第133話 紺青の入れ墨遺言殺人事件<六>
「どこだ! どこにあるんだ、叔父上の遺産は!」
尚方監の中庭に、郭誠の絶叫が響いた。
彼は尚方監に戻ると、すぐさま干上がった深い古井戸の底へと降りていった。
底に溜まった真っ黒な腐泥を、着物が汚れても、自身の爪がひび割れて血が滲んでも構わず掻きむしる。だが、彼の手には、砕けた瓦礫やゴミが絡みつくばかりで宝石らしきものは一向に現れなかった。
「おいおい、大丈夫かよ」
井戸の縁から、泥まみれで這い回る郭誠を見下ろしていた隆壬が、呆れたように無精髭をボリボリと掻いた。
一方、由宇は井戸の中には目もくれず、木板に書き写した刺青の図案を食い入るように見つめていた。郭宗の背中に浮かび上がった「宝玉と十二の印」の図、隆壬が読み上げた四行の詩を幾度も反芻している。
「古井の底に月は宿らじ……」
呪文のように呟く由宇に、凜華が尋ねた。
「何かわかりそう? その十二の印とか」
「……月が宿る? 宿らない? そうか、そういうことか!」
突如、由宇の瞳が見開かれた。彼は井戸の底で狂乱する郭誠を覗き込むと、首を緩く振った。
「郭誠さん、井戸の底をいくら掘り返しても無駄です。そこに親方の遺産はない」
「なんだって?」
泥まみれの顔を上げ、郭誠が気色ばむ。
「一句目は『古井の底に月は宿らじ』――『月』とは夜の象徴であり常に天上にあるもの。『井戸の底には月影すら映らない、何もない』という親方が仕掛けた引っかけですよ。二句目の『西の壁を穿つ日影』こそが本命です」
由宇の推理に、凜華は鋭く反応した。
「日影……光の直進性と障害物による投影かな。光源となる太陽の光が特定の影を落とす。影を作る物も、この尚方監にある構造物とか?」
「はい。龍が抱いている宝玉の図、あれは凜華さまの推察通り時計の文字盤でしょう。円形かつ影を作り出すものといえば……『日時計』です」
「日時計……」
凜華は、中庭の端――古井戸とは対角の位置に設置されている日時計に視線を向けた。
これも単なる時間を計る道具ではなく、尚方監の粋を集めた青銅の芸術品であった。
分厚い大理石の台座の上に、複雑な天体図や十二支の目盛りが刻み込まれた青銅の円盤が据えられ、中央には、天を刺すように鋭角に削り出された巨大な晷針が真北に向けて斜めに突き出している。
針の根元には、土の中から伸びる「蓮の茎」の意匠が彫り込まれていた。
「日時計は、当然ながら太陽が出ている時間帯しか機能しません。ということは、日の出から日没までの時間帯の針が落とす影に秘密があるはずです」
「でも、日時計の影は太陽の動きに合わせて移動してしまうよね?」
「ええ。なので、遺産のある場所を正確に指し示すには、影の角度を固定するための『時刻の指定』が必要になります」
「時刻か」
隆壬が意味深に呟き、凜華も推理を展開する由宇を興味深そうに見つめる。
由宇は詩をもう一度繰り返し、職人としての記憶を巡らせた。
「親方は基本的に工房に籠もりきりで、敷地の外には滅多に出ませんでした。制作に夢中になると寝食を忘れて没頭してしまい……雑用は俺を始めとした下の者がやっていたんです。宝玉を隠すなら絶対尚方監のどこかだし、親方の思想に関係のある場所だと思います」
近くにいる役人や兵士たちも、由宇の声に耳を澄ませている。
「三句目は……『泥を去りて蓮の刃を立つれば』。これは文字通りの意味じゃない。きっと職人の知識と自然の理に関係することだ。親方はいつも言っていた。『最高の造形は常に自然の手本の中にある』と。夜の闇という『泥』が去る……。蓮の花は日の出とともに開く。これは……おそらく『卯の刻(午前六時頃)』のことです。そして『刃を立つれば』は『日時計の針が卯の刻を指し示す瞬間を見よ』という意味なんじゃないでしょうか」
しかし、今は夜。
とっくに日は落ちて深夜に近い時間帯である。
「ちっ、ということはなんだ。謎解きは、日時計の影が卯の刻に重なる時までお預けってわけか」
隆壬が忌々しげに顎の髭を擦った。
「そういうことになるね」凜華は達観したような薄笑いを浮かべた。
「仮説を検証するには正しい環境と条件が不可欠。光源である太陽がないのに、日時計を見ても意味がない。出直すしかないわ」
隆壬は即座に頷き、部下たちに命じた。
「よし、お前ら。重要参考人の二人は見張っていろ。夜が明けるまでここから一歩も出すなよ」
こうして、至宝の遺産をめぐる謎解きは翌日に持ち越されることになった。
翌朝。
東の空の端がうっすらと白みを帯び、明るくなり始める刻限。尚方監の中庭に再び関係者が集結した。
一晩中監視され、一睡もできなかったらしき郭誠の顔は、死人のように焦燥しきっている。
由宇も寝不足の様子だったが、その瞳は爛々と輝き、暗号を解く決意と情熱に満ちている。
凜華は、男物で毛皮が裏打ちされた外套を纏い、モコモコに着ぶくれていた。昨夜、清心殿に戻った際、くしゅんとくしゃみをする様を見た景雲が、自身の衣類から外套を与えたのだった。だぶだぶでサイズが合っていないものの、とても暖かい代物で、壺天閣に戻ったら寿寿に仕立て直してもらおうと思っている。一同は火を焚きつつも、寒空の下、じっと太陽が出てくるのを待った。
やがて城壁の向こうに、太陽が黄金の頭を覗かせる。
峻烈な朝の光が中庭に差し込む。日時計の針の影が西側のレンガの壁へゆっくりと伸びてゆく。
ゴーンゴーンと、朝一番の鐘の音が響き渡った。
日時計の影の先端が、盤面の「卯の正刻」の目盛りをピタリと指し示し、西の壁の中腹にある「古いレンガ」を射抜いた。
「そこだ!」
由宇が弾かれたように壁へ駆け寄り、凜華も後を追う。
由宇はうずくまると、影の先端が示すレンガを間近で検分した。
一見すると、周囲と同じく風化して黒ずんだ古いレンガである。
しかし、その隅には、極めて精緻で人工的な傷が刻まれていた。由宇の指が慎重に傷をなぞる。
「これは……鏨でつけられた模様だ」
「タガネ?」凜華が尋ねると、由宇は振り返って説明した。
「金属や硬い岩石を削り出したり、精密な彫刻を施したりするために用いる鋼鉄製の工具です」




