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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第48話 飲むだけで痩せる薬なんてないから<一>

 さて、古今東西、女性が己の肉体を削り落とすために払ってきた犠牲の歴史を紐解けば、正気の沙汰とは思えぬ喜劇と悲劇の連続である。十九世紀の西洋では、ほっそりとした細腰を手に入れるため、サナダムシの卵を飲んで腸で飼う貴婦人もいた。

 さらに「飲むだけで痩せる」という魔法のような(そして大抵は致死性の毒が仕込まれた)謳い文句は、女たちの理性をいとも容易く麻痺させてきた。

 己の健康という最大の資本を売り払ってでも、鏡の中の幻影を追う――ダイエットとは、かくも業の深い切実なものなのである。


 秋淵邑主(しゅうえんゆうしゅ)寛姫(かんき)は、絶望のどん底で重いため息をついた。

 降嫁先である大官は大金持ちで、何不自由なく暮らせたが、今の彼女にとっては息の詰まる牢獄も同然であった。

 寛姫は元来、大の甘いもの好きである。さらに美食家でもあったため、砂糖や油をふんだんに使った食事や菓子を頬張るうちに、その体躯はすっかり丸々と膨れ上がってしまった。

「我が妻は少々丸くなりすぎではないか。まるで豚のようではないか」

 夫である大官の嘲笑は、寛姫の心をズタズタに引き裂いた。かつては帝族の姫君として(かしず)かれていたというのに、今や夫の関心も愛も失われ、屋敷の中はしなやかな体つきの若い妾たちが幅をきかせている。

 すれ違うたびに向けられる、女たちの優越感に満ちた視線。それに耐えきれなくなった寛姫は自室に引き籠もり、惨めさを紛らわせるために菓子を胃袋に詰め込むという地獄のような悪循環に陥っていた。


 そんな彼女の前に、一人の西域商人が現れたのは天啓か、それとも罠か。

「邑主さま。西の果てより、奇跡の秘薬をお持ちいたしました。その名も『飛天仙露丸(ひてんせんろがん)』。これを服用すれば、体内の不要な肉は溶けるように落ち、御身は天を舞う仙女の如く羽のように軽くなりましょう」

 怪しげな商人の甘言を、寛姫はすがりつくように信じた。

 はたして、薬の効果は劇的であった。服用を始めてからというもの、食欲は嘘のように消え失せ、体重はみるみるうちに落ちていった。鏡を見るたびに、顔の輪郭が鋭さを取り戻していくことに寛姫は狂喜した。

「これで夫の愛を取り戻せる。妾たちを見返してやれる」と確信した。

 だが、ある朝、目覚めた寛姫を「呪い」が襲った。

 いつものように侍女に髪を梳かせようとした時である。

 柘植(つげ)の櫛を通した瞬間、自慢であった艶やかな黒髪が、なんの抵抗もなくごっそりと根元から抜け落ちたのだ。

「え……?」

 悲鳴を上げる間もなく、手で頭を押さえるだけで髪が滑り落ちていく。ほんの数分の間に、豪華な寝台の上は剥がれ落ちた真っ黒な毛の海と化した。


 呼ばれた薬師は大量の抜け毛と憔悴しきった寛姫の脈を診て、したり顔でこう告げた。

「これは……『血熱生風(けつねつしょうふ)』あるいは『腎虚(じんきょ)』の極みにございますな。血にこもった熱が風を生んで毛根を枯らしたのです。また髪は腎の華ゆえ、生命力が衰えている証拠。すぐに熱を冷まし、腎を補う生薬を……」

 しかし、薬師の処方した高価な薬をいくら煎じて飲ませても症状は一向に改善しない。それどころか寛姫の病状は日を追うごとに重く、凄惨なものになっていった。


 娘の異変に半狂乱となったのが、同居している母の趙夫人(ちょうふじん)である。趙夫人は、先帝の四番目の皇后であった趙皇后の妹だった。

 彼女にとって、変わり果てた娘の姿は正視に耐えないものであった。

「これはいかなる業病か。いや、あの薄情な婿殿が、娘を殺して妾を正妻に据えようと毒を盛ったに違いない」

 寛姫は自らの意思で「痩せ薬」に手を出したのだが、娘を溺愛する趙夫人は「夫による毒殺未遂」という陰謀論にすっかり憑りつかれてしまったのだった。


 寛姫は、現皇帝・景雲の従兄(いとこ)(めい)にあたり、今も皇族の地位を有している。趙夫人はついに屋敷を飛び出し、宮城へ走った。皇帝に直訴し、泣きついたのである。

「陛下、伏してお願いいたします。娘の身の安全のため、どうか後宮に入れて匿ってくださいませ。陛下は凜華という凄腕の薬師を囲っておられるとか。その者に娘を診せ、この恐ろしい病を治していただきたいのです」

 玉座の前で床に額を擦り付け、化粧をドロドロに崩して懇願する趙夫人を景雲は冷ややかに見下ろした。

「趙夫人、後宮は医家でも薬師房でもない。邑主が病に伏したというなら、太医を派遣しよう。それで事足りるはずだ」

 景雲が渋ると趙夫人は顔を上げ、仇でも見るようにぎっと睨みつけた。

「いいえ、承服しかねます。私どもが呼んだ薬師も五大医家の者でしたが、娘を治すことはできず。どうか、お慈悲を賜りたく。私は趙家の生まれ。先帝陛下が、皇后の……我が姉にしたむごいお仕打ちを思えば……! 銀瑛妃(ぎんえいひ)さまがご寵愛を受けなければ、我が一族が零落することも……」

 景雲の美貌に陰りがさす。

「それが今回の件と何の関係がある」

「お願いでございます。さぞかし年甲斐のないこととお思いでしょうが、子供が親の歳を越えることはありません。幾つになっても娘は娘、私の中では可愛い幼子のままなのです。娘は私の命なのです。もし娘が死んだら、私は宮城で首を吊ります。怨霊となって末代まで祟りますから!」

 過去の権力闘争を引き合いに出してまで言い募る趙夫人に、さしもの皇帝も頭を抱えた。

 同時に、彼は密かに秋淵邑主を羨ましく思った。

 寛姫はすでに三十の半ばを越えている。いい歳した中年女だ。なのに老いた母親に心配され……「私の命」とまで呼ばれて愛されている。

 母親の子供に対する深い愛情。それは、皇帝の子に生まれた景雲がついぞ得られなかったものでもあった。

「陛下、何とぞ。私はいかような罰でも受けます。どうか娘をお助けください。女の薬師にお診せください」趙夫人が再び平伏する。

「……わかった。秋淵邑主の滞在を許可する。後宮にてしばし静養するがよい」

 景雲は夫人の気迫に圧倒され、秋淵邑主の受け入れを許したのだった。



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