第59話 こっちの薬は元祖の大陸式みたい<中>
現場に到着すると、中年の女官が腹を抱え、うめき声を上げながら激しくのたうち回っていた。
顔面は土気色で、口の端からは止めどなく涎が垂れていた。
「失礼します!」
凜華は女官の元へ滑り込むと、脈をとり、瞳孔を確認し、吐瀉物の臭いを嗅いだ。
「……激しい吐き気に腹痛、異常な流涎。四肢の痙攣。神経に作用しつつ、消化器系を激しく荒らすタイプか」
但娘が、呼びにきた女官に尋ねる。
「苦しみ出す直前に食べたものは何?」
女官が、震える指で卓上の小鉢を指差した。
「そ、そこの……中庭の菜園で摘んできた『韭菜』の炒め物です」
「韭菜……ああ、ニラね」
凜華は小鉢の中身を箸でつまみ上げ、匂いを嗅ぎ、葉の形状を確認した。
「……強烈なニラの匂いがない。微かなぬめりと、球根の欠片……植物性の毒ね」
凜華は、様子を見に集まってきた女官たちに指示を飛ばした。
「厨房に走って、濃いめの『塩水』を大量に作って持ってきて。それから、卵の『卵白』と『牛乳』をあるだけ全部! 大急ぎで!」
「はいいっ!」
女たちが飛び出してゆく。
運ばれてきた濃い塩水を、凜華は女官の口へと流し込んだ。強烈な塩分が胃粘膜を刺激し、女官は再び胃液の混じった吐瀉物をぶちまけた。
「よし、あらかた吐かせたわ。次はこれよ」
胃洗浄が終わると、凜華は続けて丼になみなみと注がれた牛乳と卵白を無理やり飲み込ませた。
「卵と牛乳を飲ませるの? なんで?」と但娘が尋ねる。
「時間稼ぎよ。植物性の毒の多くは『アルカロイド』ていう成分でできてるの。卵白や牛乳に含まれるタンパク質は、胃の中でこのアルカロイドと結合して固まる性質がある。牛乳が荒れた胃の壁をコーティングして、毒が血液に溶け出すスピードをわずかに遅らせてくれる」
凜華は確信を持って振り向いた。
「但娘。さっき言ってた『緑豆甘草湯』の出番よ。私も手伝うから作って」
「わかった」
但娘はすぐさま薬箱を開けた。その手がピタリと止まる。
「……あ。いけない。緑豆がなかった」
「ええっ……肝心な時に持ってないわけ?」
「家の薬棚になら山ほどあるけど。だめね。取りに戻ってから水で煮出していては間に合わない」
青ざめる但娘。湯液は、生薬を水から煮出すのに致命的なタイムラグを生む。
胃洗浄と卵白、牛乳の応急処置だけでは、毒はいずれ全身に回りかねない。
「こんな時、すぐ飲ませられる万能の解毒剤があれば」
凜華は悔しそうに唇を噛んだその時、但娘の瞳に焦りとは違う鋭い知性の光が宿った。
「……待って。文献で読んだだけだけど、代わりになるものがあるかも。あそこならあるはず!」
但娘は薬箱を掴むと、部屋を飛び出した。
「え? 待ってよ但娘! どうするつもりなの?」
凜華の叫びを背に受けながら、但娘は後宮の南の方へ全力疾走していった。
但娘が飛び込んだのは染織房だった。藍染めの巨大な甕がいくつも並び、ツンとした特有の発酵臭が立ち込めている。
染織女たちが何事かと驚いて手を止める中、但娘は工房の隅、染料の原料として山のように積まれていた土まみれの根――「板藍根」を迷わず掴み取った。
息を切らして追いついた凜華に向かって、但娘は板藍根を掲げて見せた。
「これよ。あんたが作った解毒剤……『紺青』のことを思い出したの。青の力よ」
「え、何言ってるの。プルシャンブルーは、タリウム中毒にしか効かないよ。あれは化学反応で毒を吸着するもので植物性の毒に効くわけじゃ……」
凜華が懸命に説明するが、但娘は聞く耳を持たなかった。板藍根を水桶に突っ込んで手早く洗う。
作業台にあった手頃な石を掴むと、生の板藍根を力任せに叩き潰し始めたのである。
ガンッ、ガンッと鈍い音が工房に響く。
飛び散る水と根の破片。やがて台に溢れ出してきたのは濁った青紫色の汁であった。
板藍根は強力な抗菌・抗ウイルス作用や解毒作用を持つ生薬だが、通常は乾燥させて煮出すものである。生のまま汁を搾るのは常軌を逸していた。
「我が家の調合書には、『生の根の汁』こそが最強の解毒作用を持つと記されていた。私はそれを信じる」
但娘は、その濁った青紫の汁を手近にあった清潔な布で手早く濾し、椀に受け止めた。
そして、薬箱からあるものを取り出した。一匹の干からびたサソリ、全蝎である。
「ちょっと! サソリを……毒虫を混ぜるというの?」
凜華が血相を変えて駆け寄り、止めようとした。
「患者は今、毒で胃の炎症がひどいのよ。そんな刺激物を生汁に入れたら余計に悪化するわ」
但娘は、凜華の手をピシャリと払い除けた。
「炎症じゃない。彼女を苦しめている一番の原因は、四肢の痙攣、神経の震え。毒を以て震えを制す。それが周家に伝わる生きた処方なの」




