↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宸眷薬師の異世界調剤事件簿 ~ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない~   作者: kiyoaki
第二部 広がる世界、複雑化する事件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
188/207

第188話 五石散三重奏殺人事件<四>

 普段は誰も寄り付かない宮中の遺体安置所は、ひんやりとした死臭と、それに負けじと焚き染められた強い香の匂いが混ざり合い、なんとも言えない陰鬱な空気に満ちていた。

 そんな重苦しい空間の中央で、凜華は袖をまくり上げ、鼻から下を布で覆っただけの軽装で、三つの遺体を前に忙しなく立ち働いていた。


「うーん、見事なまでのうっ血ね。死斑(しはん)の出方や死後硬直の進み具合から見ても、単なる凍死や失血死のそれじゃない」

 凜華は、豚皮巻き卵に悪戦苦闘していた時とは打って変わり、冷徹なプロフェッショナルの目つきになっていた。

 彼女の手には、竹のピンセットが握られている。

 その背後では、外套を着た景雲が椅子に腰かけて検死の様子を見学している。その周囲を重要参考人たちと高官たちが囲んでいた。みな死体が放つ異様な空気に当てられ、青ざめている。


「どうだ、凜華。先ほど大広間で官吏どもが喚き散らしていた反乱組織による同時多発暗殺説とやらを覆させそうか?」

 景雲が様子を窺いながら話しかける。

 凜華はピンセットの先で、第一の遺体――氷室にて全裸で見つかった温世傑の皮膚を突きながら答えた。

「百聞は一見にしかず。ほら見て。この皮膚を」

 凜華が指し示した温世傑の肌は、凍死体特有の蒼白さを通り越し、不自然なほど鮮やかな死斑と異常なうっ血が全身に広がっていた。


「温侍郎だけじゃない。自分の寝台で血を吐いて死んだ厳総管も、庭園で刺殺された鄧将軍の肌にまで、同じように異常な毛細血管のうっ血が残っている。凍死なら鮮紅色の死斑が出るのは当然だけど、血を流して死んだはずの遺体にまでこれほど強い赤みが出るのはおかしい。通常なら血が抜けて白っぽくなるはずだもの。これは、死の直前まで体温が異常に高く、極限まで拡張した毛細血管に血液が留まって巡っていた証拠よ」

「ほう。だが、それは宴でしこたま強い酒を飲んだからではないのか?」

「アルコールの血管拡張作用だけで、失血死した遺体にまでこんなうっ血は残らない。しかも、これを見て」


 凜華は、遺体の傍らに畳んで置かれていた衣類――特に、肌に直接触れる内衣を注意深くつまみ上げた。

 その布地の裏側には、ごく微量の黄色と白の粉末が付着していた。

「温侍郎が脱ぎ捨てた衣と、厳総管の寝間着、そして鄧副統領の軍服の内側から、同じ成分の粉末が採取された。黄色い粉は『雄黄(ゆうおう)』、つまりヒ素の硫化物。そして白い粉は『石膏(せっこう)』、硫酸カルシウムです」

「鉱物の粉だと? 彼らは宴の席で何をしていたのだ」

「おそらくは……薬を飲んだんじゃないかな」

「薬?」

「麻薬と言った方がいいかな」

「なんだと?」

 皇帝の驚く声と同時に、周囲もざわめく。


「おそらく、これは彼らが懐に忍ばせていた薬包からこぼれたか、飲む時に胸元へこぼした粉だと思う。普通は落ちてしまうけど、異常な発汗によって内衣の裏地にべったりと張り付いてしまった。雄黄、石膏、それに紫石英や白石英などを混ぜ合わせた、猛烈な発熱作用を持つ劇薬。前世の……じゃなかった、私が読んだ医学書ではこの薬を『五石散(ごせきさん)』、または『寒食散(かんしょくさん)』と呼びます」


 凜華の口から出たその名前に、宋薬師が息を呑んだ。

 ついてきた太医長の顧成と視線を交わし合う。

 二人の様子に気づいた景雲が鋭く問う。

「宋よ、お前は知っていそうだな」

「……それは」

「申せ。顧成でもよいぞ」

 宋薬師は上長の顧成をすがるように見た。

 顧成は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 宮中で禁薬が使用されたという醜聞に関わることなど口にはしたくない。本来であれば、毅然と黙秘するべきなのだが……しかし、すでに凜華が原因らしき薬を指摘している。知られてしまうのは時間の問題だった。


「医長」

 宋薬師から呼ばれた顧成は、観念したように頷いた。

「構わん。陛下に説明申し上げるよう」

 許しを得て、宋薬師は口を開いた。

「五石散という薬は存在しませんが、材料や成分からして『醉春散(すいしゅんさん)』のことと思われます」

「こっちではそういう名前なんだ」

 凜華はこの世界にも五石散に近いものが存在することにホッとした。

「醉春散は五十年ほど前に、一部の貴族たちの間で『長寿の秘薬』『精力増強の仙薬』として密かに流行した薬です。ですが、あまりにも身体に負担が大きいため、発禁となった呪いの薬です」

「あ、もうこっちではブームが一巡してるんだね。呪いじゃなくて、単なる重金属と鉱物による強烈な中毒症状だけどね」

「現在は作られておりませんし、薬師房に在庫もありません。出回ることはありえないはずですが……」

 困惑する宋薬師に、景雲は腕を組んだ。

「しかし、事実として被害者たちの口に入った。ゆえに事件が起きたわけだ。凜華、薬がもたらす症状を説明せよ」


 凜華は、講義を始める教師のように人差し指を立てた。

「この薬は、重金属の毒素が中枢神経と交感神経を限界突破させて、基礎代謝を強制的にバグらせるの。身体中の細胞が異常に燃焼して、体温調節機能が壊れちゃうのよ。当人は、気力も体力も充実した『無敵状態』と錯覚しちゃうんだけど、問題はそのあと。体内に生じた凄まじい熱を、正しく外に逃がさないと、その熱で内臓が煮えて死んでしまうの」

「自らの熱で死ぬ……? 毒ではないか」

「うん、毒だね。熱を出す毒」

「どうやって熱を逃がすのだ」

 景雲の問いに、凜華は肩をすくめた。


「そのやり方がまた極端で馬鹿げているんだよね。熱を逃がすために『冷服』といって風通しの良い薄着になり、『冷食』といって冷えきった食事をとり、さらには『行散(ぎょうさん)』と言って、熱が引くまでひたすら歩き回る。とにかく身体を冷やし、動かし続けることが生存条件。これを少しでも怠れば、薬の毒性が五臓六腑を食い破って死んでしまう」

「なんだそれは……。意味がわからん」

「その意味がわからん麻薬が五石散なんだってば」


 大広間で「複数犯説」を喚いていた高官たちは、ここにきてようやく凜華の言わんとしていることの恐ろしさに気づき始めた。

「待て、薬師殿。つまり三人は宴の席でその禁断の麻薬……五石散とやらを飲まされた、というのか?」

「飲まされたのか、自分たちの意志で飲んだのかはわからないけど、とにかく彼らの体内に五石散が入った。そして『真冬の寒さ』と『五石散の作用』が組み合わさった結果が、この三つの不可解な死体というわけです」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。