第28話 トリカブトの解毒剤を作るぞ<三>
景雲が眉をひそめ、護衛が一斉に腰の剣に手をかける。
「何事か。申せ」
景雲は、外に聞こえるように大きな声を出した。
血相を変えて飛び込んできた宦官が、床を滑るようにして平伏する。
「へ、陛下! 毒見役の者が、突然苦しみ出し……」
「なに?」
控えていた李元も駆け寄ってきた。
「陛下、私が様子を見てまいります。ここにお留まりくださ……」
李元が言い終わるよりも早く、凜華は弾かれたように立ち上がり、薬箱を持って控えの間へと飛び出していった。
「凜華!」
景雲が叫んだが、凜華の耳には入らなかった。
控えの間の床に倒れていたのは、凜華とさして歳の変わらない若い宦官だった。唇を真っ青にし、大量の涎を垂らしながら喉を掻きむしっている。
「これは……。ちょっと、あなたしっかり!」
凜華が呼びかけると、宦官は口を開き、喘ぎながら言った。
「あ、熱い……! 息が……できな……」
脈を取ると、絶望的なほどに不規則で弱々しい。不整脈からの呼吸麻痺。この症状は……。
「舌が痺れる? だったら頷いて」
宦官は悶絶しながらも頷いた。
「味はする? 苦い?」
宦官は首を横に振った。毒の苦味よりも麻痺が先行する。口の中の焼けるような感覚……。
凜華の脳内に膨大な文字と数字が駆け巡る。
「……もしかして鳥兜?」
トリカブト中毒。
現代日本においては、懸命な救急治療の甲斐もあって生還率は90%以上だ。それでも死者は出るし、生還しても重い後遺症が残る場合もある。どんなに医学が発達しても、人類はアコニチンを克服できていない。
トリカブト中毒の救急現場に立ち会ったことはない。症状を写した画像を見、テキストで症例を読んだだけだが、一つだけ確かなことがある。とにかくスピードが勝負だ。
……やれ。
天啓のようなものが響く。やれ。やるんだ。
とにかく、今できることをやれ!
凜華は飛びつくようにして薬箱を開けた。作っておいた「甘草の濃縮煎じ液」を取り出した。
背後を振り返り、
「頭を押さえて! 早く!」
と叫ぶ。護衛が数名駆け寄ってくる。男が二人がかりで体重をかけ、宦官の身体を押さえる。
凜華は、無理やり口をこじ開け、小壺に入った煎じ液を一気に流し込んだ。宦官はむせて苦しがったが、構わず顎を閉じて飲み込ませる。
「全部飲んで。吐いて! 胃の中のものを全部吐き出して!」
トリカブトであるなら、甘草のグリチルリチンが胃の中でアコニチンと結合し、毒の吸収を阻害するはずだ。
凜華が何度も背中を強く叩くと、宦官は激しく咳き込み、胃の内容物を盛大に嘔吐した。
「水! 水を持ってきて!」
給仕係が桶に入った水を運んでくる。凜華は服が濡れるのも構わず、椀ですくった水を注ぎ込み、大量に飲ませた。男たちも手で水をすくって口に入れる。無理矢理流し込んでは強打し、吐かせ続ける。
飲んでは吐かせるの胃洗浄を何回か繰り返すと、やがて痙攣は徐々に治まっていった。弱かった脈もゆっくりと規則性を取り戻し始めた。
宦官が薄目を開き、凜華を弱々しく見上げた。失神寸前に陥ったが、なんとか意識を戻した。
凜華は、ほっと息をついた。
「……大丈夫、みたいね」
どうやら一命は取り留めたようだ。
外から、李元の叫ぶ声が聞こえる。
「毒だ。陛下の御膳に毒が盛られた。下手人を探せ。門を閉じて封鎖せよ。御膳の係を今すぐ集めろ。全員だ」
庭にいた人間が一斉に走り出す。
「火を焚け」「封鎖だ」「閉門!」という声が波のように伝わり、辺りは騒然とする。
「凜華」
凜華が振り返ると、景雲が鬼のような形相で立っていた。
その視線は、床に転がった銀の皿と箸に向けられている。
彼は箸を拾い上げると、しげしげと眺めた。器も箸もまったく変色していない。
「これは何の毒だ」
景雲の問いに、凜華は大きく息を吸って吐いた。気を落ち着けてから答えた。
「……おそらくは鳥兜」
「銀器が黒くならないのはなぜだ」
「銀が反応して黒くなるのは、ヒ素や硫黄系の鉱物毒の場合だけよ。鳥兜のような植物性のアルカロイド毒には一切反応しない。色が黒くならないからといって、安全ではないの」
凜華の解説に、景雲の顔がさらに険しくなった。
銀器の盲点を突き、皇帝の命を狙う者がいる。下僕が毒見しなければ、一体どうなっていたことか。




