第145話 実在した鴆毒と緋金冠の謎<一>
さて、古代中国において最も恐れられた毒薬といえば、毒蛇を喰らう怪鳥の羽から抽出される「鴆」の毒であるが、長らく学者たちは「致死性の猛毒を持つ鳥など存在するはずがない」とこの伝説を単なる神話として鼻で笑ってきた。
しかし、自然界には人間の浅はかな常識を嘲笑うかのような世にも恐ろしい小鳥が実在する。それに近いものが異世界にも生息しているのだとしたら、事実は神話よりも奇なりと言わざるを得ない。
広大な国を統べる皇帝の元には、連日ありとあらゆる珍品や貢ぎ物が集まってくる。
ある日、南方から「極めて珍しい美鳥を捕獲した」として、一羽の小鳥が献上された。
その鳥はスズメより一回り大きい程度の小ぶりな体躯であったが、頭部から背中にかけては吸い込まれるような漆黒、腹部から羽ばたく翼の裏側にかけては、燃えるようなオレンジ色の羽毛で覆われていた。
その美しさに目を奪われた皇帝・景雲は、この鳥を「緋金冠」と名付け、大いに気に入って自らの手元で飼うことを決めたのである。
「どうだ凜華、美しい鳥であろう。南方の密林の奥深くにしか生息せぬ幻の鳥だそうだ」
景雲は緋金冠を見事な竹細工の鳥籠に入れて長楽殿へ持ってきた。凜華を呼んで自慢のペットを披露した。
「ここにしばらく置いておくつもりだ。奶団子がいるゆえ、少々心配ではあるが」
景雲は緋金冠が、マヌルネコに襲われて食べられてしまうことを心配していた。後宮で披露目をした後は、清心殿で飼おうと考えていた。
奶団子は普段は裏庭に棲んでいるが、皇帝がやってくると殿舎内に入ることを許される。宦官たちが部屋の隅で足を拭いたり餌をやったりして世話していた。
緋金冠は籠の中で小首を傾げ、ピィーッ、ピョロロロロと愛らしい声で鳴いた。
「へえ、確かに綺麗な鳥。オレンジと黒の警戒色ってのが気になるけど」
凜華は鳥籠の竹格子に顔を近づけ、小鳥をじっと観察した。夕焼けを思わせる鮮烈なオレンジ色の腹部と、深淵のように艶やかな漆黒の羽。息を呑むほどのコントラストは、確かに後宮の女たちを虜にするだろう。だが、凜華の脳内にある生物学の知識が、ピリピリと小さな警鐘を鳴らしていた。
「自然界において、これほど目立つ色合いをしている生き物は総じて『私を食べると死ぬぞ』という捕食者への強い警告だったりする。保護色を持たずに堂々としているのは、自らが有毒であるという自信の表れだわ」
「毒を持つ鳥など聞いたことがないぞ。見よ、この無垢な瞳と美しい羽ばたきを」
そう言って景雲が鳥籠に指を近づけると、緋金冠は人に慣れているのか、擦り寄るようにして細い嘴で彼の指先を甘噛みした。
「ほら、お前も撫でてみるがよい」
「うーん、どうしようかな」
凜華が一歩引いたその時、皇帝の足元にやってきた奶団子が「フシャアア!」と毛を逆立て、鳥籠に向かって激しく威嚇した。
「これ、団子よ。これは餌ではない。食べてはならんぞ」
景雲がやんわりと叱るが、凜華は猫の反応に別の印象を持った。
「むしろ怯えてるんじゃない?」
見た目に反して臆病な性格の奶団子だが、その瞳は本能的な恐怖に縮こまっているように見えた。警戒する凜華と猫に対し、景雲は鷹揚に言った。
「そう邪険にするな。これほどの美鳥、女たちもさぞ喜ぶだろう。世話も女官たちに命じるつもりだ」
景雲の言う通り、その美しさと愛らしい鳴き声に後宮の女官たちは色めき立った。彼女たちは競って皇帝の鳥の世話係を志願し、籠の掃除をし、餌の果実や虫を与え、美しいオレンジ色の羽を指先で撫でてはうっとりとため息をついた。
――異変が起き始めたのは、緋金冠が後宮にやってきてから数日後のことだった。
「……ねえ。最近、指先が痺れない?」
「奇遇ね、私もなの。ピリピリして針がうまく持てなくて。それに、なんだか唇の端も麻痺しているような……」
鳥の世話をしていた女官たちが、次々と体調不良を訴え始めたのである。最初は軽い痺れであった。しかし、それは徐々に手足の先から腕へ、そして顔面へと這い上がるように広がっていった。
そしてある日の午後、ついに事件が起きた。
「きゃあああああっ!」
鳥籠の掃除係を務めるうら若き女官が、突如として悲鳴を上げ、石畳の上にバタリと倒れ伏したのである。
「どうしたの、しっかりして!」
周囲の女官たちが駆け寄った時、倒れた女官の身体は丸太のように硬直し、白目を剥いて泡を吹いていた。
「息をしてないわ! 誰か、薬師を!」
すぐさま薬師房の薬師たちが駆けつけたが、硬直した身体と死人のように青ざめた顔面を見るなり
「こ、これは恐ろしき伝染病か、あるいは悪霊の呪いか……!」
と狼狽えるばかりである。
長楽殿は大騒ぎになった。
「あの鳥だ」
「あの鳥に触れた者ばかりがおかしくなる」
「あれは死を呼ぶ鳥だ、死神だ」というざわめきが野火のように広まった。
「どいて! 私が診る」
騒ぎを聞きつけてすっ飛んできた凜華が、女官の傍らに膝をついた。
凜華は素早く女官の首筋に指を当て脈を診る。
「脈が異様に弱い。それになんだろう。このバラバラのリズムは。……不整脈を起こしてる?」
さらに、女官の胸に耳を当てる。心音はかすかで今にも止まりそうであった。呼吸を司る筋肉が麻痺し、酸素が脳にいっていない。
「心不全だわ。それも、極めて強力な神経毒による急性症状!」
凜華は、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
「一刻も早くなんとかしなくちゃ」




