第205話 五石散三重奏殺人事件<二十一>
翌朝、清心殿には大勢の人間が集まっていた。
玉座には、景雲が威厳をもって座している。
その傍らには凜華が控え、眼下には五人の重要参考人――薛侍郎、宋薬師、皓妃、韓女官、裴尚書が並んで頭を垂れていた。
彼らの背後や周囲には、刑部の高官や官僚がずらりと立ち並び、異様な緊張感を醸し出している。
「――以上が、温侍郎、鄧副統領、厳総管の三名を立て続けに殺害した下手人の正体、ならびに犯行の全容である」
刑部尚書が重々しい声で事件の真相を告げると、大きなどよめきが巻き起こった。
無理もない。朝廷の中枢を担う高官三名を血祭りにあげ、宮城を恐怖に陥れた連続殺人鬼の正体が、わずか十三歳の宮廷童子であったのだから。
一度は殺人事件の犯人として捕らえられた薛侍郎と宋薬師は、阿星が真犯人だと判明した時点で釈放されていた。
捕まった後も牢に入れられることはなく、食事なども供されていたが、二人とも疲労困憊した様子である。
景雲は、恐縮しきった薛侍郎に視線を向けた。
「薛侍郎」
「は、はいっ!」
薛侍郎は弾かれたように顔を上げた。
「お前に、今回の殺人事件における咎はない。だが、韓女官の兄が手を染めた横領を隠蔽し、私的に処理しようとしたことは問題だ。今後、兵部で不正が起きた場合は、どんなに些細なことでも必ず刑部や監察官、それが難しい場合は余に直接申し出るように。自身の保身や情けのために隠蔽に走るな。それはかえって国政を腐敗させ、今回のような悲劇の遠因となる」
景雲の言葉には、かつて地方で起きた不正や冤罪事件を見逃してしまった自身への戒めも込められていた。
薛侍郎は、床に額を擦りつけながら声を震わせた。
「陛下のお言葉、肝に銘じます。己の裁量で解決を試みたこと、ひたすらに私の不徳の致すところでございます。二度とこのような過ちは犯しませぬ」
薛侍郎の件が終わると、凜華が一歩前に出て、今度は宋薬師の方を向いた。
「宋さん。あなたの嫌疑も晴れたわけだけど、一つ確認させてほしい。あなたが厳総管と揉めていたのは……彼が執拗に要求してくる薬やその材料の用途を、あなた自身が疑っていたからじゃないかな?」
凜華の指摘に、宋薬師はビクッと肩を揺らした。
彼は苦渋に満ちた顔で下唇を噛み、やがて重い口を開いた。
「……はい。仰る通りです」
宋薬師は絞り出すように言った。
「厳総管は、皮膚病の薬が欲しいから融通しろと迫ってきましたが、それにしては求める薬剤の量が多すぎました。特に、雄黄や辰砂は劇薬です。これらの薬剤は毒性が強く、取り扱いには細心の注意が必要ですし、基本的に五大医家しか扱うことができません。もし、余分な薬剤が着服されているのだとしたら、転売か……あるいは麻薬として使っているのだろうと疑念を抱いておりました」
宋薬師は無念そうに両手を強く握りしめた。
「しかし、あくまで疑惑でしかなく、確信が持てませんでした。相手は、宮廷の裏表を知り尽くした内務府の総管です。迂闊なことを言えば、逆にこちらの立場が危うくなる。しかも罪は私だけではなく、顧家一門に及びます。ゆえに、ああだこうだと理由をつけて要求を撥ねつけていたのですが……」
その告白を聞き、景雲は頷いた。
「実態は、厳総管らが使い、または私腹を肥やすための麻薬――紫極丹などの製造に流用されていたとみていいだろう。宋よ、お前の疑念は正しかった。だが、今後は個人で対応せぬよう」
景雲は官僚たちを見渡し、声を張り上げた。
「薬師房の管理をさらに厳格にせよ。今後、官僚で規定以上の薬や、劇薬を要求する者がいたら、必ず上に報告するように。相手がどれほどの地位にあろうと阿るな。大金を払うと言っても決して薬を渡すな。これは勅命である」
「ははっ、御意にございます!」
宋薬師と、その後ろに控えていた医長の顧成が揃って平伏した。
二人の顔には安堵のほかに、深い羞恥が刻まれていた。
まさか、誰の目にも留まらなかった宮廷童子・阿星に、医術の講義や薬の調合方法を盗み聞きされ、あまつさえ五石散を作られてしまったのだ。医家としては、前代未聞の大失態である。
もしこれが罪とされたら、顧家は一体どうなっていたことか。他の四つの医家は、これぞ千載一遇のチャンスとばかりに足を引っ張り、自分たちを潰しに来るに違いなかった。お咎めがなかっただけありがたいと思わなくてはならなかった。
一方で、朝廷の動きは迅速だった。
刑部尚書からの報告によれば、麻薬やその密売ルートの全容解明に向けた捜査がすでに始まったという。
温侍郎、厳総管、鄧副統領の三名の邸宅には、夜明けとともに刑部の役人たちがなだれ込み、大規模な家宅捜索に入った。押収された帳簿、隠し財産目録などから、いずれ麻薬の精製場所や流通ルートが暴かれるだろう。
何より景雲が強く命じたのは、十一年前の事件の再捜査だった。
「阿星の父親である尚敬支の麻薬密売事件。あれは温侍郎らが自身の罪を隠蔽するために仕組んだ冤罪である可能性が高い。当時の記録をすべて洗い直し、真相を究明せよ」
もし尚敬支が無実の罪で処刑されたことが証明され、名誉が回復されれば、阿星は「罪人の子」という汚名から解放される。むろん、高官三名を殺害した阿星自身の罪が消えるわけではない。
家族の名誉くらいは取り戻してやりたいという、景雲なりの温情であった。
やがて、集会は終わりを告げた。
解放された参考人たちは、それぞれ清心殿を後にし始めた。
「まったく、とんだとばっちりだったわ。犯人が童子だったなんて。私の貴重な時間を返してほしいものね」
着飾った皓妃は、ぷりぷりと怒りながら侍女たちを引き連れて退出していった。
韓女官は恭しく礼をし、楚々と出て行った。
自身と韓家にお咎めがなかったことに対する安堵もあったが、執拗に付きまとっていた鄧飛虎がいなくなったという事実が彼女の表情を明るくさせていた。彼女の足取りは、ここ数日の憔悴が嘘のように軽やかだった。
そして、裴尚書はいつもどおりだった。
「無事の解決、何よりです。陛下のご慧眼と宸眷の薬師殿の明察にはただただ感服するばかり。これで宮廷にも平穏が訪れましょう」
相変わらず感情の読めない顔に殊勝な笑みを貼り付け、悠然と出て行った。
一同が解散した直後、凜華は意を決して外に出た。
冬の風が吹き抜ける、長く美しい朱塗りの回廊。
一定のリズムで歩みを進める長身の影に向かって、凜華は声をかけた。
「ちょっと待って」
ぴたりと男の足が止まった。
振り返った裴尚書は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「これは薬師殿。まだ何か?」
「ええ、気になることがあって」
凜華は回廊の柱の横に立ち、裴尚書を真っ直ぐに見据えた。
「全部、あなたの思い通りというところかしら、裴尚書」
「はて、なんのことでしょうか」
裴尚書は大仰に肩をすくめ、とぼけてみせた。
「そう言うと思った」
凜華は数歩進み、裴尚書の前まで行った。
懐に手を入れると、折りたたまれた薄桃色の絹の布を取り出した。経年劣化でうっすらと黄ばみ、端がほつれている。それを開くと、几帳面な文字がびっしり書き連ねてある。古い手紙のようだった。
「これに見覚えがあるんじゃない?」
凜華は、絹の手紙を裴尚書に見せた。
裴尚書の目がわずかに細められた。彼は無言で文面を眺めた。
「昨日の朝、現場検証に行ったとき。阿星さんが私にだけ伝えたの。『床の三七の星』ってね。私は彼が暮らしていた部屋の床板のことだと思った。右から三番目、上から七番目の床板。刑部が撤収した後、剥がしてみたらその裏に……これが隠してあった」
凜華はすでに中身を読んでいた。それは情熱的な恋文だった。
「阿星さんが、お母さんの形見として持っていたものみたい。……これは十一年前、あなたが阿星さんの母親、伊娘さんに送った求婚の手紙ね」
伊娘――その名が凜華の口から出た瞬間だった。
常に冷静沈着で、いかなる事態にも動揺しなかった裴尚書の鉄面皮に異変が起きた。
目をしばたかせ、強く結ばれた口元がかすかに開く。
能面のような顔の奥から、隠しきれない激しい情念のようなものが滲み出したのを凜華は見逃さなかった。
回廊を吹き抜ける風が止み、二人の間に息が詰まるような沈黙が降りた。




