第135話 紺青の入れ墨遺言殺人事件<八>
「な、何をする。離せ、無礼だろ!」
腕をねじ上げられた郭誠が怒鳴る。
「無礼だと? 笑わせるな」
隆壬は冷ややかな声で言い放った。
「郭の旦那が毒針で刺されたとわかった時点でな、下手人は控室に出入りしていた弟子か身内だろうと踏んでいたさ。係官が迎えにきた後で旦那に接触した人間はいなかったからな。お前らが宝探しをしている間に、ボロを出してくれることを期待していたんだよ」
部下たちが駆け寄ってくる。抗う郭誠を羽交い絞めにし、地面にねじ伏せるようにして足を押さえ込んだ。
郭誠は必死に暴れたが、男数人がかりで押さえ込まれては、蜘蛛の糸に絡まった羽虫も同然である。
もがくたびに懐から、革の小袋や印形などのこまごまとした私物がぶちまけられた。
そしてついに、右袖の裏側に隠された小さなほころびから細い金属製の筒が転がり出た。
「これよ」
凜華はすぐさま屈み込み、筒を拾い上げると中身を慎重に引き抜いた。現れたのは、職人が精密な細工に用いる研ぎ澄まされた「鋼針」だった。針の先端は怪しく曇り、やや粘り気のある無色の液体によって薄くコーティングされていた。
「試薬を使うまでもないわね。これが凶器の毒針よ」
「……く、くそ! ちくしょう!」
郭誠はついに抵抗を諦め、その場に崩れ落ちた。もはや、言い逃れができる段階はとうに過ぎている。
「郭の旦那はお前の師匠であり、親だろうが。どうしてこんなことをしたんだ」隆壬が眉間を寄せ、厳しく問い詰める。
「……叔父上が悪いのだ」
郭誠は地面を睨みつけながら、呪わしげに呟いた。その声には、澱のように溜まったどす黒い怨念が滲んでいた。
「叔父上はおかしくなってしまった。俺というものがありながら、由宇を後継者にしようとして……挙句の果てに、先帝の宝玉と全財産まで由宇の野郎に譲ろうとしていた。俺だって、ずっと努力をしてきたのに。……叔父上の気持ちに気がついた時の俺の絶望がお前らにわかるか? お前はもういらないと言われたも同然じゃないか!」
郭誠は、けして職人として不出来な男ではなかった。
郭宗の養子に迎えられた日から尚方監で働き、必死に研鑽を積んできた。仕事ぶりは真面目で、雑用も制作補助もそつなくこなした。凜華が依頼した磁鉄鉱の石割りと研磨もきちんと仕上げた。
周囲の人間も、郭誠に突出した才はないものの、宿老の跡を堅実に継ぐ者と見なしていた。
郭誠にとっての不運は、後から入ってきた弟弟子の由宇が優秀すぎたことだった。才能の壁というけして越えられない残酷な現実が、少しずつ郭誠の心を蝕んでいったのである。
「昨日、清心殿へ向かう前の控室で、俺は叔父上に遺言状の在りかを尋ねた。遺言状を調べて、もし由宇に有利な内容だったら、何としてでも書き直させるつもりだった。だが、叔父上は俺を鼻で笑い『愚かな。お前のような欲だけが肥大した凡夫に我が技の結晶を渡すわけがなかろう』と言い捨て……部屋を出て行こうとした」
「遺産のことばかり問い詰めてくる息子なんて、実子でも願い下げだろ。それでカッとなって刺したのか」
「違う!」
郭誠は叫び、息を荒くしながら顔を上げた。
「断じて違う。叔父上は俺のたった一人の身内だ。どんなに憎くても、殺すつもりはなかった。曼陀羅華の毒は、意識が朦朧として何でも白状する『自白剤』になると聞いた。だから、叔父上が背中を向けた瞬間、袖に隠していた針を背中に刺したんだ。叔父上はウッと呻いただけで、俺を無視して出口に向かった。ちょうどその時、迎えの係官が来た。叔父上は香炉を持って清心殿に向かってしまったんだ……」
「なるほどね」
凜華は深いため息をついた。
「あなたは曼陀羅華の毒の作用と、針を刺した位置をまったく理解していなかった。あなたが刺した『心兪』のツボは、深く刺せば肺に達する危険な場所よ。鋼針は、宿老の肺の組織に突き刺さってしまった。塗られていた高濃度の毒液は、肺の毛細血管から数分かけてじわじわと血流に吸収されていった。だからタイムラグが生まれた」
曼陀羅華の毒(アトロピンやスコポラミン)が血管に直接侵入した場合、その即効性は劇的に跳ね上がる。注入された毒液は、体内の血流(静脈)に乗ってわずか二十〜三十秒で心臓や脳に到達する。
心臓のブレーキ役である副交感神経を瞬時に遮断し、急激な血圧上昇が引き起こされ、心不全や心停止を誘発する。
同時に脳の呼吸中枢も麻痺させるため、経口摂取のような時間的猶予は一切なく、数十秒でショック死する。
だが、毒針は血管ではなく肺に突き刺さった。そのため、浸透に時間がかかり、郭宗は毒針を打たれてから数分後に倒れたのである。
「宿老が清心殿へ行き、緊張状態で陛下の前に出て香炉を渡そうとしたところで毒が脳に到達した。脳の神経が暴走し、全身を激しい痙攣が襲い、自らの歯で舌を噛んで……窒息死した」
凜華の言葉は、冷徹な刃のように真実を解き明かしていく。
「あなたの浅はかすぎる『自白工作』が、結果的に人を殺めてしまった。曼陀羅華は、そこらへんにいくらでも生えているありふれた草よ。でもこの毒は、生かすか殺すかの境界線がこの上なく曖昧なの。一滴でも匙加減を誤れば、意識の混濁どころか心臓も脳も瞬時に破壊されてしまう。薬師であっても慎重を期す劇薬を、無知な素人が針で打ち込むなんて……狂気の沙汰だわ」
隆壬も舌打ちし、怒りに任せて吐き捨てる。
「馬鹿が何もわからないまま馬鹿やって、親父さんを殺したってわけか。胸くそ悪すぎだろ」
由宇は恩師が最期に味わった苦痛を思ったのか、はらはらと涙を流した。
「窒息死……陛下の御前で窒息死したなんて。どんなに苦しかっただろう」
泣きながら、地に這いつくばる郭誠を見下ろした。
「郭誠さん……何度も言ったはずです。俺は遺言状のことなんてまったく知らなかった。そんなものがあること自体、親方が亡くなってから初めて知ったんです。俺を後継者にするなんて話も聞いたことがない。息子がいるのに、外様の新参である俺が跡を継ぐなんてありえない。全部あなたの思い込みだ」
由宇の悲痛な叫びが、冷たい風のように響く。
「あなたは親方から、遺言状に関する手がかりをもらっていたのに……それをくだらない嫉妬と猜疑心でドブに捨てたんだ。あまつさえ毒針を刺して白状させようだなんて非道がすぎる。あなたに親方のことを語る資格はない」
「やめろ。黙れ。そんなのは嘘だ。全部嘘だ! お前が悪いんだ。お前さえ来なければ……!」
郭誠の口から出るのは、この期に及んでも逆恨みに満ちた罵倒だった。
「もういい。連れて行け」
隆壬が威圧を込めて命令すると、役人たちが郭誠を乱暴に立たせた。後ろ手に縛り上げると、そのまま引きずるようにして連行していった。




