第192話 五石散三重奏殺人事件<八>
いったん解散となった後、景雲と凜華、捜査の指揮を執る刑部の高官数名は、清心殿へ戻った。
李元たちが白湯や温かい酒を持ってきて振舞い、氷室で冷え切った身体がようやく人心地つく。
凜華は一口白湯を啜ると、すぐに真剣な表情になって刑部の役人たちに向き直った。
「いくつか調べておいてほしいことがあるの」
「はっ、何なりとお申し付けください」
「まずは裴尚書のアリバイの裏付けね。彼が言っていた通り、酉の刻から戌の刻まで本当に工部の執務室から一歩も出ていないのか、複数人の証言を個別に取って確認して。口裏合わせの可能性もあるから、矛盾がないか念入りにね」
「承知いたしました」
「それから、今回の被害者三人について、過去の詳細な経歴を洗い出してほしい。この三人の間に交遊があったかどうか、何か共通の接点がないかを重点的に探って」
役人たちが手早く書き留める横で、景雲は腕を組んで思案顔になった。
「三人が親しかったという話は聞かんな。それぞれ部署も立場も違う。反目していたとも聞かんが」
「表立っての付き合いはなかったってことだね」
凜華は顎に手を当て、思いついたように顔を上げた。
「じゃあさ、ジャンキー仲間の線はどう?」
「じゃんきー?」
聞き慣れない言葉に、景雲と刑部の役人たちが口を揃えた。
「麻薬の常習者仲間かどうか。殺人事件だけど、被害者たちは自主的に薬物を摂取していたかもしれないし。五石散じゃない別の薬物に手を出していたとしたら、身分や派閥に関係なく、裏で繋がっていた可能性があるんじゃない?」
「非合法な薬物を融通し合う闇の繋がり、ということか。それはそれで大問題だが」
景雲の目が鋭く光った。
「被害者たちの周辺で不審な金の流れや、得体の知れない商人との接触がなかったかどうかも調べよ。彼らが裏でつるんで麻薬を吸っていたとなれば、そこに殺害の動機が隠されているやもしれん」
「ははっ、ただちに手配いたします」
役人たちが慌ただしく退出していく。
残された凜華は、残りの白湯を一気に飲み干した。
「薬物絡みなら、もっと話は複雑かもね。口封じとか、密売のトラブルとか……。明日からは厄介なことになるかも」
凜華はそう言うと、傍らの皇帝の顔を見つめた。
翌日。
捜査は、第二の遺体、内務府総管を務めていた厳海全に移った。
重要参考人六人と刑部の役人、野次馬の官吏たちが見守る中、第二の現場検証が始まった。
皓妃は、一度後宮に戻ったが、命を受けた宦官たちに一晩中見張られてゲッソリしている。
厳海全は、宮城の外にある自身の屋敷で亡くなったわけではなかった。
内務府にある奥の寝所で、分厚い羽毛の布団にくるまったまま、凄まじい量の血を吐いて死んでいた。
吐血の量は尋常ではなく、口から溢れた赤黒い液体が寝台のシーツを染め上げ、床にまで滴り落ちて血の海を作ったほどである。
「おびただしい血を吐いて死ぬ、か。毒殺の定番だ」
景雲が状況を聞きながら言った。
「凜華よ、これも五石散の仕業か。同じ薬を飲んで一人は凍死し、一方は血管が破裂したように血を吐いて死ぬとは。そんな都合の良い話があるのか」
「あるんだよね。それが五石散の最も厄介な特性だから」
凜華は、いまだに血の匂いがする空間で眉一つ動かさず、用意させた手桶と竹のピンセットに向き合っていた。
彼女の目の前には、厳海全が死ぬ前に食べたらしき「胃の内容物」――つまり吐瀉物が、水洗いされて濾された状態で並べられている。現代の法医学者が行う胃内容物検査。極めて原始的だが確実な手法である。
「彼が自室で死ぬ直前に飲み食いしたものを調べさせたの。その結果がこれ」
凜華は、ピンセットの先で小皿の上にある「それ」をつまみ上げた。
「米粒の残骸。そして、細かく刻まれた黄色っぽい繊維質。これは……生姜だね」
「生姜?」
景雲が怪訝そうに眉をひそめた。
「宴の席を中座した後、厳海全は自室で夜食をとったというのか。生姜粥に毒が仕込まれていたとでも?」
この国では、宮中における毒殺の疑いがある場合、必ず行う儀式がある。
銀の針を対象物に突き刺すことだ。
ヒ素や硫黄化合物などの毒物が含まれていれば、銀は化学反応を起こして黒く変色する。
凜華は手慣れた様子で、部屋の卓に残されていた食べかけの生姜粥が入った椀を引き寄せ、長い銀の針を深々と突き刺した。
数秒後、針を引き抜いてみるが、銀の輝きは全く失われていない。ピカピカのままである。
「変色しない。つまり、厳総管が最後に食べたこの粥自体には、ヒ素をはじめとした鉱物系の毒物は入っていない。毒見役がこれを食べても『おや、生姜が効いていて体の芯から温まりますな』とでも言って通過させるでしょうね」
凜華はそう言うと、今度は手桶に残っていた水洗いする前の吐瀉物の方に、別の銀の針を突き刺した。
するとどうだろう。引き抜いた針の先は、黒々と変色している。
「彼の胃の中にあった吐瀉物からははっきりと硫黄反応が出た。つまり、彼が毒(五石散)を口にしたのはこの粥ではなく、もっと前……宴の席だったってこと」
凜華はパンパンと手を払った。
「厳総管が最後に食べた『熱々の生姜粥』は、薬学の基準に照らし合わせれば、全くの無毒。むしろ健康食。ただし、彼の体内に五石散が入っていなければの話」
凜華の言葉に、周囲の官僚たちがざわめいた。
無毒の粥が凶器になるなど、素人には到底理解できない理屈である。
「陛下。前にも説明した通り、五石散という薬は鍾乳石、紫石英、白石英、硫黄、赤石脂といった鉱物を砕いて配合したもの。この鉱物に含まれる毒素が血に溶け込むと、脈が異常に早くなり、体温が限界を超えて急上昇する。全身の血が沸騰するように猛烈な熱を帯びる」
凜華は指を一本立てて、講義を続ける。
「だからこそ、五石散を服用した者は、その熱を体外へ逃がすために守らねばならないルールがある。それが『冷食』です」
「冷たいものを食うのだな」
「その通り。五石散の別名が『寒食散』と呼ばれる理由がこれ」
凜華は、残された生姜粥の椀を指差した。
「薬によって体内で異常な熱が発生している時に、温かいものを飲み食いしてはいけない。温かい飯、温かい汁、ましてや身体を温める作用のある生姜のような生薬はもってのほか。もしそれを破れば、体内の熱は逃げ場を失い、東洋医学でいう『迫血妄行』が起こる」
「はっけつもうこう?」
「極端な熱が体内にこもることで、熱が血を暴走させる現象。要するに、外へ発散させるべき熱を体内に封じ込め、限界まで膨張した胃や食道の血管を弾け飛ばす自爆行為よ」
ここに至って、景雲もようやく事の顛末を理解したのか、その美しい顔に戦慄を浮かべた。
「つまり……生姜粥が命取りになったと」
「そう。厳総管は宴の席で五石散を摂取させられた。その後、彼は会場を出て自室へ戻った。普通ならここで薄着にならなければならないのに、彼は外の異常な寒さと、薬による体温調節のバグのせいで……」
「ばぐとはなんだ?」今更ながら景雲が突っ込む。
「ああっと、つまり異常発熱で頭の働きが狂っちゃって、正しい判断ができなかった。部屋に戻ると、そこには『熱々の生姜粥』が用意されていた。あるいは、彼自身が運ばせたのかもしれない」




