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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第32話 皇帝の服を染める工房が爆発しちゃった<三>

 謎の爆発事故を起こした染織房の現場から、黄色い粉末――神龍黄粉と呼ばれる染料を小瓶に削り取って回収した凜華は、足早に自室へと戻ってきた。早速にもうがいをして、口の中の苦味を吐き出す。

 寿寿が食事を用意して待っていた。

「お疲れさまです、凜華さん。あっちはひどい騒ぎだったみたいですね」

「まったくよ。突然の爆発に加えて、怪我人は化学火傷という最悪のコンボ。ここの労働環境はどうなってるのかしらね」

 凜華は愚痴をこぼしながらも卓についた。


 二人で遅い昼食を取り、ひと息ついていると客人がやってきた。

「凜華さま、失礼いたします」

 低く涼やかな声とともに、扉が開く。ふわりと香木の匂いを漂わせて現れたのは、布を深くかぶった女。先帝の侍妾にして、今は景雲に仕える絃楠だった。

「あら、絃楠さん。どうしたの?」

 翠緑の瞳を持つ美女は、音もなく入って来ると高価そうな蓋つきの漆器を卓の上に置いた。

「先ほど、後宮内で爆発事故があったとか。これは陛下からのお見舞いの品です」

「伝わるの早っ! ていうか、私はどうにもなってないよ。爆発が起きたのは染織房だもの」

「でしたらご褒美かもしれませんね。李中官は手が離せないため、私がお届けに来ました」


 絃楠が微笑みながら器の蓋を開けると、中にはキラキラと輝く見事な飴細工の菓子がぎっしりと詰まっていた。牡丹や菊、鳥の形をした鼈甲飴(べっこうあめ)である。

「わあ……! きれい!」

 寿寿が目を輝かせた。

「陛下は、凜華さまが怪我人を助けたことに大層感心なさっておいででした。本当に良いことをなさいましたね」

 絃楠は言いながら瞳を優しく眇めた。

「無我夢中だったから。太医の管轄だったかもだけど緊急事態だったし」

「太医が診るのは皇帝陛下とその妃、皇族の方々だけです。官僚や下働きの者たちも薬師を呼べますが、来るのは太医の助手や若い見習い。彼らは治療費を要求しますし、払えそうにない者は基本的に診ません」

「皇室専属なんだ。まあ、侍医だからそうなるか」

「太医は名誉職なので無給ですし」

「なるほど。その分、弟子たちが稼いでるんだね」

 宮城だけでも数万人もの人間が出入りしたり、暮らしたりしている。五大医家も外廷に常駐し、病人や怪我人が出るたびに一門の者を派遣しているのだった。


「先日の事件の影響で、後宮への出入りは厳しく制限されています。もし凜華さまがいらっしゃらなければ、火傷をした女官は手続きをしている間に手遅れになったかもしれません」

 つまり、景雲は女官の命を救った凜華の行動を、彼なりに評価し労をねぎらっているのだった。

「怪我人を放ってはおけないよ。できることをやるまで。お金にはならないけどね」

 凜華が苦笑すると、絃楠は「では、私はこれで」と優雅に一礼し、颯爽と出て行った。

 その後ろ姿を、寿寿はうっとりとした目で見送った。

「絃楠さんも異国の人なのかな。あの翠色の目……まるで宝石みたい。あんなきれいな人を、先帝陛下は夜な夜な侍らせていたのね。後宮ってやっぱりすごいところだわ」

 寿寿は絃楠を女だと思い込んでいる。凜華は密かに思った。彼が宦者であり、女として生きなくてはいけない理由は黙っていた方がいいだろう。


「さて、お茶でも飲みましょう。この飴とってもおいしそう」

 二人は熱い麦茶をすすりながら、景雲から下賜された飴をかじった。

「ん〜おいしい〜! 優しい甘さですねえ」

 寿寿が頬を押さえて喜ぶ横で、凜華も二つ目の飴を口に放り込みかけて……はたと気づいた。

「待って。この飴は……砂糖じゃなくて、麦芽糖や水飴から作られてる?」

「どうしたんですか」

「つまり『還元糖(かんげんとう)』だわ」

 還元糖とは、相手の物質から酸素を奪う還元性を持つ糖のことである。主に水飴に含まれる麦芽糖(ばくがとう)(マルトース)は、ブドウ糖が結合した還元性を持つ。砂糖、甜菜糖の成分はショ(とう)(スクロース)で非還元糖である。


 凜華は席を立ち、薬箱を持ってきた。先ほど現場から回収してきた神龍黄粉の入った小瓶を引っ張り出した。

「凜華さん、食べないんですか?」

「寿寿、ちょっと実験につきあって。かまどの灰の上澄み液を少し持ってきて」

 凜華は小皿の上に黄色い粉末を少量置き、水で溶かした。そこに細かく砕いた飴と、寿寿が持ってきた灰汁(あく)を数滴垂らし、皿ごと軽く火で炙った。

 するとどうだろう。還元糖である飴とアルカリ性の灰汁が反応し、それまで鮮烈な黄色だった粉末が、みるみるうちに深い赤色――血のような赤紫色へと変化したのである。

「わっ、色が赤く変わった!」

「……ビンゴね。飴の還元作用による呈色(ていしょく)反応」

 凜華は口角を上げ、ニヤリと笑った。

「この黄色い粉が還元されて、赤い『ピクラミン酸』になったのよ。やっぱり『ピクリン酸』だったか……」

「ぴくりんさん?」

苦味酸(くみさん)よ。その名の通りとっても苦いの」

 ピクリン酸――化学名はトリニトロフェノール。

 ピクリン酸には「還元糖」と「強いアルカリ」を加えて熱すると、深い赤色の「ピクラミン酸」に変化するという性質がある。

 現代世界では、十八世紀から十九世紀にかけて絹や羊毛を黄色に染める染料として広く使われていた。爆発性を持ち、強力な爆薬の主成分にもなった。この世界では、魔法の粉「神龍黄紛」として染色や柱の塗料に使われていたのである。


 しかし、ここで凜華は新たな疑問にぶち当たった。

「おかしいわね……。ピクリン酸自体は、比較的安定した物質なのよ。火を近づけてもパッと燃えるだけで、爆発はしない。倉庫内に火の気はなかったのに」

 では、なぜ壺は爆発したのか。凜華は小皿の上の赤い液体を見つめながら、首をひねるのだった。


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