第148話 実在した鴆毒と緋金冠の謎<四>
この世界の緋金冠は、ズグロモリモズと似たような色をしつつも、「ナトリウムチャネルを塞ぐタイプ」の猛毒を有する独自の進化を遂げた鳥のようだ。未知の生態系が生み出した異世界固有の種なのだろう。
凜華は、前世にて画像で見たズグロモリモズを思い出しつつ呟いた。
「うーん、白くて人に懐くマヌルネコと同じで、緋金冠もこの世界特有の鳥なんだろうなあ」
寿寿が興味深そうに尋ねる。
「凜華さんの故郷にいる鳥とは違うんですか?」
「似てはいるけど、細かいところが違うみたい」
ふと、凜華の頭にロマンあふれる仮説がよぎった。
「もしかしたら古代のユーラシア大陸にも毒鳥がいて、それが鴆のモデルになったのかも。気候変動や天敵に狩られて絶滅して、毒と暗殺の伝説だけが後世に残った……なんてね」
鴆毒を生み出す鴆の正体は、神話上の生き物や妖怪ではなく、ズクロモリモズのように特定の有毒生物を食べて羽毛に毒を蓄える実在の鳥だったのかもしれない。
女官が倒れた理由も明確だ。鳥籠の掃除をした際、羽毛に触れてしまった。毒は脂溶性に近いため、水で洗っただけでは落ちない。毒がついたままの手で食べ物に触れた結果、口から体内に入ってしまったのだ。
「今回は本当に運がよかっただけ。元からできることは限られてるけど、それでも気を付けないと……」
凜華は今後の治療に関して、決意を新たにするのだった。
一方その頃、清心殿の広間には重苦しい空気が漂っていた。
宮城に戻って来た景雲は、緋金冠が猛毒を持つ鳥であるという報告に驚きを隠せなかった。あの美しい鳥が女官たちを死に追いやろうとしたとは……。
この事実は、すでに官吏たちの間にも知れ渡っていた。
「陛下、あのような恐ろしき鳥を傍においてはなりませぬ。今後、いかなる害をなすか知れたものではありませぬ」
顔を真っ赤にした古参の官僚が、景雲に向かって唾を飛ばす勢いで進言する。
「それに鳥の持つ毒が悪意ある者の手に渡れば、後宮の、陛下の御身に危険が及びます。直ちに『殺処分』とし、跡形もなく焼き捨てるべきでございます」
「左様! 毒鳥など縁起が悪すぎまする」
景雲は内心で深くため息をついた。
彼自身、緋金冠をとても気に入っていたのだ。愛らしい鳴き声や美しい姿に心慰められていた。それを殺さなくてはならないとは……。
しかし、愛玩鳥が女官の命を奪いかけたという事実は重い。危険な毒鳥を庇い立てするわけにはいかなかった。
「……わかった。惜しいことではあるが、安全には代えられぬ。あの鳥は直ちに殺し、亡骸は火にくべさせよう」
景雲は苦渋の決断を下した。
その夜、景雲は重い足取りで壺天閣に向かった。
夜風が頬を冷たく撫でる。知らなかったとはいえ、毒鳥を後宮に持ち込み、結果として女官と凜華を過酷な状況に追い込んでしまった。もし、毒が凜華の口に入っていたら……想像するだけで肝が冷える。
緋金冠に近づかなかった奶団子の勘は正しかったのだ。
壺天閣に入ると、景雲は凜華に緋金冠を殺処分する旨を告げた。すると彼女は血相を変えて叫んだ。
「えっ? 殺しちゃだめだよ。そんなことしちゃだめ」
「しかしだな……」
「勿体ないだけじゃない。人間が勝手に連れてきたのに、都合が悪くなったら殺すなんてひどいよ。陛下だってあの子の羽や声に癒やされていたじゃない」
凜華は、瞳に強い光を宿して景雲を睨みつけた。
その身体から発せられるひたむきな熱量に、景雲は圧倒される。
「陛下、あの鳥の毒は予防できるんだよ。あれは脂溶性の毒。女官たちは水で手を洗っただけでは毒を落としきれず、食事と一緒に口に入れてしまった。でも、これがあれば話は別」
凜華が薬箱の中から茶色の四角い塊を取り出した。動物の脂と木灰から作った石鹸である。後宮では都度女たちに配り、香料を入れたものは販売している。
「鳥籠は石鹸を溶かしたお湯でしっかり洗えば、表面の毒は無害化できる。世話をする人間も、手袋をして作業した後に石鹸で念入りに手を洗えば中毒は起きない」
「万が一のこともある。毒を生み出す鳥を生かしておくわけにはいかん」
「大丈夫だって。あの鳥は自分自身で毒を作っているわけじゃないんだから」
「は?」と景雲は思わず変な声が出た。
「緋金冠が毒を持っているのではないのか?」
「違う。あの子は南方の密林にいる『毒を持った虫』を食べて、その毒を体内に蓄積して羽毛から分泌しているの。世話係は毎日羽根を撫でて、その手で食事をしたり唇に触れたりしたから、経皮と経口の両方で毒を摂取してしまった。つまり、穀物や毒のない普通の虫を餌として与え続ければ毒を溜め込むことはないわ。いずれ古い羽根が抜け落ちて新しい羽根に生え変われば……ちょっと派手で可愛い無毒の小鳥になるんだって」
凜華の力強い説明に、景雲は呆気にとられた。
「毒を生み出すのは、その身ではなく環境なんだよ」
凜華はそこで意地悪く笑った。
「これって人間関係にも言えると思わない? 元々は無垢な人間も毒々しい環境に置かれて、毒々しい餌、悪い噂や陰謀ばかり食わされたら、やがて全身から猛毒を放つようになる。その逆もまたしかりだよ。毒のない環境に置いておけば、おのずと抜けてしまうものなんだって」
「そうか。殺さなくてもよいのか」景雲は安堵したのか、肩から力を抜いた。
凜華がここぞとばかりに畳みかける。
「といってもみんな怖がるだろうし、長楽殿には猫もいるから、あの子はしばらく壺天閣で『無毒化観察』という名目で預かるよ。だから殺処分は却下で!」
ああ、と景雲は深く頷いた。
「よかろう。そこまで言うのなら、緋金冠はお前に託す。無毒の愛玩鳥にしてみせよ」
「承知しました!」
そこで凜華は緊張の糸が切れたように、椅子にへなへなと座りこんだ。疲労の色を滲ませながら、大きく息を吐いた。
「はあ……今回は完全に博打だったわ。心停止しかけた患者に附子の強心剤をぶち込むなんて綱渡りにも程がある。患者もよく持ちこたえてくれた」
強がってはいるが、青白い横顔と目の下の隈が彼女が極限の精神状態にあったことを物語っている。命を天秤にかける恐ろしさを、この小さな肩に背負っていたのだ。
「緋金冠が持っている毒だが……もしやお前が作りたがっている『薬用炭』で解毒できたのか?」
景雲が労るように尋ねると、凜華は顔を上げた。
「あ、うん。あくまでも『胃に入ったもの』だけどね。緋金冠が持っているような凶悪な毒素も、薬用炭の無数の穴に吸着させれば体外に排出できる。これが一番確実で安全な方法だよ。血液に入ったものは無理。毒矢の傷とかは助からない」
「そうか」
景雲は目の前の娘をじっと見つめた。
今回の救急では、凜華もかなり苦労をした。徹夜で看病したというから、相当に危険な状態だったのだろう。
薬用炭があれば、彼女が背負うプレッシャーや負担はいくらか軽減するはずだ。
「わかった。女官と鳥の命を救い、後宮の危機を防いだ功績に免じて……壺天閣に専用のかまどを作ってもよい。予算も必要なだけ出してやる」
「ほんとに? やったあああ! さすが陛下、話がわかるううう――っ!」
凜華はガッツポーズをして飛び跳ねた。
許可が出、スポンサーからお金も降りてくる。これで念願の活性炭製造炉を持つことができ、薬用炭作りだけでなく実験の幅が広がる。また一歩前進だ。
「ただし」
喜ぶ凜華に向かって、景雲は厳しい顔をして釘を刺した。
「一事が万事、明朗会計だからな。金を使いこむなよ」
「はーい」
かくして、美しき毒鳥は間一髪で殺処分を免れ、凜華のラボの新しい住人となったのである。
壺天閣の庭で凜華は石鹸を用い、鳥籠を徹底的に洗った。
緋金冠は、日光を浴びながら別の籠の中で「ピョロロロ」と機嫌よく鳴いている。
さらに裏庭には、これから真新しい炉が築かれ、黒煙と共に新たな歴史が作られていくことだろう。




