第204話 五石散三重奏殺人事件<二十>
手当てが終わると、一行は清心殿を出た。
外の空気は刃のように冷たく、肺に吸い込むとむせるほどだったが、空はすでに明るさを増し、宮城の雪景色は朝の光を反射して輝いていた。
凜華、景雲、刑部の役人や兵士に囲まれながら、阿星は雪を踏みしめて歩いた。向かった先は、厨房の裏手にある氷室である。
凜華は開け放たれたまま扉の内側に備え付けられている、太く重い閂を見つめた。
「温侍郎を凍死させた氷室の密室トリック。阿星さんはどうやって重い閂を持ち上げ、氷で固定したのか」
凜華は役人に指示し、厨房から少し大きめの氷の塊を持ってこさせた。
「大の大人でも、両手でしっかり持ち上げないと動かせないような重い閂。これを非力な子供がどうやって持ち上げて固定したのか。普通に考えれば不可能に思えるよね」
凜華は氷の塊を、携帯していた小刀で削り始めた。
「ここで私も含めて陥った思い込みは一つ。閂を『手で持ち上げた』という前提よ」
ガリガリと氷を削る音が朝の静寂に響いた。
やがて凜華の手には、横から見て見事な三角形になった――つまり「楔型」に削られた氷が出来上がった。
「阿星さんは、手で持ち上げるという発想を持たなかった。代わりに使ったのが、『斜面を使って押し上げる』という方法よ」
凜華は、開いたままの扉に備え付けられた閂と、それを支える土台金具のわずかな隙間に、楔型に削った氷の最も尖った先をスッと差し込んだ。
「見ててね」
凜華は足元にあった手頃な石を拾い上げると、隙間に差し込んだ氷の厚みのある側――氷の尻をトントンと軽く叩き込み始めた。
石で叩かれるたび、楔型の氷が隙間の奥へと入り込んでいく。するとどうだろう。あんなに重かった閂が、片側を支点にしながら氷の斜面に乗り上げるようにして、ズルズルと斜め上に持ち上がっていくではないか。
「おお……!」
見守っていた役人たちから、感嘆のどよめきが漏れた。
「これが『斜面の原理』、あるいは『仕事の原理』と呼ばれる物理法則よ」
凜華は叩き続けながら解説した。
「なだらかな斜面を使えば、物を直接上に持ち上げるのに必要な力の、何分の一かの力で重いものを移動させることができる。この原理を利用すれば力のない子供でも、氷の尻を木槌や石、自分の足で軽く蹴り込むだけで重い閂を徐々に持ち上げることができるの」
十分に閂が持ち上がったところで、凜華はその氷の楔に岩塩をたっぷりと振りかけた。
「あとはこの状態のまま、外から扉を閉めるだけ。今は氷が閂を持ち上げているから、壁の受け具に引っかからずに扉はすんなり閉まる。塩の作用で氷の表面がゆっくり溶け、重みに耐えきれなくなって滑り落ちれば、自動的に閂が受け具へと落ちる。これで密室の完成ってわけ」
凜華が実演を終えて振り返ると、阿星は目を輝かせ、嬉しそうに何度も首を縦に振った。
「うん、その通り。本当にすごい。僕が何日もかけて思いついた仕掛けを、一目見ただけで見破るなんて」
「まあ、子供でもできるという条件が加わればね。一気に絞られるから」
景雲は、改めて氷の楔でしっかりと持ち上げられた閂と、その表面でじわじわと塩が溶け進む様子を興味深そうに観察した。
「見事だ。まず『子供が閂を持ち上げる』という発想がないからな。大人は無意識のうちに、腕力を前提に物事を考える。物理の法則と大人の偏見、その両方を巧みに利用したのだな」
景雲の称賛に、阿星は照れたように俯き、はにかんだ。
殺人鬼としての顔と、褒められて喜ぶ純粋な子供の顔。
そのアンバランスな同居が、見る者の胸を締め付けた。
氷室での現場検証を終えた一行は、次なる場所へ向かった。
それは宮城の最下層、下働きの者たちが寝起きする長屋の一角にある、宮廷童子たちの住居房だった。
三畳ほどの薄暗く風通しの悪い狭い個室。
家具は寝台と机と椅子があるのみ、床には粗末なむしろが敷かれただけの空間であった。
「捜索せよ」
刑部官の号令とともに、役人たちが中に踏み込み、徹底的に調べ始めた。
むしろがひっくり返され、古びた木箱が開けられた。
「ありました。これです!」
役人が次々に声を上げた。床板の隙間や、壁の裏の空洞から、証拠品が出てきた。
宴の夜に使われたと思われる五石散の粉が微かに付着した小袋。
竹林の罠で使われた氷の剣を作るための、精巧に削り出された竹と木の型。
工部から持ち出され、短く切られた太い麻縄の切れ端。
知識を吸収した証である、捨てられた公文書の切れ端を束ねた書き付けの山。
阿星は部屋の入り口に立ち、その光景を見守っていた。焦りも悲しみもなく、他人の部屋の捜索を見ているように、横顔は凪いでいた。
役人たちも単なる犯行道具の回収に躍起になっており、それ以上の探索を行う気配はなかった。
阿星は隣に立つ凜華をじっと見上げた。
彼は、役人たちには聞こえないような小さな声で言った。
「床の三七の星」
気づいた凜華が阿星を見下ろした。
「……え?」
「床の三七の星。薬師さん、僕の星を見つけて」
阿星はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
暗号のような、何かの座標を示すような、奇妙な羅列だった。
「何のこと?」
凜華が小声で聞き返すと、阿星はフフッと笑い、それ以上は何も言わなかった。
彼の顔には無邪気な挑戦状のような、すべてを終えた者からの最後の贈り物のような、奇妙な親愛の色が浮かんでいた。




