女であれば途方にくれるか、喜んで妃の座に飛びつくかの二択だろうが……。
研究者にして薬師である彼女の脳内には、別の願望が鎌首をもたげていた。
「いいよ、俄然やる気になってきた。勝負は受けて立つ。ただーし!」
「ただし?」
凜華はそこでとびっきりの笑顔を作り、猫なで声で言った。
「私がこの謎を解き明かした暁には、北にある『清玲閣』をください。建物はもちろん周辺の庭もセットで」
「なに? 清玲閣だと?」
「とにもかくにもまずは土地をゲットしないとね。あそこを私の専用ラボにしたい」
「らぼとはなんだ」
「ラボラトリー。研究所」
景雲はむっと唸った。
背後の宦官たちは、口々に悲鳴を上げて顔を見合わせる。
清玲閣は露珂妃の遺体が運び出され、お祓いされた後は使われていない。人は立ち入れないよう厳重に閉鎖されていた。
「なぜ清玲閣なのだ。あそこはすでに閉鎖した。倉庫としても使っていない」
すると、凜華は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「だってあそこの地下室にはアルゴンが湧いてるのよ。つまり、天然の『アルゴンセラー』が持てるってことじゃない。これを利用しない手はないわ」
「あるごんせらー?」
「最高かつ最強の貯蔵庫が持てるってこと。アルゴンに浸けておけば、貴重な生薬や傷みやすい食品も腐らない。化粧品の消費期限も関係ない。材料や在庫を、新鮮なまま半永久的に保存できる。おまけに裏庭は林だし、薬用炭を焼くためのかまどを設置できる。これ以上とない好立地なの」
「だめだ。アルゴンは危険すぎる。事故が起きたらどうするのだ」
本気で案じる景雲に対し、凜華は胸を張った。
「だからこそよ。危険なガスが溜まってる場所だから、私が住んで管理した方がいい。言っておくけど、私は『毒物劇物取扱責任者』に『甲種危険物取扱者』おまけに難関の『高圧ガス製造保安責任者』まで持ってるんだからね」
前世で取得した資格まで持ち出して力説する。
「高圧ガス製造保安……? なんだそれは」
「これがあると、アルゴンや窒素などの気体の管理者になれるのよ」
ちなみに「毒物劇物取扱責任者」は、薬剤師免許を得た時点で自動取得となり、「危険物取扱者」の試験も「乙種」は免除され上級の「甲種」から受けることができる。
凜華は研究者だったので「高圧ガス製造保安責任者」の資格も取得していた。
「それはどこの国の何の官位なのだ」
「官位じゃないよ。国家資格で免許。といっても資格を証明できるものは何もないけどね!」
「威張って言うことか」
偉そうに言い放つ凜華に、景雲は呆れる。
当然のことながら、この国以外で得た資格や免許は何の効力も持たない。
「大丈夫だって。一人で地下室には入らないし、ちゃんと安全策を設けるから。アルゴンの管理は任せて」
「……よかろう。そこまで豪語するなら『開かずの部屋』の謎を解き明かしてみせよ。証明できれば清玲閣はくれてやる」
「おっしゃ! 約束だからね」
「ああ、皇帝に二言はない」
「よーし」と張り切る凜華だったが、景雲は焦れたように東の方を顎でしゃくってみせた。
「とにかく今夜はもう仕舞いだ。長楽殿に参れ」
外では何かと人の目がある。
艶めいたことはないにせよ、早く凜華と二人きりになりたいのだった。そのために後宮へ来ているのである。
「うん。じゃあ一度部屋に戻ってから行く」
凜華は薬箱を担ぐと、タタタッと駆け出していった。
小動物のようなすばこしい動きに、景雲は目を細める。
控えていた李元が、遠慮がちに声をかけてくる。
「よろしいのですか、陛下。あのような約束をされて」
「構わん。あれは近々、別の殿舎に移そうと思っていた」
「で、では! いよいよ凜華殿を妃に? 杏花殿に納められるのですね」
李元は色めき立った。後見人でも支援者でもないが、凜華の担当は自分。凜華が正式な妃、それも宸妃になれば更なる出世が約束されたも同然だった。部下たちも、おおっとどよめいた。
「違う。逸るな」
景雲は、浮足立つ宦官たちを制した。
李元の推測は当たっているが「求婚したら断わられた」とは言えない。自分に魅力はないと公言するようなものだ。
仕方がないので、辻褄合わせの説明をする。
「今の住居房では騒がしくてかなわん。杏花殿ではないが、どこか手広なところを与えるつもりでいた」
それに今の部屋では通えないではないか……と景雲は思う。
清玲閣を欲しがったのは予想外だが、凜華には後宮内の新たな住居を用意するつもりでいた。
会いたい時に会うために、彼女の部屋にも通う気満々なのだった。




