第58話 こっちの薬は元祖の大陸式みたい<上>
さて、現代の日本人が重宝する「漢方薬」なる代物だが、本家本元の中国で「漢方をくれ」と言っても通じないのはご存知だろうか。
漢方は中国の伝統医学と日本の伝統医学のハイブリッドであり、日本で生まれ発展したものである。「漢方」自体が和製漢語で、オランダから伝わった西洋医学「蘭学」と区別するために作られた。
東洋医学という括りでは兄弟みたいなものだが、中国の中医学、韓国の韓医学、ベトナムの東医学とも異なる独自の医学である。
凜華の住居房では、その日「勉強会」が開かれていた。
卓を挟んで凜華の向かいに座っているのは、先春殿の若き才女・周但娘である。
今日は梅妃の使いではなく、自分の意志で凜華の元へやってきたのだった。表向きは自身の勉強のためであるが、別の思惑もあった。
この国の医療を独占している五大医家も無能の集まりではない。
謎の業病で死を待つばかりだった秋淵邑主を凜華が見事に治したことは、彼らにもすぐに伝わった。
邑主は髪を失ってしまったが、今ではすっかり元気になり、市場に出かけていって珍しい食材を爆買いしたり、馬に乗って領地の邑へ出かけたり、母親の趙夫人と共に温泉旅行に行ったりと充実した日々を送っている。
夫の大官は、急に活動的になった妻に困惑し「外に男ができたのか?」と慌てふためいているという。
周家は、凜華がこれまでにみせた中毒の看破、解毒方法から「あの女は自分たちの体系にない高度な医学知識を有している」と正確にアタリをつけていた。
他家に先んじて手を打ち、身内である但娘を送り込むことで凜華の知識の底を探ろうとしていた。
だが、凜華もさるものである。
「情報交換はギブアンドテイクだから。私の知識が欲しいなら、そっちの薬のことも教えてね」
と図太く交渉に出た。文字の読み書きを習い、この国の医学を吸収すべく逆利用する気満々でいる。
但娘も知識こそが最大の武器であり、財産であることは承知している。実家はそれで財を築き、太医となって権力を得たのだ。凜華の要求はもっともだと考えた。
かくして始まった勉強会。
まずは但娘が、この国の薬について話し始めた。
薬の処方は基本的にオーダーメイドであり、その日の患者の体調に合わせて何十種類もの生薬から足し引きをしてオリジナルのものを作る。薬湯、煎じ薬にして飲ませることを説明した。
但娘の話に、凜華は合点したように呟いた。
「はーん、こっちは元祖で大陸式なんだ」
「大陸式って何よ」
「独り言だから。気にしないで」
中医学では、生薬をグツグツと土瓶で煮出して成分を抽出する液体の「湯液」が主流を占めるのに対し、海を渡って独自のガラパゴス的進化を遂げた日本の漢方は、成分を粉末にした「散剤」の形をとることが多い。
薬はパッケージ化されており、医師や患者が症状に合わせて選ぶスタイルだ。生薬の成分をあますところなく煮出す大陸の主体性に対して、粉にしてパクリと飲み込む島国の合理性……と断じるのは乱暴かもしれないが、医学的アプローチの違いがある。
但娘は、凜華の話に素直に感心した。
「ふーん。あんたの故郷では、薬は粉にして飲むのが主流なんだ。でもそれじゃ生薬の持つ本来の『気』が損なわれてしまわない?」
「そこは配合と抽出技術の工夫でカバーするのよ。粉末の方が持ち運びに便利だし、長期保存も効く。何より、いちいち何時間も火の番をして煮出さなくていいのが最大のメリット」
「めりっと?」
「利点よ、利点」
とはいっても、凜華もこの国の抽出や精製技術を考えれば煎じ薬が一番作りやすいだろうと考えている。
「で、但娘ちゃん。解毒といえば、こっちでは何を使うのが一般的なの?」
但娘は露骨に嫌そうな顔をした。
「ちゃん付けとか気持ち悪いからやめて。植物性の毒や食あたりなら『緑豆甘草湯』が定石ね」
「何それ。初めて聞くわ」凜華は思わず身を乗り出した。
但娘は、手元の木簡に筆でサラサラと文字を書きつけながら解説を始めた。
「緑豆は体内の熱を冷まして毒を下す作用があり、甘草は百薬の毒を解し諸々の生薬を調和させる。これを水からじっくりと煮出し、その汁を飲ませる」
「緑豆? ああ、モヤシの種のこと? それが解毒に効くなんて、どの古典にも書いてなかったけどな。食材か豆料理だと思っていた」
凜華は、文字を覚えながらうーむと唸った。
緑豆自体は知っているが、これは乾燥した環境を好むため日本の高温多湿な気候では栽培が難しい。日本で流通している緑豆はほぼすべてが輸入品である。食材という認識が強く、生薬と考えたことはなかった。
凜華の前世における専門は、あくまで「漢方薬学」である。漢方は「傷寒雑病論」などの古典に基づいた処方が中心。緑豆甘草湯は、現代日本の一般的な「漢方薬」のリストには含まれない。
中医学に関しては基礎的な知識のみで、本場の大陸で培われた膨大な湯液のバリエーションや、風土に根ざした生薬のブレンド術については殆どわからなかった。
大学時代に師事した漢方薬学科の教授は、中医学の文献にも精通してた。先生が今ここにいてくれたら、もっとスムーズに理解できそうなのに……と思わないでもない。
己の知識の偏りを痛感しつつも、凜華が緑豆の効能について真面目に木簡へメモを取った、その時である。
「た、大変です! 薬師さまはおられませんか!」
ドタドタと慌ただしい足音がして、年若い女官が駆けこんできた。
「せ、先輩が! 食事の最中に、毒を盛られてしまい……。ひどく苦しんでいます!」
凜華と但娘は、弾かれたように立ち上がった。
「お妃さまの毒見でもしたの?」
「いいえ、部屋でご飯を食べていたら毒が……」
「ご飯を食べていただけ?」
凜華は訝しんだ。貴人の毒見でもないのに、女官の食事にわざわざ毒を盛る状況がわからない。
「ただの食中毒じゃなくて?」
と言いつつも、迷っている暇はない。
「但娘、薬箱を持って。走るわよ!」
「わかった!」
但娘も持参した自前の薬箱を引き寄せる。
彼女は女であるという理由で薬師にはなれず、周家の男子に与えられる漆塗りの薬箱を持つことはできなかった。
それでも諦めきれず、二段重ねの小物入れに細かく仕切りを作って薬を入れ、隠し持っていたのだが……。
今は後宮にいる医家の娘という扱いになり、携帯することを許されている。風呂敷のような布にくるんで、持ってきたのだった。
勉強会は中断になってしまったが、救急患者が出たなら現場で実践あるのみ。二人は薬箱を掴んで駆け出した。




