第31話 皇帝の服を染める工房が爆発しちゃった<二>
爆発の中心とおぼしき倉庫の内部は、異様な光景を呈していた。
吹き飛んだ壁、ひしゃげた柱、床に散らばる木片、大小の布切れや染料らしき粉、鉱物。柱や床のあちこちが、鮮烈な黄色に染め上げられている。
凜華がそっと中に足を踏み入れると、舌にビリッとした嫌な刺激が走った。空中の粉塵が口に入ったのだ。
「うげっ! にっが……!」
思わず顔をしかめるほどの、強烈な苦味。鮮烈な黄色、苦味、皮膚を腐食させる性質。凜華の脳内のデータベースが、猛烈な勢いで検索を始める。
「この味と匂い……どこかで嗅いだような」
ちょうど休憩時間中だったので、染織房や倉庫内に人はいなかった。たまたま扉の前にいた女官一人が、爆発に巻き込まれてしまったが他に怪我人はいなかった。戻って来た染織女たちが、倉庫の内外でオロオロしている。
凜華は、ベテランらしき白髪交じりの老女官に話しかけた。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど」
老女官は凜華を見て、驚きの声を上げた。
「ああ、あなたさまは! 妖術と卑猥な踊りで陛下を眠らせるという異国の魔術師・魔蛙凛さま!」
「マーリンてどこの誰よ。……色々間違っているけどまあいいや。この黄色い粉は何?」
凜華が壁にこびりついた黄粉を指差すと、老女官は肩を震わせながら答えた。
「これは……『神龍黄粉』と呼ばれる、魔法の染料でございます」
「神龍……? 物々しい名前」
「はい……。最高級の絹を皇帝陛下だけがお召しになれる『鮮やかな黄色』に染め上げるための、非常に希少で高価な染料です。防虫効果も高く、色褪せないため宮殿の柱の塗料に混ぜられることもございます」
皇帝の象徴色である「黄」。それを発色させるための特殊な染料。それがこの粉だと言う。
「くっさ! ひっどいわねえ」
と鼻をつまみながら、但娘も倉庫に入って来た。
凜華よりも踏み込んで、
「この黄色い粉は火薬?」
と尋ねると、老女官はブンブンと勢いよく首を横に振った。怒ったように言った。
「火薬だなんて滅相もない。火薬を扱うのは外廷の軍器監火薬局です。布だらけの染織房に置くなんて……考えるだけで恐ろしい」
火薬局は外廷の風下の端の方、必ず運河や池の近くに配置される。万が一の火災の際の消火用水を確保するため、硫黄や薬品の臭いが皇帝の在所に流れないようにするためである。大抵は、爆発事故の際の衝撃を外に逃がさないよう石造りの頑丈な防爆壁に囲まれている。火薬作りも保管も細心の注意を払う。
女たちがいる後宮、それも染織房の倉庫に火薬が保管されるはずはなかった。
「だったら、火薬は外から持ち込まれた……?」但娘が不思議そうに言う。
また老女官が反論する。
「誰がそんなことをするのですか。倉庫には高価なものもあります。物品を出し入れする時以外は、常に鍵がかけられています」
ほら、と老女官は自身が管理者なのか、懐から鍵を出して見せた。
「爆発が起きた時も、扉には錠が降りてございました。ここに出入りする品は、私が全て確認しています。何者かが火薬を運び込むなんて不可能です。それに、中には油や火種も置いてありませんし」
「染料が自然発火して爆発した? だとしたら怪奇現象すぎるわね」
二人の会話を聞きながら、凜華は床に散乱している青い破片に目を留めた。青銅の壺らしき破片。外側には見事な龍の彫刻が施されている。
「染料はこの壺に入れてるの?」
「い、いえ。神龍黄紛のみです。その……」
老女官は言い淀み、周囲を見回してから声をひそめた。
「三年ほど前でしょうか。内務府から視察にやってきたお役人がえらくお怒りになりまして。『これは皇帝陛下のお召し物になる尊い染料であるぞ。安物の土くれの壺に入れておくとは何事か』と。龍の彫られた立派な青銅の壺をお持ちになり、中身を移し替えるよう厳命していったのです」
「この壺はどこに置いてあったの?」
「西側の窓近くの棚に。日当たりが良いので、染料が湿気らないようにと」
老女官は、残骸となった棚があった付近を指差した。
「西側……ね。午後は西日が差し込む。直射日光で壺が熱くなることもあるか」
凜華が頬杖しながら考えていると、若い染織女がやってきて言った。
「おかしいです。誰もいない倉庫で、壺が突然爆発するなんて。こんなの人間のできることじゃない」
別の女も、半狂乱になって叫んだ。
「呪いです! 皇帝陛下専用の染料が爆発するなんて、これは陛下への呪詛に違いありません。恐ろしい、ここには悪鬼が取り憑いているんだわ」
「魔物の仕業よ。お祓いをしないと」
その言葉に、周囲の下女たちもパニックを起こし「呪いだ」「祟りだ」と騒ぎ始めた。
詳細は伝わってこないが、先日の毒殺未遂事件はすでに噂になっている。誰かが皇帝の命を狙ったことや大膳房や洗滌局の女が犠牲になったらしいことは、なんとなく知っていた。
後宮内の空気は、疑心暗鬼でパンパンに膨れ上がっていたのである。
「……んなわけないでしょ」
凜華は一人冷静に呟いた。
周囲の騒ぎをよそに、青銅の破片にこびりついた黄粉を、薬箱から出した小刀で慎重に削り取る。粉を小瓶に回収した。
「それ、どうすんのよ」と但娘が覗き込んでくる。
「調べてみるわ。気になることがあるから」
証拠の粉を回収すると、凜華は呪いに怯える女たちを置いて現場を後にした。




