第39話 金遣いが荒すぎると怒られちゃった<上>
さて、秦の始皇帝が徐福に大艦隊を授けて不老不死の霊薬を求めさせた故事を引くまでもなく、権力者が「薬」という名の夢に注ぎ込む金というものは、古今東西、国家の財政を傾かせるに足る破壊力を持っている。
絶世の美女が微笑み一つで国を滅ぼす「傾国」の徒であるならば、後宮薬師の凜華は、発注書一枚で国庫の底を突き抜けさせる「傾財」の徒であるといえるか。
もっとも本人は、真珠を粉にするのを「贅沢」ではなく「単なる成分抽出」だと言い張るのだが。
清心殿の奥深くの私室にて、景雲は絃楠から秘密裏に報告を受けていた。先日の「黒蝋玉印」盗難事件の背後を探るべく、景雲は玉印を造った職人たちの行方を追っていた。
職人たちは、かつては尚方監に所属していたはずだった。
本来であれば在籍記録なり、玉印の製造記録なりが残っているはずなのだが。
「あの文字を掘った職人たちは今どこにいるのだ。彼らは、玉印について何か知っているはずだ」
景雲の問いに、絃楠が答える。
「調べましたところ……全員、先帝陛下がお連れになったようです」
「連れていった、か」景雲の顔に落胆が浮かぶ。
「はい。陛下もご存じのはずです。あの御方は秘密を共有するよりも埋めてしまう方を好まれました」
「……そうだな」
景雲は深く溜息をつき、椅子の背にぐったりともたれかかった。
玉印に隠されていた文字――その意図を知る者は、もはやこの地上には存在しない。そう考えるべきだろう。
「私も失念していた。そういうお人だった。あの殺戮から生き延びたのは……絃楠、お前だけだったな」
「……」
絃楠は何も答えず、じっと下を向いている。布に隠れた表情は伺い知れない。
「もうよい。行け」
景雲が退室を命じると、静かに一礼し、闇へと消えた。
翌朝、重苦しい夜の余韻を打ち破るように、太医長・顧成を筆頭とする太医の一団が、玉座の景雲の元へ押し寄せてきた。
彼らの顔には「正義の鉄槌を下しに来ました」と言わんばかりの、慇懃無礼な決意が張り付いている。
「陛下、お耳に入れたき儀がございます。自称薬師の凜華殿に与えられている、破格の待遇についてでございます」
顧成が進み出て、震える声で諫言した。
「彼女は薬師房の、それも極めて希少な生薬を湯水のごとく消費しております。それなのに、陛下は太医にこそ下賜されるべき豪華な薬箱までお与えになり……」
景雲が鋭く遮る。
「それがどうした。余が誰に何を与えようが勝手だ」
「いいえ。臣ら太医一同、もはや看過いたしかねます。奥で医術の真似事をしているだけならようございましたが、先日は外廷にまでお出しになったとか。これでは我らの面目は丸潰れでございます」
「あれは後宮の女。薬師とはいえ、お前たちの職務領域を侵したわけではない。先日も、尚方監へ行く際に伴っただけだ」
厳しい箝口令が敷かれているため、尚方監にいる者たちが玉印について漏らすことはない。漏らせば家族ともども命はない。表向きは、皇帝が愛妾を伴い、彼女に与えるための金銀宝石の細工物を作る工房を見学したことになっていた。
顧成が皺の刻まれた顔を紅潮させて叫ぶ。
「どうか、凜華殿に与えられている法外な待遇を撤回していただきたく。陛下、妖術を操る異国の女にたぶらかされてはなりませぬ。このままでは薬代で国が傾きますぞ。目をお覚ましくだされ」
景雲の目は、覚めるどころか冷ややかに細められた。
「……国が傾くだと? たかだか女一人が薬を煎じる程度で潰れるほど王朝の屋台骨は脆くない。それに顧成、貴様らは余の持病を十年以上も治せなかったではないか。凜華の知識を妖術と呼ぶ前に、己の無能を恥じたらどうだ」
容赦のない言葉に、太医たちは一瞬怯んだが顧成は退かなかった。
「そ、それは……しかし、あのような出処不明の知識は妖術、いかがわしい魔術に他なりませぬ。陛下、医術とは伝統と研鑽と秩序のたまもの。怪しげな術に大金を投じるのは、先祖代々の教えに背く行為にございます」
「黙れ。薬師房の薬も道具も、余の許可の元、国費で購入したものだ。貴様らが口を挟むことではない。……下がれ。二度と同じ不平を口にするな」
景雲の一喝により、太医たちはしぶしぶと退出していった。
景雲の心に新たな懸念が芽生える。これほどまでに男たちの嫉妬を買う凜華を、外の世界に出したら一体どうなってしまうのか。それこそ毒を盛られるか、背中から刺されるのが関の山だ。
やはり、後宮に閉じ込めておくのが最善なのではないか。
景雲は、傍らに控えていた李元に命じた。
「李元、念のためだ。凜華がこれまでに発注した品物の一覧を持ってまいれ。太医どもが『国が傾く』などと大袈裟に騒ぐ理由を、この目で確かめておかねばならん」
「はっ、かしこまりました。実は私も驚いておりまして……。請求書を五度見した次第です」
「五度見?」
しばらくして、李元は凜華が注文した品の目録や請求書である木簡を持ってきた。
差し出された木簡を眺めた景雲は仰天した。
「……なんだ、この数字は。桁が一つ、いや二つ間違っていないか?」
「いいえ。私もそう思い何度も計算し直させましたが、合っているようです……」
食い入るように木簡に目を凝らす。読み進めるほどに、景雲の顔は引きつっていった。




