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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第51話 飲むだけで痩せる薬なんてないから<四>

 解毒の処置を終えると、凜華は部屋に入ってきた但娘に解毒剤を飲ませたことを説明した。但娘は興味深そうに、寛姫の寝顔を眺めた。

 先春殿に戻るというので、凜華は但娘を入口まで送っていった。

 玄関を出て行きかけたところで、但娘が振り返った。

「趙夫人にはびっくりしたけど、勉強になったわ。青い解毒剤なんて初めて見たし」

「うん。夫人を押さえてくれてありがとう。助かった」

「あんたはこれからどうすんのよ」

 但娘の問いに、凜華は当然のように答えた。

「私はここに残るよ。寛姫さんを診てなくちゃいけないし、陛下が戻ってくるかもしれないし。だったら傍にいなくちゃ」

 凜華があまりにもさらっと言ったので、但娘は理解するのに数秒の間を要した。それからプッと吹き出した。

「はっ……すっかり女房ヅラね。ここは陛下の在所でしょ。いつからあんたの家になったのよ。侍妾ってのは、大層なご身分だこと」

「違うよ。私は薬師だから」むきになって言い返す凜華に、但娘はにやにやと笑った。

「はいはい。ノロケるのも大概にね。そういうことは、お妃さま方の前では言わない方が身のためよ。何様だと張り倒されるわよ。下手すりゃ刺されるから」

「……ノロケてないのに」

「私は優しいから、梅妃さまには黙っていてあげる。じゃあね」

 但娘は背中を向けたまま、ひらひらと手を振った。


 凜華は送りがてら長楽殿の庭に出て、石造りの長椅子に腰を下ろした。ふうと一息つく。

 外廷の方を見る。夜が更けても、景雲が戻ってくる気配はない。視界を時折横切る宦官たちも静かだ。これが皇帝のお渡りとなると、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。

 彼らが落ち着いているということは、今夜景雲は来ない。外廷で休むのだろう。


 不思議だ、と凜華は思う。後宮の中心である長楽殿は夜通し明るいけれど、主の皇帝がいないとどうにも活気がなく、火が消えたようだ。

 来ないなら来ないで手持ち無沙汰というか、胸にぽっかり穴が空いたような気分になる。気楽だが、何か物足りない。

 頬を撫でる夜風が心地よい。凜華は両腕を上に突き出すと、うーんと大きく伸びをした。

 そこへ、寛姫の寝顔を見届けたのか、趙夫人が足音を忍ばせて歩み寄ってきた。

「ここにいたのかい。……さっきは、取り乱してすまなかったね」

 先ほどのヒステリックな声が嘘のように、夫人の声はひどく掠れ、疲れ切っていた。凜華は「いいですよ」とだけ言い、隣の席を勧めた。


 趙夫人は力なく腰を下ろし、赤い灯篭が照らし出す庭の木々をぼんやりと見つめた。

「親ばかが過ぎると思うだろうけど、私にはもうあの子しかいないんだよ。婿殿は、娘が太っただの醜いだのと蔑んで若い女と遊んでいるしね。あの子を守ってやれるのは、私しかいないんだ」

 寂しそうに笑う夫人の横顔には、宮中の荒波の中を生き抜いてきた女の凄みと深い失望が刻まれていた。

「過食も何度も止めたんだよ……。いくら食べてもちっとも美味しそうじゃなかったしね。きつく叱ると、隠れて食べるようになってしまって。娘に邪険にされると私も辛くて、ついつい許してしまった。あれも病気だね。どんなに腹を満たしても、埋まらないものがあるんだろう」

 夫人は溜息をつき、自嘲気味に続けた。

「後宮に入ったり地方へ行ったりするよりはマシ、大官の正妻なら幸せになれると信じて降嫁させたけど……女はどこに嫁いでも同じだね。男の愛情一つに命運を握られる哀れな生き物さ」

 その言葉は、趙夫人自身の身上から絞り出された本音であった。彼女もまた皇族に嫁いだが、所詮は大勢いる側室のうちの一人。やっとの思いで授かった娘の寛姫を生き甲斐にして、必死に生きてきたのだった。


「娘にばかりべったりしてしまって。姉が生きていればまた違ったんだろうけど」

「お姉さんがいるの?」

「ああ。皇后になった姉……が私の誇りだった。姉が先帝陛下の正室として君臨していた頃は、本当にこの世の春だったんだよ」

 夫人の瞳が、遠い過去の栄華を偲ぶ。

「それが、あの方が来てからは……。坂道を転げ落ちるようで」

「あの方って?」

 凜華が尋ねると、趙夫人は一瞬口ごもった後、呪詛を吐き出すようにその名を口にした。

「銀瑛妃だよ。……本当に同じ女から見ても震えがくるほどの圧倒的な美貌だった。宮中の男で、彼女を愛さない者は一人もいないと言われたほどさ。あの方の美しさは人間離れしていた。月も空から落ちるくらいの」


 後宮どころか宮廷も席捲した伝説の美女。

 凜華はふと疑問を覚えた。

「お姉さんの趙皇后って人が陛下のお母さんなの?」

「違う」趙夫人はかぶりを振り、重苦しい声で答えた。

「陛下は、銀瑛妃の御子さ。もうね、あの方は母親の生き写し。丸っきり同じだよ。射抜くような冷たい瞳も、傲慢なまでの美しさもね。だから、理屈では別人だとわかっていてもね……。陛下を見るたびに、姉の無念を思い出してどうしても感情的になってしまうんだ。情けないね」

 なるほど、と凜華は腑に落ちた。

「陛下はお母さん似なんだ。だからあんなに顔がいいのか」

 景雲と趙夫人の間には、親の代から続くドロドロの愛憎劇やら派閥争いやらがあったのだ。景雲の人を寄せつけない冷徹さは、女たちの情念が渦巻く後宮で育った影響もあるのかもしれない。


「まあ、私は自分の人生はもうどうでもいいんだ」

 趙夫人はバチンと両手で自分の頬を叩いた。

 今までの沈鬱な空気はどこへやら、彼女の目にギラギラとした闘志が宿る。

「だがね、ふざけた商人! 薄情な婿と娘に毒を売りつけた奴らだけは絶対に許さないからね」

「旦那はとばっちりな気がするけどなあ……」

「そうかい?」

「丸薬に後からタリウムを混ぜたとは思えないし。それに旦那が強制して飲ませたわけじゃないでしょ」

「じゃあ、婿殿はいい。とにかくあのクソ商人は地の果てまで追い詰めて絶対に殺す!」

 変わり身の早さに凜華は苦笑するしかない。

「ははっ、元気だなあ。お母さんがそれだけ元気なら、寛姫さんもすぐ良くなるよ」

「当たり前だ。私が産んだんだから。趙家の女を舐めるんじゃないよ!」

 権謀術数が渦巻く宮廷の片隅にありながら、母の愛はどんな猛毒よりも強烈なエネルギーを放っていた。

「その調子、その調子」

 凜華は笑いながら空を見上げた。若干面倒くさそうではあるが、この親子と一緒にいて退屈はしなさそうだと思った。


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