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宸眷薬師の異世界調剤事件簿 ~ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない~   作者: kiyoaki
第二部 広がる世界、複雑化する事件

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第198話 五石散三重奏殺人事件<十四>

「見事だ」

 景雲が、ゆっくりと手を叩いた。乾いた拍手の音が響き渡る。

「被害者自身の体熱を利用して凶器を隠滅するだけでなく、時間稼ぎをし、偽の目撃証言まで生み出した。犯行時刻が違うなら、薛侍郎のアリバイは何の意味も持たない。酒盛りを始める前に罠を仕掛け、刺し殺すことも可能だろう」

「へ、陛下。私は断じてそのようなことは!」

 薛侍郎がすがるように叫んだが、景雲は黙殺した。


 庭園での現場検証を終えると、一行は寒風から逃れるように兵部の建物へ移った。

 兵部の建物は質実剛健そのものだった。

 太い柱は黒漆で塗られ、壁には無骨な槍や盾が飾られている。

 行き交うのは革鎧を身につけた屈強な兵士や、書類の束を抱えながらも足取りの荒い武官ばかりだ。室内には油と鉄、男くさい汗の匂いが染み付いている。


 応接室に入った一行は、ようやく重い腰を下ろした。

 部屋の中央には黒檀の大きな長机が置かれ、室内を暖める大きな火鉢には炭が熾(おこ)されている。

 長机の向こう側で、身を寄せるように火鉢を囲んでいたのは、六人の重要参考人たちだった。

 めいっぱい厚着をしてむっつりしている皓妃。

 緊張に顔を強張らせている宋薬師。

 青白い顔で視線を伏せている韓女官。

 冷静沈着で捜査などどこ吹く風といった裴尚書。

 小動物のように身を縮めている宮廷童子の阿星。

 この建物の主の一人であり、苛立ちを隠せない様子の薛侍郎。


 凜華は出された白湯で冷えた指先を温めながら、外を行き交う大柄な兵士たちを興味深げに眺めた。

 やがて、長机の向こう側に座る薛凌宇に視線を向ける。

「薛侍郎」

「なんでしょうか、薬師殿」

「昨日、阿星さんみたいな宮廷童子は宮中のどこにでも出入りできるという話を聞いたんだけど……兵部でも雑用で使っているの?」


 薛侍郎は片眉を吊り上げた。

「いいえ、戦地での伝令や輜重(しちょう)の運搬ならばともかく、兵部で子供は使いません。腕力のない童子など、何の役にも立ちませんからな」

 薛侍郎は韓春蘭をチラリと見ながら言葉を継ぐ。

「ここへは女人も入れません。血の気の多い男たちの巣窟に女の出入りを許せば、どうなるかは火を見るより明らかです。揉め事の種になりますゆえ」

 薛凌宇の言葉に、周囲の兵士たちが頷くのが見えた。

 兵部の敷地内に無断で女人を入れた者は、軍規に則り厳しく罰せられる。

 そこで薛凌宇は、耐えきれないとばかりに息を吐き出し、苦々しい表情で吐き捨てた。

「その点、あいつはひどかった。兵部にも女を入れて、何度尻拭いに奔走したことか」


 少しして、景雲が口を開いた。その声は逆らうことのできない皇帝の威圧を帯びていた。

「韓女官」

 名を呼ばれ、韓春蘭の肩がビクンと跳ねた。

「お前は、鄧副統領と少なからず因縁があるそうだな。宴でも奴に絡まれていたと聞く。鄧との関係について包み隠さず説明せよ」

 刃を喉元に突きつけられたかのような景雲の命令。

 室内は水を打ったように静まり返り、全員の視線が韓春蘭に向いた。

 春蘭は膝の上で両手をきつく握り締めた。

 何かを断ち切るように息を吸い込むと、毅然と顔を上げた。その目には強い光が宿っていた。


「陛下。私には、武官の兄がおりました。宮城守備隊に所属し、いずれは出世して家を盛り立ててくれるだろうと両親も私も頼りにしておりました」

 絞り出すような声が応接室に響く。

「ですが、兄は愚かでした。悪所通いを覚え、博打に手を出して多額の借金を作ってしまったのです。返済に窮した兄は……あろうことか、兵部の倉庫から武具や備品を盗み出し、城外の闇市で売り捌いていました」

「兵部の備品を横流ししただと?」

「はい。そして、その横領の現場を……鄧副統領に見つかってしまったのです」


 春蘭の顔に苦悶が浮かぶ。

「鄧副統領は、兄を刑部に突き出しませんでした。その代わり、兄の弱みを握って金銭を強請(ゆす)るようになったのです。『口外されたくなければ金を出せ』と。借金に加えて副統領からの恐喝に遭い、兄は身も心も追い詰められていきました。兄のおかしな様子に気づいた私は事情を聴き出し……薛侍郎さまにすべてを打ち明け、おすがりしたのです」

 薛侍郎も観念したように言った。

「事実です。兄妹に泣きつかれ、私は横領された備品の目録を確認しました。幸い、軍の根幹に関わるような機密はなかった。韓家が家財を売り払って金を作り、私がそれを元手に同じ備品を買い直して穴埋めをさせたのです」

「なぜ刑部に引き渡さなかった?」

 景雲の問いは鋭い。薛侍郎は深く項垂れた。

「お恥ずかしい話ですが、大ごとになれば私の責任問題に発展します。被害が補填されたのであれば、内密に処理し、地方へ左遷させることで穏便に済ませようと考えたのです」


 保身を含んだ隠蔽。

 だが、事態は薛侍郎の思惑通りには進まなかった。

「薛侍郎さまのお心遣いには、今でも感謝しております」

 春蘭が落ち着いた声で引き取った。

「ですが、その後も鄧副統領の脅迫は終わらず、穴埋めが終わった後も兄を苦しめ続けました。終わりのない搾取と恐怖に耐えきれず……兄は自ら命を絶ちました」

 部屋の空気がさらに重く沈み込んだ。

「兄が死んだ後は私に目をつけ、『黙ってやる代わりにお前が言うことを聞け』『俺のものになれ』と迫ってきたのです。私が拒絶すると、厨房や渡り廊下など、人目のない場所で待ち伏せして嫌がらせを……。宴の夜もそうでした。料理や酒を運んだところで腕を掴まれ、空き部屋へ連れ込まれそうになったのです。あの時は部下が来て、間一髪で逃げ出すことができましたが……」


 春蘭は当時のことを思い出したのか唇を噛みしめた。

「兄の自死に関しては、罪を犯した末に受けた罰だと思っています。誰のことも恨んではおりません。ですが……」

 鄧飛虎が自分まで搾取の対象にしたのは到底許容できない、とその瞳は訴えていた。

 薛侍郎が机をドンと拳で叩き、怒りを露わにした。

「韓女官の言う通りだ。あいつの女癖の悪さは異常だった。城下の妓楼で妓女に大怪我をさせたり、立場の弱い下働きの女を襲おうとしたり……鬼畜の所業を繰り返していた。私が知る限り、奴の毒牙にかかった者は片手では足りん」

「それほどの悪行を重ねながら、なぜ奴は罷免されなかったのだ」


 景雲のもっともな問いに、薛侍郎はギリッと歯を食いしばった。

「……軍功です。あいつはとにかく強かった。陛下がお生まれになる少し前に起きた塔爾汗(タルカン)族の反乱鎮圧を皮切りに、目覚ましい武功を立てました。地方に赴任したときも、汚職の摘発で名を挙げた。奴の暴力性はこと戦場や罪人の摘発においては、これ以上ないほど有効に働いたのです。軍部内では、素行が悪くとも糾弾できない空気がありました」

 薛侍郎は悔しそうに顔を歪めた。


 凜華は、六人の重要参考人たちを見つめながら、思案に耽った。

 横領の件は遅かれ早かれ露見しただろうが、今の話を聞く限り、薛凌宇にも韓春蘭にも鄧飛虎を殺める動機があるとみていい。

 凜華は前に座る景雲の袖を軽く引いた。

 景雲がわずかに顔を傾ける。

 凜華は耳元へ顔を寄せると、小さな声で囁いた。

「陛下。今から私が何を言い出しても話を合わせて。私の言う通りにして」

 景雲は眉一つ動かさず、一回だけ瞬きをして了承の意を示した。


 凜華はおもむろに立ち上がった。

「皆さんの事情はよくわかりました」

 全員の視線が、凜華に集中する。

 凜華は、六人の顔をゆっくりと見渡した。緊迫感が最高潮に達する。

「ようやく事件の謎が解けました。この六人の中に、被害者三人を殺した犯人がいます」

 爆弾発言に、室内は大きくどよめいた。扉の外に待機する官僚たちがしきりに中を覗き込んでくる。

「ほ、本当か?」

 薛侍郎が立ち上がりかける。

「こ、この中に殺人犯が? そんな……嫌よ!」

 皓妃が悲鳴を上げ、口元を袖で覆う。

 阿星は怯えたように頭を押さえ、裴尚書は腕組みをしたまま凜華をじっと見据える。

 兵士たちも騒然となり、腰の剣に手をかける者さえいた。


「動かないで」

 凜華が鋭く制する。彼女は腕を伸ばした。

 その指先が、迷いなく一人、そしてもう一人を指し示した。

「高官ばかりを狙った同時多発の殺人事件。恐るべき罠を設置し、実行に移した主犯は――薬師房の宋薬師、兵部の薛侍郎。この二人よ」



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