第24話 転生したくらいでワーホリは治らない<上>
さて、薬を作る道具や、皇帝からの下賜品だか薬師房からの横流しだかで生薬やその材料を手に入れた凜華は、一気に色んなものが作れるようになった。
薬を作る合間に衛生用品なども試作し、まだまだ不衛生なところが多い後宮の環境改善に乗り出していた。
凜華は同じ住居房に住まう下女たちに、清潔な生活を送るための指導をしていた。日陰で干した薬草の束を気前よく配った。
「いい、みんな。水は必ず一度沸騰させてから飲むこと。それからこれは蕺草。ドクダミを乾燥させたものよ。私の故郷では『十薬』って言って、十の薬効がある万能薬なの。お茶にして飲めばお通じも良くなるし、化膿した傷口に塗れば治りが早くなるわ。煎じた液で手を洗ってもいい」
凜華は、豚の脂から作った石鹸も渡した。
木灰に熱湯をかけ、数日置いて上澄みの強いアルカリ液を採取する。採取した灰汁と煮溶かした豚の脂、ごま油を鍋で数時間じっくり煮込む。ドロドロになったところに大量の塩を投入し、塩析で分離した上層の塊をすくい取る。塊に香料として刻んだ松の葉を入れる。
これらを厨房から貰った豆腐を作るための古い鉄製の型に流し込む。固まれば、松の葉の清々しい香りが漂う石鹸の完成である。
現代の市販品に比べれば無骨だが、水やお湯で洗うよりも洗浄力は格段に上がる。
「石鹸をしっかり泡立てて手と顔を洗うのよ。いい? 病気っていうのはね、目に見えない粉塵や細菌が汚れた手から鼻や口に入って起こるんだから」
「さいきん、て何?」
「ものすごく小さい大量の虫みたいなもんね」
下女たちは、石鹸とドクダミをありがたそうに受け取った。今では具合が悪くなると、凜華に相談に来る。診察を受け、薬を貰うことができる。
「薬師に診てもらえる」と噂が広がり、洗滌局以外に勤める婢や下女もやってくるようになった。仕える妃に知られたら大目玉なのか、顔を隠して夕方や夜間にこっそりやってくる。
凜華は薬を渡しつつも、金はとらなかった。そもそも、彼女たちはお金を持っていなかった。
一応にも、市井には銀子(粒銀)や銅銭みたいなものが流通しているようだが、貨幣経済は発達しておらず、殆どが物々交換で成り立っている。
診察や薬をもらう対価として、女たちは後宮の敷地内に生えている様々な草花を摘んで持ってきた。
「凜華さま、今日は裏庭でこの草を摘んできました」
「あたしはこれ! なんだかわからないけど、変な匂いがする根っこ」
素人が摘んでくるものなので、大半は薬用にも食用にもならない。ただ欲しい薬草を見せて頼むと、次回は同じものを探して持ってくるので大助かりだった。
差し出される雑草の山を見ながら、凜華はふふっと笑った。
「ありがとう。杏の苗でもいいんだけどね」
「杏が好きなのかい?」
「まあ、そうかな。花は綺麗だし、実は食べられるし、種子は薬、杏仁になるし。一石三鳥の木よね」
凜華が言ったのは「杏林」の故事のことである。中国の三国時代、呉の医師だった董奉は、診察代が払えない貧しい患者には金銭の代わりに杏の苗を持ってこさせた。その苗を植え続けてやがて林、立派な杏林となったという伝説にちなんでいる。
だが、年配の下女は別の意味に受け取ったようだった。
「へえ……あんた妃になって『杏花殿』に住みたいの? なかなかどうして、野心満々じゃないか」
「杏花殿?」
「寝宮に一番近い御殿だよ。皇后さまやそれに準ずる高位の妃が住むところ」
「え、そうなの?」
長楽殿の隣りにある杏花殿には、杏の木が大量に植えられており、毎年美しい花を満々と咲かせる。
ここに住むのは特に皇帝の寵愛が厚い妃で、宸妃と呼ばれる。後宮随一の庭園を持ち、家屋も贅沢な造りで、妃たちにとっては憧れの御殿だった。
「別に妃になりたいわけじゃ……」
と凜華は言ったが、下女たちは
「またまたあ~! 今や陛下の寵姫なのに。十分狙える位置にいるよ」と取り合わない。
凜華は苦笑しつつ、「これもあげる」と豚の脂身を取る際に切り取った赤身肉や筋の部分も渡した。放っておいても腐るだけなので、食べきれない分は周囲にあげている。
下女たちは「わ~お肉だ!」と歓声を上げた。
「凜華さーん、ごはんよ~!」
昼時になると、寿寿の陽気な声が響いた。
部屋に戻ると、木の卓に二人分の食事が並んでいた。寿寿はいつ嫁に行っても大丈夫なように家事をひととおり仕込まれており、料理も得意だった。
食事は、基本的に出来合いのものを厨房へ取りに行く。
後宮の最下層である下女に配給されるのは、粟、稗、麦、稷などを煮込んで塩を入れただけの雑穀粥と、具があるかなきかの薄い汁、茹でた青菜や漬物のみ。
雑穀の粥は、味はともかく栄養価は高い。それはいいのだが、食べるものがだいぶ偏っているため栄養失調になる者も多かった。下女や下級の宦官の中には、空いた時間に林で野鳥を獲ったり、池や沼地で鮒や蛙を捕まえたりして食べている者もいる。余剰分は売ったりしてたくましく生きていた。
凜華も味気ない粥の食事をしていたが、今の二人の食卓には、寿寿が作ったテリヤキ色に輝く「豚肉の甘辛煮」が鎮座している。
豚の脂身からこそげ落とした赤身肉に、肉や魚の塩漬けから作る醤や、甜菜から作る貴重な砂糖で煮込んだ特製のおかずである。
一応にも侍妾なので、厨房にある食材や調味料は言えば貰えるようになった。といっても、下僕用の厨房なのでたいしたものはない。
「ん〜おいしい! 豚は最高だわ。こんなものが食べられるなんて陛下さまさまね」
寿寿が肉を噛みしめ、幸せそうに頬を緩める。凜華も粥をかき込みながら甘辛煮をつまむ。
「豚肉はビタミンB1が豊富だからね。いっぱい食べてね」
「びたみんびーわん、というのが身体にいいのね」
寿寿は凜華の説明になってない説明にもすっかり慣れてしまい、なんでも素直に受け止めている。二人は肉をたっぷり食べ、食事を満喫した。
食後、凜華は卓に置かれた素焼きの土瓶から、琥珀色の液体を茶碗に注いだ。香ばしい匂いが湯気と共に立ち上る。
この国では、茶葉(緑茶)は貴重な薬である。皇帝であっても常飲することはない。
そこで凜華は、馬の飼料用に配給される生の麦を貰ってきて鉄鍋でじっくりと炒り、煮出して「麦茶」を作ったのだ。ミネラル豊富でノンカフェイン、水分補給には最適である。
「寿寿は顔色も良くなったし、少しふっくらしてきたね。やっぱり栄養と衛生は裏切らないわ」
凜華が麦茶をすすりながら目を細めると、寿寿は「凜華さんのおかげです」と元気に笑った。自分の茶碗に麦茶を注ぎながら言う。
「麦以外でもお茶を作れるのかな」
「牛蒡とか黒豆でも作れるけど、これはそのまま食べた方がいいね」
「凜華さんは本当に物知り」
この人の言う通りにすれば身体が丈夫になるし、健康的な生活を送れる。おいしいものも食べられる。なんとしてでも傍にいなくちゃ……と寿寿は改めて思うのだった。
「でもさあ」
と、凜華は空になった茶碗を置いてため息をついた。
「やっぱり、お米が欲しいなあ」
「お米はおいしいものね。数えるほどしか食べたことないけど」
米は高級食材であり、下々の者の口には滅多に入らない。
「違うの。食べるんじゃなくてね」
凜華は真剣な顔で首を振った。
「お米をすり潰して水に晒して、細かいデンプンの粉を取り出したいの。米粉の白粉を作るためにね。米は高価だし、それなりの値段になりそうだけど」
凜華は推測する。この世界の高貴な女性たちが使っている白粉には、おそらく「鉛」が含まれていることを。
「鉛白も経皮吸収されたら神経毒になるし、将来的に肌がボロボロになる。まさに美しさは命懸け。でも、そんな非効率な美学、私の前では通用しないから」
凜華が追求しているのは、安心安全で最強の化粧品である。安全な無機顔料やデンプンがベースのファンデーションを開発すれば、後宮の化粧品市場を独占できると踏んでいた。
「凜華さんたら。お米は食べ物なのに」
突然現れた商売人の顔に、寿寿は忍び笑いを漏らした。




