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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第41話 百年前から時を止めた妃の謎を解くぞ<一>

 さて、古代エジプトのミイラ職人たちが、死体をナトロン(天然重炭酸ソーダ)に漬け込んで「永遠の命」を偽装しようと腐心していた頃、東洋の権力者たちも水銀やら翡翠やらを詰め込んで「腐らない肉体」という物理的な矛盾を追求していた。

 だが、科学的に見れば、死体が腐らないための条件は存外シンプルである。すなわち、細菌どもに「飯を食わせない(乾燥)」か、「息をさせない(脱酸素)」か、あるいは「毒を盛る(防腐剤)」か。このいずれかが極限状態で成立したとき、歴史の歯車から取り残された「時の止まった死体」が誕生する。


 後宮の中心から離れた北の隅に、長らく倉庫として使われてきた二階建ての楼閣があった。名を「清玲閣(せいれいかく)」という。かつては優美な建物で皇帝や妃が集う茶会も開かれたというが、今は見る影もない。

 ところが、積年の風雨の影響か、はたまた建物の老朽化が原因か、楼閣の一階にある壁の一部が音を立てて崩落したところからこの奇妙な事件は始まった。


「……何よ、この隠し扉みたいな穴は」

 発見したのは、備品整理に駆り出されていた下女たちである。崩れた壁の奥には、地下へと続く石造りの階段が口を開けていた。

 彼女たちは扉の先には進まず、すぐに上長や役人たちに報告した。

 好奇心と恐怖に駆られながら、松明を手に降りていった役人たちが目にしたのは「悪夢のような美しい光景」であった。


 秘密の地下室。

 その中央に敷かれた厚手の布の上に、一人の若い女が横たわっていた。

 彼女は、目が眩むような豪華な衣装を纏い、刺繍の施された薄い布靴を履いていた。赤みがかった金髪には黄金や銀の髪飾りが輝き、首には真珠の首飾りを巻いている。露出した肌は白磁のように白い。着ているものや装飾品からして身分の高い妃と思われた。

 何度呼びかけても反応はない。呼吸をしておらず、死んでいるようなのだが、死臭も腐敗臭も漂ってこない。身体には腐敗による崩れもどす黒い変色もない。まるで精巧に作られた等身大の陶器人形のようだった。

 彼女の傍らには、銀子が詰まった袋、どこかへ出かけるためのものだろうか、馬の手配書や古い通行手形が置かれていた。


「どうしてこんなところに女の死体が……?」

 調査に入った役人の一人がしゃがみ込み、彼女に触れようとしたその時である。

 突然、彼は「カハッ」と短い息を吐き、どうっとその場に倒れた。

「どうした?」

 助け起こそうとした同僚も、顔を寄せた途端に真っ青になって昏倒する。手から落ちた松明の火は、床に落ちる前にかき消えた。

 死体の周辺は闇に包まれ、階段の上にいた男たちの悲鳴が響いた。

「呪いだ! 地下室の女の呪いだ!」

 噂はあっという間に広がり、後宮はパニックに陥った。


 地下室から助け出された役人たちは、凜華の元へ運ばれた。皇帝を眠らせる薬師、爆発事件の際の応急処置などから、緊急時は彼女に診せた方がいいことを男たちも理解していた。

 凜華は、室内の床や外に並べられた男たちの診察をした。

 怪談の類に滅法弱い寿寿は、部屋の隅でガタガタと震えながら、

「きっとその妃は屍鬼なんですよ。夜になると、人の生き血を吸うために起き出すんですよぉ!」

 と、世界観をぶち壊しにしそうな吸血鬼伝説を披露している。

 凜華は患者の脈をとりながら、冷静に言った。

「寿寿、落ち着きなさいって。死体が血を吸うには、まず心臓が動いて代謝が始まらなきゃいけないんだから。物理的に無理だって」

「意味がわかりませんよぉ……」

「生きてなきゃ血は吸えないってこと」


 診察を終えると、凜華は手を洗って息をついた。

「顔色は……典型的なチアノーゼ。でも、瞳孔の異常や特定の毒物特有の痙攣は見られない。彼らに共通しているのは、地下室の『無味無臭の何か』に触れた瞬間に気を失ったってことね」

 寿寿がそろそろと出てきて、不安そうに言った。

「呪いじゃないんですか?」

「呪いねぇ……。もし呪いなら、もっと派手な演出をすると思うんだけど。恨み言の一つも叫ばせるとか、血を吐かせるとか。倒れた人たちの症状は、ただの酸欠にしか見えないわよ」

「酸欠……」

「うん。松明の火が消えたっていうし。地下室の底に、空気より重い気体が溜まっているんじゃないかな」

「空気より重い気体?」

「悪いガスよ。例えば二酸化炭素とかね」


 按ずるに……をするまでもなく、真っ先に考えられるのは二酸化炭素である。

 清玲閣の地下室は、気密性が極めて高い石造りだった。そこには壁が崩落する以前から、地層の隙間から漏れ出した天然のガス、あるいは有機物の極めて緩やかな分解過程で発生した二酸化炭素が、出口を失って何十年も蓄積されていた可能性がある。

 二酸化炭素は酸素よりも重いため、穴の底に水のように溜まる。もし濃度が30%を超えれば、一呼吸しただけで意識を失い死に至る。無味無臭、そして透明。これほど完璧な暗殺者はいない。

 地下室に横たわっていたという女性も、おそらくは後宮の人員。妃の誰かが地下室に入り、二酸化炭素中毒で命を落としたのではなかろうか。二酸化炭素なら、死体が腐らないのも説明がつく。

 腐敗の主な原因は、酸素を好む「好気性細菌」の活動である。二酸化炭素が充満して酸素が遮断されれば、これらの菌は活動できず、腐敗は劇的に遅れる。現代世界でも食品の酸化防止に二酸化炭素が使われるのはそのためだ。


 ――が。

「うーん、なんか変だな」

 凜華は引っかかるものを覚えた。

 遺体が見つかった清玲閣の地下室は、老朽化で崩れたらしき隠し扉の向こうにあったという。そして、これまでこの地下室の存在は誰も知らなかった。

 最近起きた事故だとしても、皇帝の妃と思われる女性が、そんなところに何をしに行ったのだろう。


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