第200話 五石散三重奏殺人事件<十六>
赤々と燃える松明の炎が、雪景色に長く不気味な影を落としていた。
屈強な刑部官たちによって雪の上に組み伏せられ、両腕を後ろ手にねじり上げられていた影。
役人たちが松明を近づけると、闇の中から浮かび上がった顔に、誰もが息を呑んだ。
「阿星……?」
誰かが戸惑うように呟いた。
そこにいたのは、昼間、応接室の隅で小動物のように身を縮めていた宮廷童子の阿星だった。
冷たい雪に頬を押し付けられながら、彼は「ひいっ」と悲鳴を上げた。大きく見開かれた目に涙を溜めていた。
「ど、どうして……? 痛い、痛いよぉ。離して!」
童子特有の高い声が、寒空に響き渡る。阿星は必死に身をよじった。
「どうしてこんなことするの。僕、忘れ物をしてしまって。それを探しに来ただけなのに」
子供の泣く姿に、取り押さえている刑部官たちの力も緩みそうになった。
だが、凜華は外套の襟を合わせながら、自身もおどけてみせた。
「んんん? 忘れ物お~? だったら兵部の正門に来て、堂々と言えばいいじゃないのお」
「そ、それは……夜も遅いし、皆さんに迷惑をかけたくなくて……」
「へえ、迷惑をかけたくないから、わざわざ排水管を通って庭園に忍び込んで、四つん這いになって凍った土を掘り返してたの?」
凜華は歩み寄り、容赦なく言葉の矢を放った。
「しかもこんな夜中に。忘れ物ってなに? 命より大事なもの?」
「あ、あの、それは……」
「役人さん。彼の懐を探って」
凜華の指示に、阿星を取り押さえていた役人が無言で手を伸ばした。
阿星は「や、やめて!」と身をよじって抵抗したが、大人の力には敵わない。
役人が阿星の懐から引っ張り出したのは、泥にまみれた一本の棒だった。
「薬師殿、これです」
差し出されたそれを、凜華は松明の明かりにかざした。
それは、ずっしりとした重みを持つ測量用の金属の杭だった。
先端は鋭く尖り、上部には太い縄を括り付けるための頑丈な環がついている。
「なるほどね。これを打ち込んだのか」
凜華は金属の表面を指でこすり、泥を落とした。
その時、松明の光が阿星の手を照らした。
革の手袋は擦り切れてボロボロで殆ど形を成していない。
指先は怪我をし、泥と赤黒い血にまみれている。硬く凍りついた土を素手で掘り返したため、爪が剥がれかけている。それでいて痛がる風もない。
彼は悲劇の主人公を演じるためだけに涙を流していた。
そのことに気づいた役人たちの顔に、恐怖のようなものが走った。
「これはどこで使われているもの?」
役人が杭を受け取ってまじまじと見た。
「工部ですね。側面に倉庫の名前と管理番号が彫られています」
それを聞いた瞬間、阿星の顔から血の気が引いた。
先ほどまでの子供らしい涙目とは違う、本物の焦燥が浮かんだ。
「これが現場の雪の下から見つかれば、工部の人間が調査の対象になる。工部から盗み出されたとなれば、今度は誰が出入りしたか調べられる。宋薬師と薛侍郎、その他の参考人が出入りしていないとなると、裴尚書とあなたが疑われる。裴尚書にアリバイがあるなら消去法であなたになってしまう。それはまずいもんね」
凜華は杭の重さを手のひらで確かめながら、淡々と説明を続けた。
「それに、工部でも測量用の杭がなくなっていることに気づけば備品紛失の騒ぎになる。だからあなたは、これを早急に回収して、こっそり倉庫に戻しておくつもりだった。……ねえ、まだやるの? 時間の無駄だと思うけど」
「……」
凜華の容赦ない追及に、阿星は言葉を失った。
ギリッと彼の奥歯が鳴る音が聞こえた。
伏せられていた顔が、ゆっくりと持ち上がる。
そこに、怯えた子供の姿はなかった。
感情の抜け落ちたガラス玉のような昏い瞳が、凜華を射抜く。唇の端が吊り上がり、くつくつと笑い声を漏らした。
「あーあ。バレちゃったか」
開き直ったような、どこか楽しげですらある口調だった。
「そうだよ、薬師さん。僕がやったんだ」
「あなた一人で?」
「うん、僕一人で全員やった」
あっさりと自白した阿星に、周囲の役人たちがざわめいた。
景雲がずいっと前に出た。
信じがたい面持ちで阿星を見つめる。
「……こんな子供が? あの複雑な罠を一人で仕掛け、武官である鄧飛虎まで手にかけたというのか」
「陛下、天才は長じてから才能を開花させるものじゃないよ」
凜華は役人から渡された杭を眺めながら、肩をすくめた。
「天才は生まれた時から天才なの。神童が大人になって凡人になることはあっても、凡人がある日突然、天才になることはない。この子は、類まれな知力と行動力を持った『怪物』よ」
阿星は嬉しそうに目を細め、「褒めてくれてありがとう。薬師さん」と言って笑った。
景雲は阿星の不気味なほどの落ち着きに、怒りではなく興味を抱いたようだった。
「面白い。この知恵回りの恐ろしい童子を、清心殿へ連れてまいれ。高官を三人も殺めたのだ。その手段と動機が気になる。話くらいは聞いてやってもよい」
「はっ!」
皇帝の命により、一行は真犯人である阿星を連行し、清心殿へ移動を開始した。
***
清心殿の一室。
煌々と蝋燭が灯された部屋の中央で、太い縄で厳重に縛られた阿星が、皇帝の前に引き据えられていた。
刑部の役人たちが見張る中、阿星の顔に恐怖の色はなく、むしろこれから始まる余興を待ちわびるかのように瞳を輝かせている。
上座には景雲がゆったりと腰を下ろし、その傍らに凜華が立っていた。
阿星は、凜華に向かって挑発的な笑みを向けた。
「さあ、種明かしの時間だね。僕がどうやってあの三人のおじさんたちに死んでもらったか、薬師さんの見解を聞かせてよ」
「なんで上から目線なのよ」
凜華はため息をつきつつも、勝負を受けるべく腕を組んだ。
「じゃあ、事件が起きた日のあなたの動きをなぞらせてもらう。あなたは宮城に入った後、三人を殺めるべく入念に計画を練った。工部からは生石灰や杭を、薬師房から五石散かその材料を盗み出し、道具や薬を完璧に揃えた。宴が始まる前に氷室に行って密室を作るトリックを仕掛け、次に内務府の厳総管の部屋に忍び込み、自動で温まる生姜粥を置いた」
「うんうん、それで?」
「宴が始まり、あなたは被害者三人の食事に五石散を盛った」
そこに景雲が口を挟んだ。
「凜華よ。宴で阿星が三人に接触したという目撃証言はない。そもそも宮廷童子は、高官の座る上座には近づけない」
「そこよ、陛下」
凜華は人差し指を立てた。
「近づけなくても、薬を盛ることはできる。三人に料理や酒を運んだのは韓女官だよ。阿星さんは、彼女が三人の給仕をさせられることを知っていた。だから彼女が運ぶ酒や、濃い味付けの料理、汁物に五石散を混ぜた。五石散は鉱石の粉だからそのままじゃ食感がジャリつくけれど、これらに溶かし込めば誤魔化せる。韓女官は何も知らずに、男たちに麻薬を運んでしまったってわけ」
凜華の推理に、阿星は「ふふっ」と小さく笑った。
否定はせず、先を促すように目で合図をする。




