第201話 五石散三重奏殺人事件<十七>
「五石散を摂取した三人は、やがて薬の副作用による異常な熱に襲われ、気分が悪くなって宴を中座した」
凜華は、部屋の中をゆっくりと歩きながら続けた。
「ここからがあなたの本領発揮よ。あなたはおそらく暑がって外に出た温侍郎に声をかけ『涼しい場所がある』とでも言って厨房裏の氷室に案内した。彼が中に入ると扉を閉めた。思惑通り、温侍郎は凍死し、あとは密室トリックが発動するのを待てばいい」
阿星が満足げに一つ頷く。
「次に、あなたは兵部へ向かった。兵部は常日頃から厳重な警備で外に見張りもいる。おまけに宮廷童子は使ってないから、正門から入ることもできない。でも、侵入するルートは見つけてあった。……排水管よ」
「なるほどな」と景雲が合点したように言った。
凜華は神妙な顔で続けた。
「大人の男では到底通れない排水管も、子供なら這って通り抜けることができる。そう、ここなんだよね」
「何がだ」
景雲の問いに、凜華は顔をしかめた。
「氷室の氷と岩塩を使ったトリック。この仕掛けは単純だけど腕力が必要。だから、私は当初女性や子供には構築は不可能だろうと思った。犯人はおそらく成人男性だろうとね。皓妃さんや韓女官、阿星さんを容疑者から外したの。でもそう思い込ませるのが、犯人の狙いだったんだよね」
凜華は言いながら阿星を見た。
阿星は何も言わず、薄笑いを浮かべている。
「兵部に侵入するのは至難の業。犯人は正攻法では入れない。だったらどうするか。排水管を通るルートを検討した時に、発想が逆転した。排水管は狭くて、細身の女性か子供しか通れない。単独犯なら、成人男性は侵入できない。だったら犯人は非力であり、氷室の氷と閂を別の方法で持ち上げたんじゃないかってね」
「腕力がなくとも持ち上げることが可能なのか」
「うん、女子供でもできる方法がある。後で実践するよ」
凜華は推理の続きに戻った。
「兵部の内側に侵入したあなたは、あらかじめ持ち込んでおいた縄や杭、型で作っておいた氷の剣を使って、竹林に『ねじり締め』の罠を仕掛けた。まもなく、兵部に戻ってきた鄧副統領が庭園に出てきた。彼は五石散の作用による異常な熱に耐えきれず、あるいは盛られたことに気づいて熱を散らすために、極寒の庭で『行散』を始めた。彼がフラフラと徘徊するのを見て、あなたは再び排水管を通って外へ出た。あとは罠が彼を貫き、死後硬直と体熱が証拠を消し去ってくれる。これが、私が見立てたあなたの完全犯罪のシナリオよ」
一気に語り終えると、室内はしんと静まり返った。
阿星は、天井を仰いでしばらく沈黙していたが、やがて楽しげな笑い声を上げた。
「あはははは! すごい、すごいよ薬師さん。うん、大体合ってる。僕の動きをそこまでなぞれるなんてね」
「当日だけでも、あなたは宮廷じゅうを飛び回っている。ここまで動いておいて怪しまれないのも不思議だけどね」
「それは僕が宮廷童子だからだよ。そこの偉そうな役人のおじさんたちにはわからないだろうけどね。宮廷の下働きが、どんな世界を見ているか」
阿星は、取り囲む大人たちを嘲笑うようにぐるりと見渡した。
「あなたたちは、僕たち最下層の童子を『人間』だとは思っていない。風景の一部か、言葉を理解しない犬や猫と同じだと思っている。だから、僕が足元で床の雑巾がけをしていても、平気で国家の機密を話し、薬の調合について議論し、建築の図面を見せ合う」
それは、権力者が陥る最も致命的な盲点であった。
阿星は薬師房で、宋薬師が顧家の弟子たちに薬草の効能を講義するのを、床を磨きながら一言一句違わず暗記した。
宋薬師が顧成と禁薬である「醉春散」について話しているのを聞き、この麻薬の存在を知った。
これが、人体にどのような熱暴走を引き起こすか。
本草学の基礎から、劇薬の致死量に至るまで、誰にも気づかれずに「耳」で学んだのである。
五石散の材料となる鉱石の粉を少しずつ疑われないように盗み出し、調合して麻薬を作った。まずは自分で試してみて特性を知り、それを応用した殺害方法を考え出した。
「工部の裴尚書が、宮城内の水路や氷室の設計図を広げて議論している時、僕は部屋の隅でお茶を注ぎながら構造を頭の中に書き写した。兵部の排水管なら通れそうなことを知り、竹林の罠も、氷室の内側から密室を作る方法もここから思いついたんだ」
「盗み聞きしただけで再現できたの?」凜華の問いに、阿星は首を横に振った。
「それはさすがに無理。後から文字や図面にして書き起こしたよ。文字の読み書きは、少しできた。あとは捨てられた公文書の切れ端と、あちこちにある碑文を読んで独学で覚えた。大学の分室に忍び込んで、こっそり講義を聞いたりもしたし。宮廷は、ありとあらゆる頭脳と知識が集まる素晴らしいところだよ。僕は誰にも見えない『透明人間』として、知識を蓄えられた」
それは背筋が凍るような告白であった。
大人たちが気づかぬ間に、足元から恐るべき暗殺者が育っていたのだ。
「ほんと見事な応用力」
凜華は、倫理観はさておいた純粋な感嘆の息を漏らした。
「あなたはここで得た知識を組み合わせて『自動誘導殺人』のシステムを構築した。被害者の心理と、五石散の薬理作用、真冬という気候を利用してね」
でもね、と阿星は少し残念そうに言った。
「薬師さんの推理、一つだけ惜しいところがあった」
「惜しい?」
「うん。宴の食事の皿や酒に五石散を混ぜたっていう推理。僕はそんな誰が食べるか直前までわからない不確実な方法は取らない。韓女官が給仕するのは、標的の三人だけじゃない。急遽変更して他の客のところへ皿を持っていったり、料理を落としたりしたらどうするのさ。五石散はとっても貴重なんだよ。無駄遣いはできない」
阿星の幼い顔に、冷酷な色が差した。
「彼らは、僕が宴で盛らなくても、自分から五石散を飲んだ」
「自ら飲んだ……。どうやって?」
景雲が低い声で問いただす。
阿星は、景雲を見上げながら目を輝かせて言った。
「温侍郎は胃を悪くしていて、食事の前に胃腸薬を飲む習慣があった。厳総管は内服の皮膚病の薬を、鄧副統領は強壮剤をね。薬は薬師房で調合されて運ばれてくる。僕は薬師房から各部署へ運ばれる小分けにされた薬の中に五石散を、あらかじめ混ぜておいた。宴が始まった後、彼らは食事時の『いつもの薬』だと信じて、自分で五石散を飲み干した」
「そっか。だから服の内側に粉がついていたのか」
凜華は納得したように頷いた。
各人が日頃から服用しているも調べ上げ、宴の日だけ薬をすり替えたのだ。
阿星は続けた。
「三人のうち、どうして鄧副統領だけが行散を行ったのか。彼は五石散がどういうものか知っていたんだ。麻薬のことをよく知っていて、常用していたからこその知識だよ。薬師さん、なぜ僕が彼だけは刺殺したかわかる?」
凜華は少し考えてから言った。
「武官だから、剣で勝ちたかったとか?」
「違う。正面から挑んでも勝てないっていうのもあるけど、鄧飛虎が一番憎かったからだよ。本当は一撃と言わずメッタ刺しにしてやりたかった。奴が僕の家族をめちゃくちゃにした発端だ」
阿星の顔に、初めて怒りのようなものが浮かんだ。
「五石散が回った彼らは……異常な熱に浮かされて、僕が用意した地獄へ飛び込んでいった。いいと思うよ。三人とも、大好きな麻薬を最後に味わって死ねたんだから。本望じゃないかな」
阿星は舌舐めずりをするように唇を湿らせ、くつくつと笑った。
「どう? 僕の芸術は完璧でしょう?」
幼さの残る顔はどこか痛々しく、大人顔負けの凄みを帯びながらも、筆舌に尽くしがたい悲壮感にあふれていた。




