第26話 トリカブトの解毒剤を作るぞ<一>
さて、世の中には「一服盛る」という物騒な言葉があるが、本来は「薬や茶を一回飲む」という意味である。
凛華にとってそれは毒害のことではなく、純然たる「化学的アプローチ」と同義語であった。彼女は後宮にいる様々な人間に、日々自作の薬や茶を一服盛っている。今のところ毒にはなっていない。
「凜華さん、先日いただいたお薬のおかげで、手のひび割れがすっかり良くなりました。これ、お礼です。故郷でもよく採っていた山菜なんですが、後宮にも生えていました。よかったら食べてください」
最近、洗滌局に配属されたという新顔の下女が、篭いっぱいの青々とした草を持ってやってきた。
年の頃は凜華と同じか、少し上くらいだろうか。剽と名乗った娘は、慣れない仕事に少々やつれていたが、後宮の女らしく整った顔立ちをしていた。いつも仕事が終わった後、夜にやってくる。
凜華は篭の山菜を眺めた。小さな手のような緑色の葉は、紅葉のそれとよく似ている。
「あ、翠雀蟹甲草だ。モミジガサね。こっちにもあるんだね」
凜華は懐かしそうに顔を綻ばせた。モミジガサは山菜で、前世でも何度か食べていた。田舎の祖父や祖母は山菜取りが趣味で、凜華たちが遊びに行くと、山の馳走として採りに行っていたからである。凜華も幼い頃から祖父母にくっついて、野山を歩き回ったものだ。故郷の味というほどではないが、同じものが食べられるのは嬉しい。
「いいね、モミジガサ。いただくわ」
寿寿もやってきて篭を覗き込む。
「あ、これ。私も知ってます。おひたしにすると、少し苦みがあっておいしいのよね。早速、茹でてくるわ」
嬉しそうに篭に手を伸ばす。
しかし、その葉の独特の切れ込みと、茎の不気味な光沢を見た瞬間、凜華の顔つきが変わった。
「待って、寿寿! 触っちゃだめ!」
凜華は鋭い声で制止した。寿寿はびくっと震え、手を引っ込めた。
凜華は草に顔を近づけると、注意深く観察した。
茎の根元は薄い茶色だ。凜華は遠い記憶を探る。確かモミジガサは、鮮やかな赤紫色だった。
一本手に取り、葉を揉みながらくんくんと匂いを嗅ぐ。
何度嗅いでも無臭である。モミジガサには匂いがあるはずだが……。
凜華の脳内に警報が鳴り響く。何より、その根。カラスの頭のような形をした塊根である。「鳥頭」と呼ばれる独特のものだった。
凜華の声は微かに震えた。
「危なかった。これ、モミジガサじゃないわ。鳥兜よ」
「と、とりかぶと?」
「猛毒よ。一口食べただけで口の周りが痺れて、激しく嘔吐して……最悪の場合、心肺停止でポックリ逝くわ」
トリカブトは、秋に紫色の兜のような美しい花を咲かせるが、葉や茎、根に至るまで全身に「アコニチン」という致死性の猛毒アルカノイドを含んでいる。
アコニチンは、神経のナトリウムチャネル(体内の電気信号の発生・伝播の根幹を担う膜タンパク質。痛みの伝導や神経系の疾患に関与する)を開きっぱなしにして異常興奮を引き起こし、不整脈や呼吸麻痺をもたらす。現代医療でも特効薬は存在せず、胃洗浄や対症療法で毒が抜けるのを待つしかない厄介な代物だ。
「本当に恐ろしいものよ。私の故郷でも、モミジガサやニリンソウと間違えて食べて中毒になる人が後を絶たないのよ」
トリカブトは「擬態の天才」ともいうべき、悪魔の植物である。日本だけでも約三十種類あり、見た目だけで見抜くのは植物学者でも難しい。
花が咲いていれば一発でわかるが、それ以外の時期は食用の山菜と間違えてしまうことが多い。
タチが悪いことに、トリカブトは本物のモミジガサやニリンソウと混生していることもある。モミジガサの束の中に、一本だけトリカブトがまぎれることもあり油断できない。確認を怠ったために、一家全員が中毒になるという痛ましい事件も起きている。
「ひっ……」
凜華の物騒な解説に、寿寿と剽娘は悲鳴を上げて飛び退いた。
それにしても、と凜華は頭を抱えたい気分になった。
致死性の猛毒植物が、まさか後宮の敷地内にしれっと自生しているとは。
モミジガサやニリンソウだけなら大歓迎だが、「おいしい山菜があるところにトリカブトもあり」というところか。凶悪すぎる罠である。
「剽娘さん。これ、どの辺に生えてたの?」
「北の方の斜面、古い石垣の陰に生えてました……」
「誰かが間違えて食べたら大惨事になる。お願い、事故があったらいけないから、鳥兜らしきものを全部根こそぎ摘んで持ってきてくれない? お礼するから」
凜華の頼みに、剽娘はコクコクと激しく頷いた。
「わかりました。あの、今日は無理なので……明日でもいいですか」
「もちろん。私は夜いないこともあるし、その場合は寿寿に渡しておいて」
貴重な生薬や高価な下賜品もあるため、凜華の留守中は必ず寿寿が部屋に常駐している。下女たちもよく見回りに来て声をかけ合っている。
「……あ、そうですよね」
剽娘は今思い出したように、凜華をまじまじと見た。
「凜華さんは、夜は陛下のところへ行って……朝まで一緒に過ごすんですもんね」
いいな、と剽娘の唇が動いたように見えた。
「じゃ。明日また来ます」
剽娘が帰った後、凜華は気を取り直し、目の前に積まれたトリカブトに向き直った。腕まくりをして威勢よく言う。
「さて、毒草が手に入ったとなればやることは一つね。薬を作るぞぉ!」
「ええええ――っ? 捨てるんじゃないんですか?」
と怯える寿寿をよそに、凜華は薬研と銅鍋の準備を始めた。
大体どの薬にも入れるため、大量にストックしてある甘草を取り出す。
「馬鹿言っちゃいけないわ。毒と薬は紙一重なんだから。立派な生薬の材料を捨てるなんて言語道断」
「でも……怖いですよぉ」
「だからこそよ。万が一の誤食に備えて『解毒剤』を作っておかないと。それとは別に薬もね」
「巴豆と同じなんですね……」寿寿は怖がりつつも感心したように呟いた。
「当然。毒をもって毒を制すのが基本よ」と凜華は胸を張る。
漢方における解毒の基本は「配伍」、すなわち複数の生薬の組み合わせである。
甘草に含まれる「グリチルリチン」は、トリカブトのアコニチンと結合して難溶性の複合物を作り、体内への吸収を遅らせることができる。
さらに、肝臓の解毒酵素の働きを活性化させることで、毒性を緩和する効果がある。甘草と乾姜(生姜を乾燥させたもの)を合わせた「甘草乾姜湯」などは、トリカブト中毒の救急薬として古くから用いられてきた。
鍋に水と薬研ですり潰した甘草を放り込んで煮る。やがて辺りには、甘草の甘い匂いが漂い始めた。
「よし、甘草の濃縮煎じ液はこれでオッケー。次は、鳥兜自体の無毒化ね」
凜華は、慎重に薬刀でトリカブトの塊根を切り分け、別の鍋に分けた甘草の煎じ汁と一緒に放り込み、グツグツと煮込み始めた。
これは「修治」と呼ばれる生薬の特殊な加工工程である。
熱と水、そして甘草の成分によって、猛毒のアコニチンが加水分解され、毒性が百分の一以下である「ベンゾイルメサコニン」という成分に変化するのだ。
こうして無毒化されたトリカブトは「附子」と呼ばれ、体を芯から温める強力な強心薬・鎮痛薬となる。
「ふう。これで解毒剤も安全な強心薬もできたわ」
凜華は満足げに額の汗を拭い、鍋から立ち上る薬草の匂いを深く吸い込んだ。
これで誤食事故が起きても、解毒剤はある。手元にあるトリカブトも全部薬になった。




