第17話 高級美容クリームで営業しちゃうもんね<三>
「き、きき、貴様! 何を、何をしてくれるのじゃ!」
梅妃がようやく事態を理解し、声を張り上げた。
「それは、実家に頼んで取り寄せてもらった最高級品なのだぞ」
「わーすみません~! うっかりしちゃって~」
「明らかに床に叩きつけたであろうが!」
「でもご安心ください。滑雪膏よりもっと良いものを持ってきましたから」
凛華は持ってきた包みを開くと、中から素焼きの壺を取り出した。梅妃の前にさっと差し出した。
「これは、滑雪膏よりもはるかに効き目のある高級美容クリームです。名付けて『凛華式・漢方デトックスパック』」
「くりーむ? でとっくすぱっく? おのれ。わけのわからぬことを言って煙に巻こうてか?」
「確かに長ったらしいわね。じゃあ、『凜雪膏』という名前にします」
梅妃の怒りが頂点に達する前に、凛華はマシンガンのように説明を始めた。
「従来の滑雪膏は確かに色が白くなりますが、体調も悪くなっていくはずです。なぜなら滑雪膏には昇汞が入っているからです。これは水銀で、端的にいうと毒です」
「毒……昇汞!」傍にやってきた但娘が口元を押さえる。彼女も水銀が毒であることは理解していた。しかし、塩化第二水銀は無臭。目視や匂いでは気づけなかったのである。
「その点、このクリームは違います。まず、ベースは豚の脂と蜜蝋。それに豚の皮の煮凝り――コラーゲンをたっぷり配合。塗ればお肌プルプル、弾力が違います」
「ぶ、豚の皮……?」
梅妃が顔をしかめる。豚は、肉そのものはよく食べられているが、元々は貴人が口にするのも憚るような下賤な動物である。
「ここからが重要です。凜雪膏には『巴豆』を使用しています」
「巴豆?」叫んだのは但娘だった。
「梅妃さま、騙されてはなりません。巴豆は劇薬、肌を爛れさせる毒物です。この女、梅妃さまを害するつもりです」
「……やっぱり巴豆のこと知ってたのね。説明の途中なんだから黙っててよ」
凛華は冷ややかな声で但娘を一喝した。その迫力に、但娘はたじろぐ。
「確かに巴豆はそのまま入れたら毒。でも、これに入っているのは私が三日三晩かけて油分を抜き、加熱処理して分解・無毒化した『巴豆霜』よ。毒を抜けば、巴豆は血行促進剤になる。滞った血の巡りを良くして、顔色をバラ色に変える素晴らしい生薬になる」
凛華は壺の蓋を開け、中身を指ですくった。クリームからは、ほのかにスパイシーな香りが漂う。
「さらに! 水銀なんていう危ないものの代わりに、珍珠……要するに炭酸カルシウムと、肌荒れを治す薏苡仁、血を補う当帰を絶妙な配合でブレンドしました。美白と健康、両方を手に入れることができる逸品です」
炭酸カルシウムは、毛穴の汚れや古い角質を、肌を傷つけずに落とすスクラブ効果があり、肌の透明感アップやキメを整える効果が期待できる。
薏苡仁はハトムギのことで、肌の新陳代謝を正常化し、肌荒れやイボを改善する効果がある。
当帰は、血行促進や肌のトーンアップに効果があり、高い保湿作用がある。
凜華は、現代日本でも化粧品によく使われる生薬を贅沢に配合したのだった。
「嘘よ! 毒に決まってるわ」但娘が喚く。凛華はため息をつくと、すくったクリームを自分の頬に塗りたくった。
「ほら、見ての通り。ピリピリもしないし、赤くもならない。じんわり温かくなるだけ」
それだけではない。凛華はあろうことか、指に残ったクリームをぺろりと舐めた。
「ん、悪くない味。ベースが豚の脂と蜜蝋だから、最悪お腹が空いたら食べられます」
「た、食べた……」
梅妃と但娘は絶句した。化粧品を食べるなど、前代未聞だが……それは何よりも雄弁な「安全の証明」だった。
毒が入っているのなら、口に入れられるわけがない。
「梅妃さま、そのお顔のシミ、気になりませんか?」
「こ、これは……」梅妃は頬を手で押さえた。
「手足の冷え、だるさ、歯茎の色素沈着……体調不良も、おそらくは滑雪膏に入っている水銀のせいです。使い続ければいずれ髪は抜け落ち、精神を病んで死に至りますよ」
「な……死ぬ、だと?」梅妃の顔が恐怖で引きつる。
「ええ。ですが、今ならまだ間に合います。この『凛雪膏』に切り替えれば、真珠成分が肌を輝かせ、当帰と巴豆の温熱効果が毒素を排出してくれます」
凛華は梅妃の手に、強引にクリームの壺を握らせた。「今回はお近づきの印、滑雪膏を割ってしまったお詫びとして献上します。無料です、無料。タダです」
「タ、タダ……?」梅妃の心が揺れた。
「タダ」という言葉の響きは、古今東西、人の心を掴んで離さない魔力がある。それに、目の前のこの女の肌は、悔しいほどに滑らかで内側から発光するような艶がある。説得力が違う。
「気に入っていただけたら、ぜひ使用の継続を。二個目からは正規のお値段をいただきますけど、効果は抜群ですよ。少々値は張りますが、滑雪膏よりは安いはず。さらに!」
「さらに?」
凛華は商人の顔で畳みかける。
「三個まとめてお買い上げなら三割引き!」
「さ、三割引き……とな」
梅妃は素早く計算する。彼女は名家出身の姫ながら、意外と堅実な性格だった。
「さらにさらに!」
「さらにさらに……?」
「梅妃さまは、後宮に顔の効く御方と伺いました。他のお妃さまにこのクリームを紹介していただき、その方が購入された暁には……なんと梅妃様の分は『半額』にします。つまり一個買えばもう一個ついてくる。これはもうお得すぎるお買い物!」
「は、半額……?」
梅妃は目をぱちくりさせた。まとめ買い? 紹介? 聞いたことのないシステムだ。
頭の中でそろばんを弾く。滑雪膏には毒が入っていると言われた。対して、このクリームは安全であり(凜華が食べた)、効果もありそうで(凛華の肌が証拠)、しかも紹介して買わせればさらに安くなるという。
滑雪膏は非常に高価でそうそう手に入るものではない。実家の蕭家も娘の散財には渋い顔をする。凜雪膏の方が安上がりで効果が高いのであれば、乗り換えるのもやぶさかではなかった。
「そ、そこまで言うなら、試してやらぬこともない」
梅妃はツンとした態度を取りながらも、小壺をしっかりと抱え込んだ。
「ふん。まあ、わざわざ挨拶に来た殊勝な心がけに免じて許してやろう。この軟膏は置いていくがよい」
「ありがとうございます! では、使い方も説明しますね。夜、洗顔後にマスカット大の量を……」
「ますかっと、とはなんじゃ。異国の言葉は使うでない」
「葡萄です葡萄。葡萄一粒の大きさの……」
凛華はテキパキとアフターフォローを始めた。
説明が終わると、但娘の方を見て言った。
「では、今日はこれで失礼いたします。但娘さん、あなたもお肌が荒れているようね。今度相談に来るといいわ。サンプルあげるから」
「なっ……! 余計なお世話よ!」
顔を真っ赤にする但娘を尻目に、凛華は満足そうに笑いながら部屋を出た。
廊下に出ると李元が感心半分、呆れ半分に言った。
「凛華殿は、肝が太いというかなんというか。毒を盛った疑惑のある相手に、化粧品を売りつけるとは」
「敵じゃないわよ、李元さん。彼女たちは『顧客』……大事な見込み客よ」
凛華はふふん、と鼻を鳴らした。
「毒を送る暇があるなら、美容に精を出してもらった方が平和でしょ? それに化粧品が売れれば、私の研究資金も潤う。まさに一石二鳥、win-winの関係ってやつよ」
そう、凜華にとって後宮は愛憎渦巻く伏魔殿ではない。未開拓の巨大市場であり、妃たちは大事な見込み客なのだ。基本的に女しかいないのだから、女性向け商品の開発に力を入れるのは当然である。化粧品、高級美容クリームはその手始めだ。
「さあ、帰って次の仕込みをしなきゃ。豚の皮、まだ余ってたし」
凛華の足取りは軽い。後宮に、新たな風――あるいは商魂の嵐――が吹き荒れようとしていた。




