第199話 五石散三重奏殺人事件<十五>
「……なっ!」
「はあああ?」
薛侍郎と宋薬師が同時に叫んだ。
「ば、馬鹿な。薬師殿、何を根拠にそのような妄言を。 私には三人を殺すことなど不可能で――!」
激しく抗弁しようとする薛侍郎を、凜華は冷ややかな声でぴしゃりと遮った。
「不可能じゃない。むしろ、あなたたち二人が手を組まなければ、この三件の殺人は成し遂げられなかった」
凜華は一歩踏み出し、二人を見据えた。
「まず、温侍郎の氷室での凍死。氷室のトリックは女性や子供には設置が難しい。つまり、実行犯は力のある成人男性と思われる」
薛凌宇が顔を引きつらせる中、凜華は宋薬師を指差した。
「そして、三人は宴で五石散を盛られていた。これは禁薬だし、在庫があったとしても薬師房で厳重に管理されているはず。さらに調合から盛る量の見極めまで知識が必要。薬師でなくてはまず入手できない。あなたなら、宴の席で三人に盛ることは造作もない」
「ち、違います! 私は――」
「さらに兵部の庭園で起きた第三の殺人」
凜華は宋薬師の言葉を遮り、薛侍郎を見た。
「厳重な警備が敷かれた兵部の敷地内に、部外者が侵入することは不可能。つまり内部の人間……それも、見回りの兵士たちの配置を熟知し、自由に動かせる立場にある人間の犯行としか考えられない」
応接室にいる全員が息を呑んだ。
凜華の推論は、状況証拠を見事に線で結びつけているように見える。
「動機もある。宋薬師は厳総管と薬師房の予算や薬について揉めていた。皮膚病だったって話だけど、実態は禁薬や麻薬あたりを融通させられて困っていたんじゃないかな。薛侍郎は、鄧副統領の度重なる横暴とその尻拭いで彼を憎んでいた。だから二人は共謀したのよ。温侍郎と厳総管という最初の二人は、薬の知識を持つ宋薬師が罠を張って殺害し、鄧副統領は薛侍郎が自身の縄張りであるこの庭園に罠を仕掛けて殺した。違う?」
「ち、違います!」
宋薬師は床に膝をつき、声を張り上げた。
「私は宴の会場に入る前はずっと薬師房にいました。顧家の調合部屋で医長と一緒に。調べればすぐにわかります。生姜粥を運んだり、ましてや氷室に罠を仕掛けたりすることなど不可能です。誰か証人を――」
「そこは薛侍郎と役割分担したんでしょ」
凜華はすげなく言い放ち、取り合おうとしなかった。
「あなたが薬を用意し、力仕事や現場の工作は薛侍郎が担った。そう考えればすべて辻褄が合う」
「でたらめだ。私は断じてやっていない!」
薛凌宇が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「証拠を見せろ。推論だけで私を罪に陥れる気か!」
だが怒声は、最も権力を持つ男の一言によって打ち消された。
「そうか。凜華が言うのなら間違いあるまい」
景雲が退屈な演劇の幕引きを命じるかのように、気怠げに手を振った。
「捕らえよ」
「へ、陛下? お待ちください陛下。これは間違いです」
刑部の役人たちと、兵士たちが一斉に動いた。
男たちが宋薬師を押さえ込み、抵抗する薛凌宇の腕を背後にねじり上げる。
「違う。絶対に違う。私はやっていない!」
「冤罪だ! 陛下、どうか再調査を」
喚き散らす二人に景雲は冷たく言った。
「連れてゆけ」
二人は役人と兵士たちに引きずられるようにして、部屋から連行されていった。
彼らの叫び声が、廊下の奥へ消えていく。
外に控えた官僚たちが
「やはり複数犯だったか。兵部侍郎が噛んでいたとは恐ろしい」
「単独で三人は無理であろうよ。これでまた人事が荒れるぞ」
と囁き合っている。
沈黙が降りた部屋の中、凜華はパンッと明るく手を叩いた。
「はい、これで一件落着!」
先ほどまでの追及の表情から一転、満面の笑みを浮かべた凜華は、刑部の役人たちに向かって言った。
「皆さん、お疲れ様です。犯人は捕まったから、明日は証拠固めをするね」
その場違いなほど軽薄な態度に、役人たちは面食らったように顔を見合わせた。
景雲が面倒くさそうに言う。
「犯人を捕らえたのであろう。まだ調査するのか」
「するに決まってるじゃない」
凜華は得意げに胸を張った。
「自供はこれから引き出すとしても、確固たる物的証拠がないとね。私は後詰めも万全だから。鄧副統領の……あの竹林の『ねじり締め』の罠を完成させるには、金属の杭が必要なはずなのよ。でも、それがまだ見つかってないから」
「金属の杭だと?」
「地面に縄を固定するための頑丈な支点がいる。つまり、犯人は縄と杭を使ったはずなの。でもって杭は、地面に深く打ち込まれたままのはず。明日の朝一番で、現場にお湯をまいて雪と氷を溶かす。杭が見つかれば、決定的な証拠品になる」
凜華の力強い宣言に、刑部の役人たちは頷き「ただちに手配いたします」と言った。
「さて、犯人が捕まった以上、あなたたちをこれ以上引き留める理由はないね」
凜華は残された四人の参考人たちに振り返った。
釈放を言い渡された皓妃は、いち早く景雲のそばにすり寄った。
「ああ、陛下。陛下は私の潔白を信じてくださったのですね。ここ数日は大変恐ろしゅうございました。生きた心地がせず、食事も喉を通らず、夜は眠れず……」
「そうか。ではすみやかに後宮に戻って休め」
甘ったるい声で言い募る皓妃を、景雲は鬱陶しそうに払いのけた。
一方、韓女官は青ざめた顔で立ち尽くしていた。
自分と兄の窮地を一度は救ってくれた薛侍郎が、捕らえられた事実に激しく動揺しているようだった。震える彼女の背中を、見かねた刑部の役人がそっと促す。
阿星は、容疑が晴れたことにホッとした様子だった。
普段は口を利くことも許されない高官や皇帝に囲まれて萎縮しきっていたが、ようやく子供らしい表情を見せた。
裴尚書はといえば、騒動の間も終始変わらぬ冷静沈着な態度を保っていた。彼は着物の袖を優雅に払い、景雲に向かって深々と一礼した。
「事件が解決して何よりです。犯人が薬師に高官とは……誠に遺憾ですが。では、私は溜まっている仕事に戻ります」
そう言い残すと、しっかりとした足取りで工部に戻っていった。
一同が解散となり、残されたのは景雲と凜華、数人の護衛、刑部の役人のみとなった。
兵部を出て清心殿へ戻る道すがら、冷えきった回廊を歩きながら、景雲がぼそりとこぼした。
「……疲れた」
「お疲れさま」
凜華がくすくすと笑いながら言うと、景雲は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「腹が空いたな。戻ったら食事にするか。凜華、茶を淹れよ」
「はーい。ラテにする?」
「なんでもよい。残り物は食べてよいぞ」
「じゃあお肉が食べたいな~鳥か牛」
「我儘なやつめ。まあいい。事件を解決した褒美だ。残してやる」
「やった~!」
先ほどまでの凄惨な殺人事件の空気など微塵も感じさせない、どこまでも呑気な会話だった。
――そして、日が暮れた。
日付が変わり、深い闇と刺すような冷気が宮城を包み込む深夜。
兵部の敷地内の庭園に、一つの黒い影があった。
雲の切れ間から覗くわずかな月明かりだけを頼りに、侵入者は音もなく竹林へ近づいた。
現場の太い竹の近くまで来ると、地面に這いつくばった。
凍った雪の上に手をつき、獣のように四つん這いになって、しきりに何かを探している。
手袋越しの指が雪を掻き分け、凍った土を掘り返す。ガリッ、ガリッとかすかな音が夜風に紛れて響く。
やがて侵入者の口から、安堵の息が漏れた。
雪の奥深く、枯れ葉と泥にまみれた土の中に隠されていた冷たい感触。侵入者はそれを、力を入れて引き抜いた。
細い棒のようなものを素早く懐の中に仕舞い込み、立ち上がろうとした。
その時だった。
「――行け!」
小さくも鋭い号令とともに、複数の影が一斉に躍りかかった。
「なっ……!」
這っていた侵入者は抵抗する間もなく、屈強な男たちによって雪の上に押し倒され、両腕を拘束された。
「捕らえました!」
一人が叫びながら、建物の方に走ってゆく。
それが合図だったのか、闇の中に煌々と燃える松明がいくつも浮かび上がった。赤々とした炎が、雪景色や竹林、地に伏せられた侵入者の姿を照らし出す。
松明を掲げた役人たちの先頭を歩いてきたのは、外套に身を包んだ凜華だった。
その後ろには同じ外套を羽織った景雲が続いている。
凜華は、松明の光に照らされて顔を上げた侵入者の姿を見下ろしニヤリと笑った。
「今夜のうちに回収しに来ると思った。イチかバチかだったけど……やっぱり戻ってきたね、真犯人さん」




