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宸眷薬師の異世界調剤事件簿 ~ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない~   作者: kiyoaki
第二部 広がる世界、複雑化する事件

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第196話 五石散三重奏殺人事件<十二>

「阿星さんは、普段は何をしていたの?」

 凜華が口を挟むと、これには役人が答えた。

「宮廷童子にも二種類おりまして。特定の主人に仕える者と、どこにも所属しない『無所属』の者です。阿星は後者でした。人手が足りない部署から呼ばれると、どこへでも行って雑用をこなします。工部もそうですし、薬師房や厨房、内務府へも……宮中のあらゆる場所に出入りします」

 説明に、凜華の目が細まった。

 薬師房は、宋薬師のいる場所であり、薬の現物がある。

 厨房は韓女官が出入りし、生姜と米などの食品があり、裏手には氷室がある。

 内務府は、厳海全の職場兼私室がある場所だ。

 そして、裴尚書のいる工部では、生石灰のような建築資材を管理している。

 すべての部署に、誰にも怪しまれることなく出入りできる人間、それが宮廷童子だった。

 現代で言えば、各部署のIDカードを持った清掃業者のようなものである。


 裴尚書が退出した後、景雲が待ちかねたように言った。

「身動きのとれない裴尚書が、阿星を使って犯行に及ぶことは可能か」

 凜華の横顔を見ながら続ける。

「動機は十分すぎるほどにある。友人であった尚敬支を陥れ、さらにはその家族まで破滅させた三人の男への復讐だ。裴尚書自身にはアリバイがあるが、彼が計画を立て、実働部隊として阿星の手を借りたとしたらどうだ。阿星にも三人への恨みがある。二人の利害は完全に一致する」


 景雲の推理は、背筋が寒くなるほど理にかなっていた。

 氷室での凍死。

 生石灰の発熱作用と生姜粥を組み合わせた熱灼死。

 いずれも、宮廷の複雑な構造と役人たちの行動パターン、物質の性質を熟知していなければ不可能な犯行である。

 土木の知識を持つ裴尚書なら、その条件を十分に満たしている。

 さらに間接的な罠を実際に現場にセットする手足として、宮城内のどこにでも出入りできる阿星がいれば、不可能と思われる犯罪も実行できる。


「どう思う、凜華」

 景雲の問いかけに、凜華は卓の上のサンザシを見つめたまま黙りこくっていた。

 彼女の頭の中では様々な情報が結びつき、特異な図形を描いてはまた解けて散っていった。

 裴尚書と阿星のタッグは、完璧な復讐のシナリオのように思える。

 だが、凜華の直感が理屈の奥底で「何かが違う」と警鐘を鳴らしていた。

 あまりにも出来すぎている。十一年前の因縁。悲劇の家族。そして、復讐鬼と化したエリート官僚と手先となった捨て子の少年。台本としては、どうにも美しすぎやしないか。


「わからない」

 凜華は肩をすくめてぽつりと言った。

「動機と手段のピースは綺麗にハマるよ。でもね、何か引っかかるの」

 凜華は顔を上げ、景雲の涼やかな目を真っ直ぐに見据えた。

「温侍郎と厳総管を殺した犯人は手口からして同一人物。鄧副統領も同じ手口なら単独犯だと思う。少なくとも実行犯は……」

 凜華は言いかけて、言葉を濁した。

 あの見事な二つの罠を仕掛けた「天才」と、庭園で鄧副統領を刺した人間は別なのか。

 あるいは、最後の一人を殺したのは、この一連の復讐劇に便乗した、全く別の思惑を持つ第三者なのか。

 謎は解けるどころか、さらに深く、ドロドロとした底なし沼へ二人の足を引きずり込んでいくようだった。

 景雲は思考の迷宮に入った凜華に、それ以上問うことを諦めた。


 翌日、一行は第三の殺人現場である兵部の敷地内にある庭園にやってきた。

 後宮の華やかな庭園とはまるで違う枯山水のような寒々しい石組みと、葉を落とした古木が不気味な影を落とす一角。

 鄧飛虎は竹林の中に倒れていた。

 遺体はすでに安置所へ運ばれたが、彼が倒れていた霜柱の上には、流れ出た血が赤黒く凍りつき、大きな柘榴(ざくろ)が張り付いているかのような無残な痕跡が残されていた。


 凜華は手元の検死記録に目を落としながら、竹林の周囲を歩き回った。

「発見時の報告でも気になっていたのだけど……鄧副統領は、高い地位に似合わない無惨な姿を晒していたそうね」

 景雲も凜華の視線を追い、怪訝そうに眉を寄せた。

「真冬の深夜だというのに肌着一枚だった。武官とはいえ、尋常ではない死にざまだ。やはり五石散の影響か」

「うん。宴で五石散を盛られたか、自ら飲んだ後で、庭に出て行散していたんでしょうね。そこを襲われたんだろうけど傷口が……」


 凜華は検死した際の、傷口の形状を思い出した。

 確かにそれは、幅広の刃物が深々と刺さったことを示していた。

 凜華の顔に戸惑いが浮かんだ。

「奇妙なんだよね。一突きで心臓に達するほどの膂力で刃物を突き立てたのなら、骨に当たった擦過痕(さっかこん)や、布を巻き込んだ繊維のほつれがもっと粗雑に残るはず。それに、出血の量に対して、衣服の濡れ方が異常だった。血だけでなく、大量の『水』を被ったみたいに布がぐっしょりと湿っていたっていう」


 凜華は、周囲の竹林を見回した。

 庭園をぐるりと囲む分厚い石塀へ視線を向ける。

「念のための確認だけど、ここの入り口には常に見張りが立っているのよね?」

 凜華の問いに、景雲が頷いた。

「ああ。兵部の敷地内だからな。倉庫には武器もあるし、入り口の警備は厳重だ。宴の夜も、不審な侵入者は一切なかったと報告を受けている」

「正面から入れないなら、犯人はどうやってこの厳重な庭園に忍び込んで鄧副統領を刺したのかな。……ん?」

 凜華はふと視線を下げ、石塀の根元、枯れ草に半分ほど隠れるように口を開けている穴に目を留めた。

 庭園に溜まった雨水を外の堀へと逃がすための、石組みの排水管(暗渠(あんきょ))だ。外側にはめ込まれているはずの鉄格子が、不自然に外れかかっている。

 凜華はその泥まみれの穴の前にしゃがみ込むと、両手を広げて幅と高さを測った。

「……陛下。あなたや兵士たちみたいな大人の男じゃ、肩がつかえて絶対に通れないね」

「何が言いたい?」

 凜華は答えずに立ち上がり、再び遺体があった竹林へ戻った。靴底が、枯れた竹の葉をカサリと踏みしめる。


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