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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第55話 声が出ない歌姫に効く喉薬とは<二>

 翌日の夜。

 凜華は、梅妃経由で来た化粧品の注文書を前に「やったあ! いっぱい売れた」とほくそ笑んでいた。

 先春殿に持ち込んだ化粧品は即日完売し、さらに追加で大量の注文が入った。

 今現在も研究費が潤沢とは言いがたいが、謝礼金や化粧品の売り上げで自転車操業からは脱出しつつある。

 寿寿も満面の笑みを浮かべた。

「凜華さん、よかったですね。明日から山ほど豚の脂を溶かさないと」

「うん、材料も仕入れなくちゃ」


 凜華は、薬師房の素材一覧表と最新の価格表(時価)を真剣に見比べた。まだ読めない字もあって、慎重に慎重を重ねて検討する。

 材料一つとっても、現代日本とこちらでは価値が異なるものが多い。薬と認識されてないものは激安だし、逆に「なんでこれが?」と思うものが高価だったりする。

 市場の供給量の問題だったり、この国では採れないものだったりするからだろうが細かい理由はわからない。

 個人事業主になって初めてわかった仕入れや在庫管理の難しさ。今更ながら、「調達」や「流通管理」は専門性の高い難しい仕事であることを思い知る。製薬会社にいた頃は、本当に致せり尽くせりだったのだ。

「転生しなきゃ永遠にわからなかったなあ」

「何がです?」寿寿が独り言に反応する。

「ううん、こっちの話」

 値段と単位に気をつけないと……と気を引き締めながら凜華は一覧表を置いた。寿寿と納品準備を始めた。


 そこへ、章台殿から使いの侍女がやってきた。侍女は部屋に入るなり、その場にがばりと平伏した。

「皇帝陛下の薬師さま。緊急のことが起きまして。どうか私の主人、柳妃さまをお救いください」

「何? 毒でも盛られたの?」

「い、いえ……そうではないのですが。声が、柳妃さまのお声が出なくなってしまったのです」

「声……ねえ。明日じゃだめ?」

「今すぐおいでいただきたく」

 夜もだいぶ更けているのに、事情があるのか侍女は必死である。凜華が行くと言わなければ帰りそうにない。

 凜華は早々に諦めた。化粧品の注文書には、柳妃らしき名前もあった。お茶会での付き合いかもしれないが、彼女も化粧品を買ってくれたのである。楚家の姫であり、大事なお客が自分を指名しているとなれば行くしかない。

 手燭を持ち、薬箱を引っ掴むと侍女について外に出た。後宮の北東に位置する章台殿へと足を運んだ。


 煌びやかな他の殿舎とは違い、どこか寒々しい空気が漂う章台殿。

 奥の寝所で、柳妃はひどく怯えた小鳥のように震えていた。

「太医には診せたの?」

 凜華が一応にも尋ねると、侍女は悲しそうに俯いた。

「はい。以前から柳妃さまの調子はお悪く。すぐに太医を呼びました。ですが、『気血の滞り』だの『風邪(ふうじゃ)の侵入』だのと言うばかりで、原因がよくわからず……。何人か来ていただいたのですが、どうにもならなくて」

「匙を投げられたってことか」

「昨日の夜からは、まったくお声が出なくなってしまい。陛下の生誕の宴は三日後です。このままでは、陛下の御前で歌うことができず……柳妃さまのお立場が悪くなってしまいます」

 困り果てた侍女は後宮内をあちこち歩いて聞いて回り、とうとう凜華の元へやってきたのだった。


 凜華は寝台に近づくと、柳妃の顎をクイと持ち上げた。

「柳妃さま、口を開けて。『あー』って言ってみて」

「……っ、あ……」

 柳妃の口からは、風が漏れるような音しか出なかった。

 顔を注意深く観察する。喉の奥を覗き込んだ凜華は、ふむと目を細めた。


「按ずるに……これはかなりわかりやすいわね」

「……?」柳妃も侍女もきょとんとする。

「柳妃さま、最近鏡で自分の顔を見てます?」

 柳妃は、少し考えてから首を横に振った。声が出にくくなってからというもの、日夜不安に苛まれ、鏡を見る余裕はなかった。洗顔や化粧もすべて侍女に任せていた。


 凜華は鏡台に置いてあった手鏡を手にとった。

 手元の灯りと共に、柳妃の顔へ近づけた。

「ほら、見てみなさい。あなたの目、やけにキラキラして潤んでいるように見えるでしょ? これは『瞳孔の散大』よ。光を眩しく感じない?」

「……」柳妃はこくこくと頷いた。

「それに、さっきからしきりに唇を舐めているわね。口の中がカラカラに乾いて、唾液がまったく出ていないのかな。心因性のストレスもありそうだけど、それ以上に明白な『中毒症状』が出ているわ」

 瞳孔の異常な開きと、極端な口渇(こうかつ)。それは、ある特定の植物毒による明白なサインだった。

「あなた、普段から喉のために何か特別な……薬かなんかを飲んでない?」

 凜華が問いただすと、傍らに控えていた侍女がハッとして口を押さえた。

「そ、それは……柳妃さまは歌姫ですので。喉は常にお手入れされております。咳をピタリと止め美声を保つ『魔法の喉薬』を愛用されています。蜜を練り込んだ薬草の丸薬です」

「やっぱりね。その魔法の喉薬に入っているのはおそらく『莨菪根(ろうとうこん)』よ。別名ハシリドコロとも呼ばれるナス科の有毒植物の根っこね。毒かというと微妙なラインだけど」


 凜華は手早く薬箱を開きながら、解説を始めた。

「莨菪根は、昔から鎮痛剤や咳止めとして使われてきた。でも、これには強力なアトロピン成分が含まれていて副交感神経を遮断する。……つまり『体中のあらゆる分泌液を強制的にストップさせる』という極端な副作用があるのよ」

「分泌液ですか……」

「そう。咳を止めるし、痰も切る。でも同時に、唾液も胃液も声帯を保護するための粘液も全部カラカラに乾かしちゃう。声帯っていうのはね、表面が十分な潤いを持った粘液で覆われていて初めて、空気を震わせて振動する。あなたはアトロピンの過剰摂取で、自分の喉を砂漠みたいに乾燥させちゃったの。潤いのないカピカピの声帯が擦れ合っても音なんか出ない」


 柳妃は血の気が引いた顔で、自分の喉元を両手で覆った。

 良かれと思って飲んでいた「喉薬」が、自らの生命線である美声を失わせる原因だったなんて。

 過剰に開いた瞳孔から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「泣いてる暇はないわよ。三日後なんでしょ、本番は」

 凜華はテキパキと薬箱から数種類の生薬を取り出し、乳鉢でゴリゴリとすり潰し始めた。


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