第202話 五石散三重奏殺人事件<十八>
「殺人の美学を追求するサイコパスな理由だけじゃないみたいだね」
凜華が言うと、阿星は目を瞬かせた。
景雲が冷徹な声で命じる。
「阿星、どのみち貴様は助からん。極刑は免れぬ身だ。洗いざらい吐け。高官三名を手にかけた真の理由を」
皇帝の前でも阿星は動じなかった。もう臆病な宮廷童子を演じる必要はない。
ようやくすべてを話せる時が来たと安堵したかのように、細く息を吐き出した。
彼はぽつりぽつりと語り始めた。
「……父さんが処刑されたのは僕が二歳の時だった。父さんのことは何も覚えていない。物心ついた時、僕と母さんと姉ちゃんは、厳海全の屋敷の離れに住んでいた。母さんは厳海全の妾で、僕たちは半分使用人みたいな扱いだった。でも別にいじめられたりはしなかったし、衣食住に不自由はなかった。やがて妹と弟が生まれた」
阿星は縄で縛られた手を動かし、愛おしいものを撫でるような仕草をした。
「妹も弟も可愛かった。僕の後ろをヨチヨチとついて回って『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と言って笑った。厳海全も、自分の子供はそれなりに可愛がっていた。奴の好物だった生姜粥を、母さんがよく作っていたのを覚えている」
厳海全は死の直前に生姜粥を食べたが、これも阿星が彼の好物を利用して仕掛けた罠だった。
「姉ちゃんは、戸部の役人と結婚が決まっていた。毎日嬉しそうに、嫁入り支度のための裁縫をしていた。婚礼衣装に刺繍をしたりしてね。僕たちはそれなりに平和で、幸せに暮らしていたんだ」
阿星の口調から、温かなものが消え去った。
「でも、一年前にすべて壊れた。その日、屋敷では盛大な宴が開かれてたくさんの客が訪れた。母さんと弟妹は母屋に呼ばれていて、姉ちゃんと僕は留守番だった。いつものように二人で並んで寝ていた。深夜だった。突然、扉が蹴破られて男が乱入してきたんだ」
景雲が厳しい顔をした。
「……鄧飛虎か」
「奴は明らかに様子がおかしかった。焦点の合わない目でよだれを垂らし、獣みたいに荒い息を吐いていた。麻薬……紫極丹かなんだかわからないものを飲んでいて、頭が沸いていた。奴は姉ちゃんを見ると襲い掛かった」
阿星の身体に震えが走った。
怒りか、それとも恐怖のフラッシュバックか。
「僕は姉ちゃんを助けようとした。鄧飛虎の足にしがみついて、やめろって叫んだ。奴は僕を蹴り飛ばし、拳で殴りつけた。僕は壁に激突して……そのまま気を失ってしまった。遠のく意識の中で、姉ちゃんの悲鳴が聞こえた」
阿星の声はかすれ、途切れ途切れになった。
「意識を取り戻した時、部屋はめちゃくちゃで……ぼろぼろになった姉ちゃんが、茫然自失の状態で座り込んでいた。頬は腫れ上がり、鼻血を流した跡があって、着物は引き裂かれていた。姉ちゃんは僕がいくら声をかけても応えず、虚ろな目で壁を見つめていた」
悲惨な光景が、その場にいる全員の脳裏に浮かび上がった。
「朝方、帰ってきた母さんは事態を知って激怒した。母屋に乗り込んで、厳海全に猛抗議したんだ。鄧飛虎を捕らえて罰してくれって。でも……厳海全は動かなかった。自分の屋敷で客が狼藉を働いたとなれば、面子に関わるし、醜聞になる。奴は母さんを怒鳴りつけ、事件をもみ消した」
「……」
「それだけじゃない。戸部侍郎の温世傑が圧力をかけて、姉ちゃんの縁談を破談にした」
「なぜだ。破談にする意味がわからん」と景雲が尋ねた。
「僕もその時は、なぜ温侍郎が出て来たのかわからなかった。でも後でわかった。鄧飛虎の暴挙が明るみに出ると、麻薬のこともバレてしまうからだ。麻薬の出どころや、三人が常習者仲間で宴にかこつけて使っていたということがね」
「やっぱりジャンキー仲間だったか。地方で覚えた蜜の味だったんだろうね」凜華が嫌悪感を露わにする。
「しかも、破談の理由を『姉ちゃんの身持ちが悪いから』ということにした」
阿星が悔しそうに奥歯を鳴らした。
その瞳には激しい憎悪が燃え盛っている。
「鄧飛虎が姉ちゃんを襲ったのに、姉ちゃんが奴を誘惑したことになっていた。姉ちゃんは……破談を言い渡された翌日に死んだ。僕が起きると、すでに騒ぎになっていて……。姉ちゃんは……井戸に沈んでいた。水面には髪飾りや婚礼用に刺繍した布が浮いていた」
阿星は俯き、絨毯の模様を見つめながら語り続けた。
「それからしばらくして、母さんもおかしくなった」
母親は子供を四人産んでも衰えを見せなかった美貌を夜叉のように歪めて、息子の肩を掴んだ。
「『私は騙されていた』と母さんは言った。『お前の父さんは無実だった。あの人は麻薬の売買なんてしていなかった。麻薬を吸い、密売で私腹を肥やしていたのはあの三人で、それに気づいたあの人は上に告発しようとした。それなのに、逆に奴らに嵌められて殺されてしまった』って」
景雲は目を伏せた。
工部の役人、尚敬支は罪を告発しようとして陥れられたのか。
官僚たちが、正義感に駆られた役人をスケープゴートにして、権力を死守する。朝廷では数えきれないほど繰り返されてきたことだが……。
「母さんは、髪を振り乱して泣き叫んだ。『私は愚かだった。何も知らずに夫の仇の妾になってしまった。けだものの子を二人も産んでしまった』って……」
阿星の震える声が室内に響いた。
「その夜だった。母さんは、眠っていた妹と弟を絞め殺した。そのまま梁に縄をかけて、自分も首を吊って死んだ」
あまりに救いのない結末に、一同は息を呑んだ。
「姉ちゃんも母さんも妹も弟も、みんないなくなってしまった。僕は一人ぼっちになった」
阿星は毅然と顔を上げ、どこか誇らしげに言った。
「三人は僕の家族を破滅させた。鄧飛虎は姉ちゃんの仇。厳海全は母さんの仇。温世傑は父さんの仇。……だから殺した。僕は子供だけど仇討ちを果たした。満足だよ」
狂気に満ちた達成感が、小さな身体を震わせた。
だが、気丈な顔はすぐに崩れ去った。
「……でも」
急に声が弱々しくなった。
「妹や弟は可哀想だった。あの子たちには何の罪もなかったのに。母さんなりのけじめのつけ方だったんだろうけど……二人とも生きていて欲しかったよ」
縛られているため、顔を覆うこともできないまま、阿星はポロポロと涙を流した。これは演技には見えなかった。




