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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki


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第18話 高級美容クリームで営業しちゃうもんね<四>

 後宮の片隅、洗滌局には場違いな華やぎが訪れていた。

 といっても、皇帝のお渡りがあったわけでも、どこぞの妃が気まぐれに視察に来たわけでもない。

 やってきたのは凜華である。彼女は今や、皇帝の寵愛を受ける身(という誤解が広まっている)でありながら、以前と変わらぬ軽快な足取りで、下女たちが汗にまみれて働く洗濯場に顔を出したのだ。


「桂女さん、元気? 腰の具合はどう?」

 声をかけられたのは、古株の桂である。彼女は大量の洗濯物が放り込まれた大樽の前で、洗濯棒を回す手を止めた。しわくちゃの顔を上げ、眩しそうに目を細める。

「おや、凜華かい。……いや、今は皇帝陛下の侍妾。凜華さま、とお呼びしなきゃ罰が当たるね」

「やめてよ、今まで通りでいいってば。実は桂女さんに渡したいものがあってね」

 凜華は懐から、ころりとした青磁の小壺を取り出した。先春殿から送られてきた滑雪膏である。巴豆と塩化第二水銀が入った中身は石灰水を用いて慎重に処分し、陶器の壺は使い回した。中身は梅妃に売りつけたものと同じ、凜華特製の美容クリームである。

 ただし、梅妃に渡したものが高級な試供品だとすれば、こちらは貴重な珍珠や巴豆を入れず、代わりに保湿成分とコラーゲンを増量した安価版だった。蜜蝋のほのかな甘い香りがする。


「これ、私が作った『凜雪膏』の一般向けバージョン。よかったら使って。乾燥肌やあかぎれに効くし、シミも薄くなるわよ」

 桂は濡れた手を前掛けで慌てて拭い、恐る恐る小壺を受け取った。

「こんな婆が、化粧品なんてもらってもねえ」

 口では卑下しつつも、表情は綻んでいる。女は幾つになっても「綺麗になるための道具」を贈られれば心浮き立つ生き物なのだ。

 桂は蓋を少し開け、中身の香りを嗅いだ。

「滑雪膏とは違うけど、いい匂いだねえ。……ご主人さまを思い出すよ」

 桂の目に寂寥の色が浮かんだ。亡くなった主人を思い出したのである。


 凜華は、近くに転がっている丸太に腰を下ろした。ここに来たのは、単にクリームを渡すためだけではない。

「ねえ、桂女さん。そのご主人のこと、少し聞かせてもらえない? 『滑雪膏』を使っていたって話」

 桂は小壺を大事そうに懐にしまうと、ほう、と息を吐いた。

「ああ、使っていたともさ。ご主人さまは事故で顔に怪我をされてね。傷が残ってしまったんだよ。それで……お上の寵愛を失ってしまってね。白粉を塗れば隠れる程度のものだったけど、あの方はひどく気に病んでおいでだった」

 後宮において、美貌は武器であり、鎧であり、生命線である。顔の傷が、致命的なコンプレックスになったことは想像に難くない。

「先帝陛下の足が遠のいてからは、特にね。もっと白く、もっと美しくならなければと、毎日のように滑雪膏を顔に擦り込んでおられたよ」


 桂は遠い日を懐かしむように、そして悔やむように語り始めた。最初は、確かに効果があったという。肌は抜けるように白くなり、傷も目立たなくなった……ように見えた。主人は喜び、桂もまた主人の笑顔が見られることを喜んだ。だが、その幸福は長くは続かなかった。


「しばらくして、あの方はふさぎ込むようになった。部屋の隅にいるという、見えない誰かに怯えるようになったんだ。『影が襲ってくる』だの『誰かが私の悪口を言っている』だのと、うわ言を繰り返して……。突然笑い出したり、泣き出したり」

 気鬱の病。当時はそう診断された。手足は震え、食事も喉を通らなくなり、かつての聡明さは消え失せた。気難しくなり、桂に当たり散らすことも増えたが、桂は献身的に仕えた。


 そして、運命の日は唐突にやってきた。

「雪の降る、寒い朝だった。あの方は突然、薄い寝巻き一枚で庭へと飛び出したんだ。慌てて追いかけたんだけど、見つけた時にはもう……」

 桂の声が震えた。主人は庭の氷が薄く張った池に足を滑らせて落ちたか、自ら飛び込んだ。桂たちが必死で引き上げたが身体は冷たく、心臓はすでに止まっていた。美しい顔は苦悶に歪んでいた。


「気鬱が高じての事故、あるいは自害……名誉を重んじて病死。そう片づけられたよ。でもね、あたしにはどうしても解せないんだ」

 桂は悔しげに拳を握りしめ、膝の上を叩いた。

「ご主人さまだけがおかしくなるなんて……これは呪いだよ。後宮じゃよくある話さ。呪詛されたんだ。他の妃たちの嫉妬の念があの方を狂わせたんだ」


 凜華は静かに首を横に振った。

「ううん、違うわ。桂女さん。呪いじゃない。ご主人が亡くなったのは毒のせいよ」

「……毒だって? そんなはずはないよ」

 桂は信じられないとばかりに首をふるふると振った。

「毒を盛られたはずはないんだ。あたしはご主人さまの乳兄弟でね。物心ついた時から、あの方が口にするもの、飲み物も食べ物も、全部あたしが毒見をしてきたんだ。入宮されてからも亡くなる前日まで、あたしが毒見をしたんだよ」

 桂は筆頭侍女になってからも、毒見を他の者に任せることはなかった。大事な主人を守りたい一心だった。

 身代わりに毒を呑んで死んだとしても、それは名誉の殉職。家族には主家からまとまった慰労金がいくし、桂の家族や親類が新たに雇用されて仕事を得ることができる。


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