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宸眷薬師の異世界調剤事件簿 ~ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない~   作者: kiyoaki
第二部 広がる世界、複雑化する事件

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第147話 実在した鴆毒と緋金冠の謎<三>

 数日後。

 体調を回復した女官や周囲の者に話を聞くと、緋金冠の世話をした後で食事をし、その直後に倒れたという。

 凜華は少し考えた後、女官に尋ねた。

「食事をする前に手を洗った?」

「はい、水で」

「何を食べたの?」

「忙しかったので饅頭(まんとう)や干し肉、漬物といった簡単なものです」


 箸を使ったか尋ねると、女官は恥ずかしそうに俯き、手掴みで食べたことを告白した。

「手で直接持って口に運んだのか。とするとやっぱり直前まで触っていた緋金冠が原因かな。この鳥には猛烈な毒があるとみていいわね」

 凜華は、今や布で厳重に覆われた鳥籠を前にして言った。

「何の毒なのか。どうして体内に入ってしまったのか。これから調べないと」


 奇跡的な蘇生劇に感動している暇もなく、凜華は研究者の顔つきになって壺天閣の研究室の実験台の前に立っていた。

 目の前には、緋金冠から採取した数枚のオレンジ色と黒の鮮やかな羽毛がある。

 凜華は箸で羽毛をつまみ上げると、それを深皿に入れ、蒸留酒と弱酸性の質の良い酢をドボドボと注ぎ込んだ。

 火鉢の上に水を張った鍋を置き、その中で深皿を温める湯煎(ゆせん)の準備を始めた。高濃度のアルコールを直火にかければ爆発的な引火を招く。じっくりと間接的に熱を加えていく。


「水で洗っても落ちないなら、脂溶性かそれに近い性質のはず。アルコールと酸で湯煎すれば、羽の表面に付着している毒の成分だけを綺麗に抽出できるはずよ」

 助手の寿寿が、おっかなびっくり皿を覗き込んだ。

「凜華さん、この透明な液体の中に女官さんが死にかけた毒が溶け出しているんですか……?」

「そうよ。でもこれだけじゃ正体はわからない」

 凜華は抽出液を別の皿に移すと、戸棚から小瓶を取り出した。中に入っているのは、毎度お馴染みのドラゲンドルフ試薬である。


「いくわよ。これでもし液体の底に沈殿が生じたら、私の予想通りってことになるわ」

 試薬を、抽出液の中に滴下する。透明だった液体の中に、鮮やかな橙赤色の沈殿物がもやもやと現れ、底へと沈んでいった。

「見事な橙赤色の沈殿。これでこの毒が、植物か動物に由来する強力なアルカロイド系の神経毒だってことが確定した」

 しかし、一口にアルカロイドと言ってもその種類は山ほどある。


「寿寿、ちょっと下がってて。ここからは、私の身体を使った『官能試験』を行う」

「えっ! か、官能試験?」

 途端、寿寿の顔は真っ赤になった。

「い、いけませんよ凜華さん。陛下という旦那さまがいるのにそんな淫らなことをしちゃ! まだ外も明るいのに!」

「……そっちの官能じゃないから」

 官能試験(官能評価)とは、人間の五感をセンサーとして使い、物質の品質や性質を評価する検査方法で、漢方(生薬)の世界では基本中の基本である。

 天然の薬草は育った環境で成分が大きく変わるため、実際に目で色を識別し、鼻で匂いを嗅ぎ、口に含んで「特有の苦味や舌がピリピリと痺れる感覚」があるかを確かめることで、本物かどうかの鑑別や品質の良し悪しを見分ける。


「ちょっと味見するだけ」

 凜華がかいつまんで説明すると、寿寿はさらに素っ頓狂な声をあげた。

「ま、まさか毒を飲むつもりですか!」

「飲まないよ。死ぬつもりはないもの。だから、こうするの」

 凜華は細い竹管を使い、抽出液を一滴取っては蒸留水で十倍に薄め、さらにその一滴を取っては十倍に薄めるという「段階希釈(だんかいきしゃく)」の作業を何回も繰り返した。

 現代のような精密な器具がないこの世界で、致死量の数万分の一という極微量の限界ラインを見極めるには、寸分の狂いも許されない集中力が必要だ。凜華は慎重に作業を進めた。


 準備を終えた凜華は、棒の先にほんの少し希釈液をつけると、それを自らの舌先にチョンと触れさせた。

「……ん」

 数秒の沈黙。凜華は大仰に顔をしかめた。

「なるほど。これはえげつないわね」

 凜華はすぐにお湯で何度も口をゆすいだ。

「先日使ったアコニチンの痺れとは全く違う。アコニチンは神経が過敏になってピリピリと跳ね回った後に麻痺が来るけれど、これは触れた瞬間に感覚が凍りつき、冷たく消え去るようなかんじだわ。細胞のナトリウムチャネル……つまり神経の信号を通す門を、外側から塞いで鍵をかけてしまう性質の毒ね」

 緋金冠が持っているのは、ナトリウムチャネルを不可逆的に閉塞する脂溶性アルカロイド――現代で言うところのフグ毒のテトロドトキシンや麻痺性貝毒のサキシトキシン――のようだった。これらもまた自然界で最も恐ろしい毒の一つである。


「えっと、全然わからないんですけど……」

 困惑する寿寿をよそに、凜華の内に衝撃が走った。

「そうか……! だから、附子が効いて助かったんだわ!」

 凜華は興奮のあまり声を上擦らせた。

「この鳥の毒は、心臓のナトリウムチャネルを塞いで心停止を誘発する『門を閉じる毒』。そこにチャネルを無理やり開きっぱなしにする作用を持つアコニチンを弱毒化した附子を入れた。猛毒と猛毒が互いの作用を相殺し合って、奇跡的に心臓のスイッチが再起動したんだわ」


 凜華は箸でオレンジ色の羽毛をつまみ上げると、しげしげと眺めた。

「この鳥は、ズグロモリモズが持つ『バトラコトキシン』とは真逆の性質の毒を持っているんだ」

 一九九〇年代にパプアニューギニアの密林で「ズグロモリモズ」などのピトフーイ属が発見され、世界初の有毒鳥類として学会を大いに騒がせた。彼らは特定の有毒な昆虫を常食とすることで、自らの羽毛や皮膚に猛毒バトラコトキシンを蓄積する特異な生態を持っていた。


 アコニチンとバトラコトキシンは、ナトリウムチャネルを開きっぱなしにするという同じ性質を持つが、毒性としてはバトラコトキシンのほうが桁違いに凶悪である。

 アコニチンの人の推定致死量は約1〜2ミリグラムだが、ヤドクガエル等が持つバトラコトキシンの推定致死量はわずか100〜200マイクログラム。目に見えるか見えないかの極微量で命を奪う。

 凜華は今更ながらにゾッとしつつも、安堵の息を吐いた。

「……危なかった。もしこの鳥の毒がバトラコトキシンだったら、附子と合わせて『チャネルを破壊する』ことになって心臓は一撃で停止していたわ」



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