第131話 紺青の入れ墨遺言殺人事件<四>
「何を言うんですか、郭誠さん!」
由宇は両の拳を硬く握りしめ、怒りで顔を紅潮させながら反論した。
「俺は親方から、遺言状のことなんて一言も聞いていません。大体、親方が亡くなられたばかりだというのにあなたはどうしてお金や財産のことばかり……」
「黙れ、ただの徒弟の分際で偉そうに説教をするな。金のことを言って何が悪い。これから葬儀だの墓だので、めっぽう金がかかるんだよ。叔父上はな、先帝から直々に賜ったこの世に二つとない『稀少な宝石』を持っていたんだ。その石の隠し場所を記した『遺言状』が必ずどこかにあるはずなんだ。日頃、叔父上の身の回りの世話をしていたのはお前だ。お前がその遺言状を盗み出し宝石を独り占めしようと企んでいるんだろうが!」
「ただの徒弟が、そんな重大な秘密を知っているわけないでしょう。見当違いの言いがかりはやめてください。息子のあなたが知らない隠し場所を、どうして俺が知っているんですか」
「叔父上に何度遺言状のありかを聞いても『我が一生の傑作は、常に天子さまに背を向けられぬ』とか何とか、煙に巻くようなことしか言わなかったんだ。これは俺に対する嫌がらせだ。お前にはこっそり在りかを教えたくせに」
「だから何も知りませんよ!」
郭誠に、叔父の急死を悼む素振りは微塵もない。ただひたすら相続できる財産の権利を主張し、弟子の由宇を執拗に責め立てている。
その浅ましさには、数々の修羅場を見てきた隆壬ですら「うわぁ……」と露骨に嫌悪の表情を浮かべるほどだった。
話は平行線をたどるばかりである。
とうとう見かねた隆壬が、二人の間に割って入った。
「おい、そこまでにしな。郭誠さんよ、あんたもあんただ。その遺言状とやらは本当に存在するのかよ。あんたの勘違いか妄想かもしれないだろ」
「そんなはずはない。絶対にどこかにある。この泥棒め!」
郭誠の由宇に対する罵倒はなおも止まらない。
絵に描いたような修羅場の中、凜華はいさかう二人をじっと観察していた。親の死よりも宝石の在りかに執着する郭誠。師匠の死を悼みながらも、どこか頑なに口を閉ざしているように見える愛弟子の由宇。
「……『我が一生の傑作は、常に天子さまに背を向けられぬ』か」
凜華の漏らした呟きを聞き、男二人が一斉に振り返った。
「あれ? 凜華さまですか」
由宇が驚いたように声を上げた。
「私のこと、知ってるの?」
「はい。といっても一方的にですが。先日、尚方監に磁鉄鉱を砕いて研磨するご依頼でいらした時、俺もいたもんで」
言われてみれば、作業場にいた職人たちの中に、彼ら二人の姿もあったような気がする。
凜華は、今回は皇帝の命を受け、郭宗の死因を探るべく来たことを告げた。
凜華は単刀直入に言った。
「さっき郭誠さんが言っていた遺言状だけど……もしかしたら『背中』にあるんじゃないかな?」
「背中に?」
男三人が、見事に声を揃えて叫んだ。
「ここではどうなのか知らないけど、確か皇帝とか王さまに対して『背中を向ける』のは、極めて重い不敬にあたるんだよね? だから朝廷においては退出する時も、前を向いたまま後ずさるって聞いたことがある」
隆壬が答えた。
「ここでもそうだぜ。少なくとも清心殿での正式な謁見の場合、陛下に背を向ける命知らずなやつはいない」
「だったら尚更。『我が一生の傑作は、常に天子さまに背を向けられぬ』――つまり、皇帝の御前で決して見せることのできない部位、背中に何かがあるんじゃない?」
「背中に遺言が書き込まれているとでも?」
「文字なのか、別の形なのかはわからないけど」
凜華たちは足早に、郭宗の遺体が安置されている部屋に戻った。郭誠と由宇も、半信半疑の面持ちで後に続く。
「とにかく確認してみよう。宿老の遺体をうつ伏せにして、衣服を脱がせてみて」
隆壬の指示で、役人が二人がかりで郭宗の遺体をうつ伏せにした。藍色の官服の帯が解かれ、衣服が剥がされると職人らしいぶ厚い背中が露出した。
その瞬間、その場にいた者たちは、感嘆の吐息を漏らした。
郭宗の背中一面には見事な刺青が彫り込まれていた。
それは、荒れ狂う漆黒の海を強引に引き裂き、天へ昇らんとする巨大な龍の姿であった。鱗の一枚一枚の陰影、空間を切り裂く鋭い爪の湾曲、凄まじい眼光。
墨の濃淡のみで表現された刺青は、天下無双の工匠と謳われた男の肉体にふさわしい威容を誇っていた。龍は中央に描かれた宝玉を鷲掴みにしている。
郭誠と由宇は刺青のことを知っているのか、特に驚いた様子はなかった。
「これが遺言……? ただの刺青だろ」
郭誠がひどくつまらなそうに吐き捨てた。
凜華の視線は、刺青以外の別のものに向いていた。
左の肩甲骨の下部――心臓のちょうど真裏にあたる部位に吸い寄せられていた。東洋医学において「心兪」と呼ばれる心臓の機能を司るツボの位置である。
「……これだわ」
凜華は身を屈め、龍の黒い鱗の隙間を凝視した。
「鱗の墨に紛れてわかりにくいけど、ここに小さな血の滲みがある。『針』みたいな鋭いものが皮膚を刺した痕。周囲の皮膚も、かすかに紫になって腫れ上がっている。郭宗さんは、背中から刺されたのよ」
「何だと……? 叔父上は暗殺されたというのか?」
郭誠が顔を引き攣らせながら叫んだ。
凜華は再び薬箱を開け、先ほど使ったドラゲンドルフ試薬の小瓶を取り出した。
「犯人が針を刺し、あるいは引き抜いた際に毒液が皮膚に付着していれば……反応するはず」
凜華は筆に試薬をたっぷりと浸すと、針の痕跡がある傷口を中心として、背中の広範囲へなすりつけるようにして塗り広げた。
ところが――化学反応は、凜華自身も予想しなかった形で現れた。
「……ええ?」
凜華は思わず素っ頓狂な声を上げた。
刺された傷口周辺は、凜華の推論通り、アルカロイド系の植物毒に反応して「橙赤色」に染まった。
それだけではなかった。龍が持っている宝玉の部分、墨が一切入っていない本来の肌の色をした箇所が、試薬に触れた途端、魔法のように「深い紺青色」へ染まり始めたのである。
「な、何だこりゃ。宝玉の辺りが真っ青になったぞ!」
隆壬が目を剥いて叫んだ。
青の変色は、単なる液体のシミではなかった。
紺青に染まった皮膚の表面に、びっしりと細かく、整然と並んだ「文字の羅列」が炙り出されたかのように浮かび上がってきた。
それは、龍の刺青と同じくらい緻密で人為的な情報の塊だった。




