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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第67話 杏は美しい顔をした「毒の王」だよ<五>

 凜華は包みを開くと、入っていた粉を小指に軽くつけて口の中に入れた。

 味は塩辛い。塩かとも思ったが、舌の上で溶ける際に「ひんやりとした冷感」があった。

「吸熱反応がある。ということは塩じゃない……」

 凜華は指に残った粉を、近くに置いた火、手燭の中に投げ入れた。

 途端、パチパチと激しく火花が飛び散った。

「爆ぜる。まさか……これ『火薬』のたぐい?」

「ああ、『硝石(しょうせき)』だ。俺は硝石を飲んでいた」

「硝石……」

 硝石は、冷暗所の壁などに白く析出する結晶――現代の化学式で言えば硝酸カリウムであり、黒色火薬の主原料である。硝石は、普段は外廷の火薬局で厳重に管理されている。


「硝石ってそんな。もしかして火薬局から盗んだの? それとも横流しかなんかで手に入れた?」

「ち、違う。そんなことをしたら、俺も火薬局のやつらも打ち首だ。外廷に使い走りに行く時、火薬局にいる同郷の役人から少しずつわけてもらっていた。もちろん金は払っている。売買の履歴が残っているはずだ。それを太医の助手に頼み込んで、粉薬に仕立ててもらっていたんだ」

「嘘でしょ……」

 凜華は茫然とした。

 同時に脳内で、パズルのピースがカチリと音を立ててはまってゆく。

「待って。いやいやいや、こんなことが偶然起きる? 何十万、何百万分の一の確率なんだろう」

 凜華は文伯を、信じがたい想いで見下ろした。

「奇跡だわ。奇跡としか言いようがない」


 凜華は身を乗り出し、ずいっと顔を近づけた。

「あなた、自分がどれだけとんでもない奇跡を引き当てたかわかる?」

 凜華は文伯に向かって、興奮気味に解説を始めた。

「いい? あなたが飲んだ硝石はね、胃腸で吸収されると血液の中に入り込むの。そして、血液の赤さを保っているヘモグロビンという物質を酸化させて『メトヘモグロビン』っていう別の物質に変えちゃうのよ。……実はこのメトヘモグロビン、細胞の呼吸酵素よりもはるかに強力にシアンと結びつく性質があるの」

 文伯には何のことやらさっぱりであったが、凜華の目は科学の神秘に対する感動でキラキラと輝いていた。

「つまりね、蜜煮を食べる直前に硝石を飲んだおかげで、あなたの血液中にはすでにシアンを迎え撃つための『メトヘモグロビン部隊』が大量に配備されていたのよ。胃から吸収された猛毒のシアンは、細胞を殺す前にこのメトヘモグロビン部隊に次々と吸着されて、一時的に無毒化されたってわけ」

 これは奇しくも、現代医療においてシアン中毒患者を救命する際に用いられる「亜硝酸アミル・亜硝酸ナトリウム」による解毒プロトコルと、全く同じメカニズムである。


 凜華は薬師が作ったという粉末薬を指差した。

「これは『消石散(しょうせきさん)』の原型みたいなものなんだわ」

「消石散……?」

 硝石は、漢方の世界において「消石」と呼ばれる生薬になる。漢方の古典では「固いものを砕く」とされ、体内の石(結石)を溶かし、熱を取り去る薬として使われてきた。

 生の硝石は不純物が多く、そのままでは毒性が強いため、精製が必要である。硝石を熱湯に溶かし、布で漉して土砂やゴミを取り除く。液を煮詰め、冷やすことで純度の高い硝石の結晶を取り出す。取り出した純粋な硝石の結晶を細かく砕き、胃を保護するための「甘草」や利尿作用を助ける「滑石(かっせき)」を混ぜて散剤にする。

 この世界に「消石散」があるのかはわからないが、硝石の薬効自体は知られていると考えていいだろう。


「去勢の後遺症を和らげるために、火薬の原料を飲んでいた。これが結果的にあなたをほぼ即死の猛毒から救ったのよ。……皮肉なものね。持病が命を繋ぎ止めるなんて」

 凜華の言葉の意味を徐々に理解した文伯は、震える両手で顔を覆った。今度は声を出して慟哭した。

「ああ……あああっ! 永叔……! 病気の俺だけが助かるなんて。お前は健康だったのに。あんまりじゃないか」

 老宦官の泣き声が、冷たい石壁に反響する。

 命は救われた。凜華の証言によって無実も証明できる。

 だが、半世紀近くを共に生きた義兄弟を失い、深く傷ついた彼の心を癒す薬はどこにも存在しない。


 凜華は顔を上げると、病舎の小さな窓から外を睨みつけた。

「あなたが無実なら、永叔さんを……あるいはあなたたちをまとめて殺そうとした『真犯人』が、まだどこかにいるってことよ。捜査や逮捕は刑部の仕事。とにかく陛下に報告しなきゃ」




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