第27話 トリカブトの解毒剤を作るぞ<二>
翌日の夕方、剽娘がまたもや篭いっぱいのトリカブトを持って凜華の部屋にやってきた。
「全部採ってきました。これで大丈夫なはずです」
「ありがとう。助かったわ」
凜華は篭を受け取り、約束通りに豚肉や脂身の塊、塩や砂糖などを包んだ大きな布包みを渡した。
「お菓子も食べていきなよ」と言い、椅子を勧める。
寿寿が温めた土瓶とお菓子を持ってくる。
茶碗に麦茶を注ぎ、月餅のような饅頭や揚げた煎餅に砂糖をまぶしたもの、ドライフルーツなどを出した。
どれも長楽殿の控えの間にある軽食や菓子で、凜華が夜勤がてら貰ったものである。食べ物は持ち帰って、寿寿と一緒に食べていた。
「……甘い。おいしい。こんなの初めて食べた」
饅頭をかじった剽娘の顔が、ふわりと蕩ける。
「凜華さんは毎日こんなお菓子が食べられるんですね」
「毎日じゃないし、陛下の御膳の残り物だけどね。さすがの味だよね」と凜華は苦笑した。
饅頭をちびちびと齧りながら、剽娘は室内を見渡した。
さして広くはない部屋は生薬や薬の材料、大小の壺類や袋、道具で埋め尽くされている。四方の壁一面に干された薬草がぶら下がり、天井にも何本もロープを渡して、そこにも隙間なく薬草の束を引っかけている。むせ返るような生薬の香り。
備え付けの粗末な寝台の上には、錦の枕、分厚い毛布や暖かそうな綿の布団が置かれている。
これは凜華がねだったわけではなく、景雲が「欲しいなら持っていけ」と言ったので貰ってきたのだった。
部屋の隅には布が敷かれ、とんでもなく豪華な薬箱が場違いのように鎮座している。金銀象牙をあしらったその価値ははかり知れず、これ自体がひと財産だとわかる。
剽娘の目には、凜華の部屋は豪華で希少な下賜品だらけ。皇帝の凜華に対する愛情が溢れているように見えた。
部屋を眺めた後、彼女はぽつりと呟いた。
「……侍妾になれたら、外に手紙も出せるのかな」
「手紙?」と凜華も茶を飲みながら尋ねた。
「私は字が書けないから、代書を頼まなくちゃいけないけど母さんに手紙を出したい……。私は無事で元気にしてるって」
剽娘は、貰った包みを膝の上で大事そうに押さえた。
「でもだめね。私は薬師じゃないし。陛下には選ばれない」ひどく悲しそうに言った。
「剽娘さんは、どうして後宮に来たの? 私も寿寿も人買いに売られたんだけど」
「……同じです。母が病気になって。でも、うちには祈祷を頼むお金がなくて」
「祈祷で病気は治らないよ」そこは譲れないとばかりに凜華はきっぱりと言った。
「はい。ここに入ってそのことを知りました。この世には、薬師という人がいて薬で治すんだって。私、何も知らなくて……母を治すお金のために人買いに自分を売ったんです」
「そうだったの……」
凜華は言葉に詰まった。親のために身売りをする。時代は関係なくどこにでもある話なのだろうが、実際聞くとなかなか辛いものがある。
「自分で決めたことだし、覚悟はしてたけど、まさか後宮に入るとは思わなくて」
剽娘は深々とため息をついた。
なまじ容姿が良かったために、人買いは剽娘を後宮に売った。別のところであれば逃げ出すチャンスがあったかもしれないが、後宮という究極の閉鎖空間に「納品」されてしまった以上、もう外へは出られない。常に武装した宦官が見張っているし、逃げ出せたとしても後宮より広い外廷を抜けることはできない。正門に辿り着く前に捕まってしまう。
「奴隷にされたわけじゃないし、妓楼に放り込まれたわけでもない。女郎になるくらいなら、ここに居た方がいいことはわかってるんです。でも、毎日思うんです。ここを出て母さんに会いたい。故郷に帰りたいって……」
搾り出すような声。生きてここを出て、家族に会える見込みはほぼゼロに等しい。
剽娘自身も非情な現実に薄々気づいているのか、瞳には深い諦念と涙が浮かんでいる。
「後悔しかないです。なんで、こんな馬鹿なことをしてしまったんだろう。母さんの傍にいれば良かったのに……」
話を聞いていた寿寿も、堪えきれないように目頭を押さえた。涙声で言った。
「剽娘さん。気持ちはわかるけど、どうにもならないわ。私や凜華さんだって、ここを出るのは不可能だもの」
「うん……。つまらないことを言ってごめんなさい」
剽娘は謝り、包みを持って立ち上がった。
「待って。これも持っていって」
凜華は剽娘を引き止め、さらにドクダミの束や手作りの石鹸を渡した。
「可能かどうかわからないけど、手紙や小さな荷物くらいは送れるかもしれない。ドクダミは薬だよ。諦めないで上に聞いてみなよ」
「はい……」
「お母さんの病気……良くなるといいね」
凜華も言いながら俯いてしまった。月並みな慰めしか言えない自分がもどかしかった。
剽娘は小さな声でありがとうと言い、涙を拭って出て行った。
数日後の夜。景雲が後宮へ渡ってきた。凜華は召し出しを受け、いつものように往診用の薬箱を肩に掛けて長楽殿へと赴いた。
景雲は広間にいた。その顔は疲労の色が濃い。
彼はすでに酒を飲み始めていた。給仕係の宦官が注ぐや否や、次々と盃を干してゆく。凜華を侍らせたまま、晩餐を運んでくるよう命じた。料理を待つ間にも、浴びるように酒を飲み続ける。
凜華は少し心配になった。景雲は疲れると、深酒する傾向がある。彼は酒には滅法強く、酔って潰れたり暴れたりすることはないのだが……。
「陛下、あんまり飲みすぎないで」
顔を近づけて囁くように言うと、景雲は興が削がれたように凜華を睨みつけた。
「なんだ。こんなもの、水のようなものではないか。酒ぐらい好きに飲ませろ」
「でも飲みすぎは身体によくないよ。不眠の原因にもなるし」
「……私を案じているのか」
「そりゃそうだよ」
ふむと景雲は思案するような素振りを見せた。
知らない者たちから見れば、凜華は主人、夫の身体を案じる健気な妻……のように見えなくもない。薬師としての仕事をこなしているとも言える。
が、だからなんだというのか。女が止めるからといって、ホイホイ聞いているようでは男がすたる。
景雲は浮つく気持ちを振り切るように、また一気に飲み干した。
「これが楽しみなのだ。うるさいことを言うな」
「……」
凜華もそれ以上は強く言えなかった。
外廷で起きていることはわからないが、表でのあれこれにさぞかしストレスが溜まっているのだろうなと思う。
仕事が終わってくつろぎたいのに、口やかましく言われては面白くないだろうことも。
だったら、別の手を考えるしかない。
おそらく食事に合う茶やジュースのようなものを出したところで、景雲は満足しないだろう。そんなにも酒が飲みたいのなら……何か代わりになる、酒に似た味の飲み物を作れないだろうか。
アルコールが持つ特徴は……まず熱。喉がぐっと熱くなる感覚。次に渋みとコク。最後に発酵感、つまり酸味。この三つだろうか。どうせ飲むのであれば、いくら飲んでも身体に負担がかからないものがいい。
黙考しながらも、豪華な宮廷料理が次々と運ばれてくる。
皇帝の食事は、配膳の前に必ず毒見役の宦官が小皿に取り分け、一口ずつ食べるという毒見の作法がある。
毒見にも銀の器、銀の箸が使われる。毒見役はまず目視、それから匂いを嗅ぎ、異常がないことを確認してから口に入れる。
一応にも和やかに何品か進んだ、その時だった。
「うっ……! あ……あああっ!」
隣りの控えの間から、大きなうめき声が響き渡った。




