第186話 五石散三重奏殺人事件<二>
凜華は李元に連れられて、清心殿の大広間にやってきた。
普段ならば華やかな雅楽が奏でられ、宴や儀式が行われるこの場所は、現在混乱の渦中にある。
一段高い上座には景雲が腰かけ、肘をついて騒ぎを見下ろしていた。
その視線の先には、昨夜の宴に参加していた六人の男女が蒼白な顔で平伏していた。
彼らを取り囲むように、甲冑を鳴らす兵士たちが立ち並び、刑部の役人たちが目を光らせている。凜華は壁際に行き、始まった捜査の様子を注意深く観察した。
捜査を主導しているのは、官僚たちの中で特に声の大きい者たちだが、彼らの追及の矛先は、もっぱら六人の重要参考人に集中していた。
無理もない。死んだ三人――戸部侍郎の温世傑、内務府総管の厳海全、宮城守備隊副統領の鄧飛虎は、生前この六人と因縁があったからである。
「違います。私ではありません。陛下、どうか信じてください」
最初に顔を上げ、甲高い声を発したのは、皇帝の妃の一人で、邀月殿に住まう皓妃である。名を董円姲という。
十六歳の彼女は、桃色の豪華な絹衣に身を包んでいた。
結い上げた黒髪には螺鈿細工の簪が燦然と輝いている。二年前、十四歳という若さで入宮した皓妃は、まだ幼さの残る愛らしい丸顔を曇らせながら必死に訴えた。
昨夜の宴は、皓妃の実家である董家が主催し、彼女の誕生日祝いも兼ねていた。
董家は国の塩の専売事業に関わる大富豪である。定期的に宮城の広間を借りきって宴を催しており、多くの客が招かれていた。
妃であっても、皇帝の許しがなければ後宮からは出られない。皓妃はあらかじめ外廷行きを申請し、宴を楽しみにしていた。
誕生日を祝ってもらい、久方ぶりに羽根を伸ばしていたのに、宴の場で温世傑と激しい言い争いを繰り広げた。大声で喚き、最後は泣きだしてしまった彼女の姿は、多くの出席者に目撃されていた。
「しかし、皓妃さまは先日、温侍郎と激しくやり合われたとか」
刑部の役人が指摘すると、皓妃は答えた。
「たしかに温侍郎とは前々から確執がありました。私の実家が宮中の庭園改修に求めた予算を『無駄遣いである』と突っぱねたりもされましたし。あれは本当にケチで陰湿な男でした」
実家の権勢を頼んでか、元々の性格なのか、歯に衣着せぬ物言いである。
「挙句には私のことも侮辱し、昨夜の宴でも口論になりました。それは事実です。ですが、だからといって氷室に閉じ込めて凍死させるなんて……そんなこと私にはできません」
絹の上衣を揺らし、繊細な肩を振るわせながら悲劇のヒロインさながらに身の潔白を主張する。
実際、華奢な彼女に分厚い氷室の扉に細工をし、四十代の男を全裸にひん剥くような腕力はない。しかし、配下を使えば可能である。
「その通りです。動機だけで人を罪に問うなど言語道断。それを言うなら、厳総菅と日頃から揉めていた私とて同じこと」
皓妃の言葉に便乗するように声を張り上げたのは、薬師房のベテラン薬師である宋亜歴である。
五十代半ばの彼は、彫りの深い目元と浅黒い肌、白髪の混じった縮れ毛を持った大柄の男だった。
元々は異国出身の薬師で、留学生としてこの国に来て早三十年。
五大医家の一つである顧家に入門し、宋姓を賜って定住した。質素な服の袖口からは、長年の研究で染みついた薬草と鉱物の匂いが漂っている。
隣りには、責任者として呼ばれた太医長の顧成も控えている。
宋亜歴が身振りを交えて叫ぶ。
「厳総管は、皮膚病を患っておりました。その痛みを散らすためと称して、薬師房の予算を削り、辰砂やら雄黄やらといった高価な鉱物薬や希少な薬材を自分のために確保しろと理不尽な要求を繰り返していました。私がそれに腹を立てていたのは事実ですが、毒を盛るなどあり得ない。私は薬師です。毒殺するならもっと上手くやりますよ」
すると、今度は工部尚書の裴元徽が、手入れの行き届いた顎鬚を撫でながら冷笑した。
四十代半ばの彼は、隙のない完璧な仕立ての官服を纏っている。
「宋薬師の言う通りだ。動機だけで語るなら、温侍郎の死体があった『氷室』の責任者である私こそが最も怪しいということになる。確かに私は、氷の切り出しと保存の予算を巡って温侍郎と対立していましたがね。だが、氷室の構造と断熱設計は我々工部の誇る建築だ。あんなところに、全裸の男の死体を転がしておくような不潔な真似はしませんよ。氷室の氷は陛下のお口に入るものですしね」
工部の長官兼建築家としてのプライドが混じった裴元徽の弁明に、隣りにいた兵部侍郎の薛凌宇が同調する。
彼は武官らしくがっしりとした太い首と太鼓腹を持つ五十手前の男だが、今はもともと赤い顔をさらに真っ赤に染めていた。
「左様です。庭園で刺殺された鄧飛虎は私の部下でありながら、武芸の腕を鼻にかけて見下す傲慢な男でした。彼と揉めて暴力沙汰になったことは何度もあります。現場は私の警備管轄ですが、昨夜、鄧飛虎が庭園をふらふらと歩き回っているのを目撃された丑の刻(午前二時)ごろ、私は詰め所で部下たちと酒を飲んでおりました。私に彼を刺すことはできない!」
そして、最も存在感が薄く、列の端で小さくなってガタガタと震えているのは、宮廷童子の阿星であった。
十三歳の小柄な少年で、身の丈に合わない大きめの作業着に身を包み、丸刈りの頭を床に押し付けている。
昨夜は宴の裏方として、重い酒樽から酒器へお酒を汲み移したり、空いた器を引く雑用を手伝ったりしていた。
「わ、私ではありません。確かに厳総管から『手際が悪い』と怒鳴られ、酒杯を投げつけられはしましたが……そんなことは日常茶飯事でしたし。殺すだなんてまさか。そんな恐ろしいことができるわけがありません」
まだ声変わりもしていない子供である。
おどおどと見開かれた目から涙をこぼす哀れな姿に、周りの役人たちも呆れたような視線を向けた。
そもそも阿星は厳海全に日頃から叱られていた程度の因縁しかなく、武芸の心得もなければ薬の知識もない。
殺害を実行できる能力も動機も欠けており、刑部が数合わせのために連れてきたのかと思われる少年であった。
最後に残ったのは、宴の配膳をすべて取り仕切っていた女官の韓春蘭であった。
二十代半ばの彼女は、一本の乱れもなくひっつめられた黒髪に真面目そうな顔立ちをしている。
凛とした立ち姿と折り目の正しい女官服からは、彼女の几帳面さと肝の据わり様が窺える。
彼女はゆっくりと頭を上げた。
「私は、三人の方々のためにお酒や料理を準備しました。以前から鄧将軍には脅迫されていましたし、昨夜も酌を強要され、腕を掴まれたところを周囲に見られております。個人的な恨みがあるのではと疑われても仕方ありません。しかし、もし私が膳に毒を仕込んだのであれば、三人とも毒で亡くなるはず。死因が違う以上、私の仕業ではございません」
六人の言い分が出揃ったところで、大広間を包んでいた空気は、ある一つの結論へ向かい始めた。
すなわち、政治家や官僚が最も好む魔法の言葉「陰謀」である。




