第33話 皇帝の服を染める工房が爆発しちゃった<四>
翌日。凜華は薬箱を肩に掛け、火傷をした女官が療養している宿舎へと往診に向かった。
部屋に入ると、そこにはなぜか周但娘の姿があった。
「あら、但娘。あんたも来てたの?」
但娘は凜華を見ると、ゲエッと蛙を潰したような声をあげた。
「ち、違うわよ」
「何が違うのよ」
「私も火傷用の軟膏を作ったから、それを試そうと思って……」
ふーんと凜華は愉快そうに鼻を鳴らした。
「わざわざ薬を届けに来たんだ。性悪なあんたも案外いいとこあるじゃない。私の顔を巴豆で焼こ――」
「うっさいわよ! いつまでもその話で脅せると思ったら大間違いだからね。これは私の勉強のためであって、あんたのためじゃないから」
相変わらずの絵に描いたようなツンデレぶりである。
但娘が手にしていたのは、黄連や黄芩といった熱を冷ます生薬を豚の脂で練った、これもまた立派な火傷の薬であった。
「はいはい、偉いわね~。ご褒美に飴ちゃんあげる」
凜華は、懐から竹の皮にくるんだ鼈甲飴を取り出し、但娘に差し出した。
「いらないわよ!」
「え~皇帝陛下からの下賜品で、滅多に食べられない超高級品なんだけどな~」
「貰うわよ!」
但娘はひったくるように包みを奪い取ると、ぷいっとそっぽを向いて飴を口に放り込んだ。
二人のやり取りに横になった患者や、看病や見舞いで集まっていた染織女たちはクスクスと笑い声を漏らした。
凜華は患者にも飴を渡した。診察が終わると、染織女たちに昨日の爆発についての詳細な聞き込みを開始した。
「黄粉だけど、青銅の壺に入れ替える前は何に入っていたの?」
「他の染料と同じく陶器の壺です」
「陶器……ね。他に何か気づいたことはない? なんでもいいから」
女たちは困ったように顔を見合わせた。少しして、染織女の一人が思い出したように手を叩いた。
「あっ、そういえば、少し前から蓋が妙に硬くて開けにくくなったかも……」
「開けにくくなった?」
「無理やり開けたら、壺の口の周りに針のような黄色い結晶がいっぱい浮き出てこびりついていたんですよ」
「黄色い結晶……。再確認だけど、黄粉を青銅の壺に入れ替えたのは三年前だよね?」
「はい。貴重なものなので以降は入荷していません」
「もしかして倉庫内ってじめじめしてる?」
してる時もあるかな、と女は同僚たちに振り返った。染織女たちは一様に頷いた。
「古い建物なので、雨が降ると屋根から雨漏りがして……床が水浸しに。いつも桶を置いてます。上に言っても修理してもらえず困っていました」
「夏場は暑い?」
「はい、西側以外は窓がないので換気してもなかなか。倉庫内に熱気が籠もって暑いです」
倉庫内ではいつも汗だくで作業しているという。
そこまで聞いて、凜華は天を仰いだ。
……完璧だ。爆発の条件が、これでもかというほど美しく揃っているではないか。
「按ずるに……。うん、完全に理解したわ」
凜華はポンと手を叩き、周囲の女たちを見渡した。
「結論から言うと、これは呪いでも祟りでもない。100%人間の無知が引き起こした『人災』よ」
「人災、ですか?」
「そう。神龍黄粉――ピクリン酸はね、染料として陶器の壺に入れている分には安全な代物なの。でも、青銅や鉛、鉄なんかの金属と長期間触れ合わせると、化学反応を起こして『金属ピクリン酸塩』という別の物質に変化してしまうのよ」
金属ピクリン酸塩。それは極めて危険な化学物質で、強力な爆発作用がある。ピクリン酸そのものは比較的安定しているが、金属と接触すると化学反応を起こし、衝撃や熱に敏感で爆発しやすい化合物を生成してしまうのだ。
生成は短期間でできるものではなく、ある程度の年数がかかる。もっとも重要なのは湿気である。乾燥した状態では反応は遅いが、水分があるとピクリン酸が電離して金属を激しく腐食させる。夏場の籠もった熱気も化学反応を早める。
十年も放置されれば、蓋が結晶で完全に固着したり、容器の底に不安定な「針状の結晶」がびっしりと張り付いたりする。この状態の金属塩は、指で突いた程度の衝撃で爆発する。
二十年から五十年放置すると、もはや生きた地雷と化し、容れ物を動かすことすら命がけとなる。現代日本でも、廃校の理科室や放棄された旧日本軍の施設から「金属ピクリン酸塩」が見つかることがあり、機動隊の爆発物処理班が出動する騒ぎになる。
凜華は木の平板に、簡単な図を描いた。化学式を書いても理解できないだろうから、壺や太陽、水滴などを描いて説明を続けた。
「金属化した黄粉は不安定で、火薬の雷管、起爆薬並みにちょっとした衝撃や熱で爆発する。三年もの間、青銅の壺に入れられていたせいで、壺の内側には爆発物の結晶がびっしり生成されていたってわけ」
「火薬と同じ……爆発物!」
染織女たちが息を呑む。
「壺の蓋が開きにくかったのは、金属ピクリン酸塩の結晶が隙間に詰まっていたから。そして、西日がガンガン当たる窓際に置かれていたせいで、壺の温度が上がり極限まで不安定になっていた。そこへ些細な衝撃か熱が加わって大爆発を起こしたのね」
凜華はやれやれと肩をすくめた。
「先人の知恵のまま、陶器の壺に入れておけば何も起きなかった。それを、箔をつけるためだか知らないけど青銅の壺に移したから爆発した。完全に労災案件ね」
ただの「無知」と「見栄」が引き起こした絵に描いたような化学事故だった。無能な役人のくだらないメンツのせいで、現場の人間が大怪我を負わされたのだ。
凜華は今後の保存方法についても忠告した。
「今後は決して金属の器には触れさせないこと。少し水を含ませた状態で、ガラスか陶器の器に収めて涼しくて日の当たらない場所に置いておいて。そうすれば、安全に使えるから」
呪いでも悪鬼の仕業でもなく、化学的な根拠のある事故と知ると、怯えていた染織女たちは安心したように息をついた。
黙って聞いていた但娘も、凜華の説明に
「……へえ。そうなんだ。ま、悪鬼だの呪いだのは私も信じちゃいなかったけどね」
と一目置いた視線を送ってくるのだった。
その日の夜。景雲が後宮へとやってきた。
「聞いたぞ、凜華。染織房の爆発の謎を解き明かしたそうだな。よくやった」
褒めつつも、景雲は浮かない顔をしていた。
今は着替えて私服の藍色の袍を着ているが、彼が外廷での政務や宮中行事で着るのは、「神龍黄粉」で黄色に染め上げられた皇帝専用の袍だった。
「原因がわかったのはよいが……私が着ている袍は、その爆発する粉で染められているのだろう? ということは、誰かが火をつけたら即爆散というわけか。とんでもないな」
真顔で頓珍漢な心配をする景雲に、凜華は思わず噴きそうになった。
「陛下。染料として布の繊維に定着したピクリン酸は爆発しないよ。ガソリンじゃないんだから」
「ん? これは袍を用いた新手の暗殺方法ではないのか。服に火がついたら燃えるではないか」
「そりゃ燃えるよ。布なんだから、黄粉で染めてようがなかろうが燃えるよ。心配するポイントがずれてるよ」
「そうか。これは考えすぎか」
景雲はむむっと唸り、誤魔化すように咳払いをした。
「これは偶然だけど、陛下のお見舞い品もナイスプレイだったよ」
「ないすぷれい?」
「鼈甲飴が黄粉の正体を証明してくれたから」
黄色くて苦い粉なら、ベルベリン、リボフラビン(ビタミンB2)、ナリンギン、アロインなど色々ある。還元糖を用いた呈色反応でピクラミン酸になったのが、ピクリン酸だとわかる決定打だった。
「余談だけど、ピクリン酸の水溶液を薄めたものは、火傷の薬として使われていたよ。『1%ピクリン酸水溶液』ていうんだけど」
十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、特に第一次世界大戦期の野戦病院などでは、ピクリン酸水溶液は標準的な治療薬として使われていた。
「火傷させるものが、火傷の薬になるのか? 信じられん」景雲はぎょっとしている。
「ピクリン酸にはタンパク質を凝固させる作用があって、患部に黄色い皮膜を作る。外部の粉塵や細菌の感染を防いでくれるの。といっても、毒性が強くて今は使われてないけどね。私も余程のことがない限りは使わないから安心して」
「……」
なんだかよくわからないが別の意味で安心できない、と景雲は思った。凜華の知識そのものが、もはや武器であり防具でもある。
その後、凜華が解き明かした「爆発は役人の見栄による人災である」という事実も上層部へと伝えられた。
指示を出した内務府の役人は処罰され、火傷を負った女官には、特例として見舞金(労災補償のようなものか)が支払われることとなった。




