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ワーホリ後宮薬師は変人皇帝に溺愛されたくない   作者: kiyoaki
第二部

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第113話 アズライトで目薬を作ったらおやつ転生してしまう<下>

 そこに凜華が戻って来た。

 倉庫で手ごろな小瓶を探し出し、あれこれ整理してから降りて来たら、研究室から目薬の入ったすり鉢がなくなっていた。

 不思議に思い、二人がいる居間を覗いたのである。

 背中を向けたままの寿寿に声をかける。

「寿寿、研究室にあったすり鉢知らない?」

 寿寿は半泣きになりながら、凜華に振り向いた。

「凜華さん、どうしよう。お餅が黒焦げになっちゃいましたぁ!」

「お餅を焦がしたの? それは火加減に気をつけないと」

「違います。餡をかけたら真っ黒になってしまって。もしかしたら毒が入っていたのかも」

「……毒?」


 凜華は寿寿が促すまま、卓上のものを覗き込んだ。

 皿に小豆餡のかかった真っ黒な物体が乗っている。

「確かに真っ黒……」

 凜華は少しの間じっと黒い団子を眺めていたが、やがてポンと手を叩いた。

「あっ、もしかしてこれ研究室にあったすり鉢で作った? 中に液体が入っていたでしょ」

「はい……。お餅をこねる手水(てみず)に使いました」

「それ水じゃないよ。目薬だよ」

 絃楠がハッとして寿寿の方を見る。

「目薬でお餅をこねたんですか?」


 凜華は堪えきれないといった様子で、くすくすと笑いだした。

「二人とも毒物だの呪いだのって顔してるけど大丈夫。これはただの熱分解よ」

「ねつぶんかい……?」

 凜華は苦笑いしながら解説を始めた。

「すり鉢に入っていたのはアズライトと明礬の混合液。無色透明だから、水と見分けがつかなかったのね。そこへ山芋や穀類その他を投入して潰したから、生地の隅々にまで銅の成分が練り込まれた状態になってしまった」

 凜華は箸を持つと、真っ黒な餅をつついた。

「そこに『熱々の餡』をかけた。水に溶けた銅の成分は、熱にとても弱いの。急激な熱が加わったことで、一気に熱分解と酸化反応を起こして、青色や無色だった成分が真っ黒な酸化銅に変化した。それだけのことよ」

 酸性の水溶液によるアズライトの透明化と熱による黒変現象。

 二段構えの化学マジックに、寿寿も絃楠も驚きを隠せない。


「アズライトで目薬を作ったら、おやつに転生するなんてね。隠し味としては面白いけど」

 凜華は肩をすくめ、小さくため息をついた。

「で、でも凜華さん。酸化銅なんていう変なものになったお餅は食べたら死んじゃいますよね。だったら絃楠さんの口に入らなくてよかったです」

 慌てる寿寿をよそに、凜華は迷いなく箸を伸ばす。

「死なないわよ。アズライトも明礬もこの程度の量なら人体には完全に無毒。目に入れるものが、口に入れられないわけないし。むしろ銅は人間が生きていく上で必須のミネラル。明礬だって食品のあく抜きや膨張剤として使われるんだから」


 言うが早いか、凜華は禍々しい漆黒の芋餅を箸で切り分け、自らの口へと運んだ。

「凜華さま!」

 絃楠が焦った声を出したが、凜華は構わずもぐもぐと黒い団子を咀嚼する。

「……うん。イカスミ料理だと思えば視覚的な抵抗もないし。山芋のねっとりした食感に、餡がしっかり絡んで美味しいわ。明礬の渋みも、小豆餡の強い甘みのおかげで隠れている。味が引き締まってちょうどいいくらいかも」

「凜華さまは明礬の味がわかるのですか?」

「うん。小学校の理科の実験の時にこっそり食べた。先生にバレて怒られたけど」

「……」

 当然のように答える凜華に、絃楠は反応に困ってしまった。


 凜華は真っ黒な芋餅をもう一口頬張ると、一度研究室へ戻った。

 そして残っていたアズライトの粉と明礬水を再び調合し、今度こそ目薬を完成させて戻ってきた。

「はい、絃楠さん、上を向いて。瞬きしちゃだめよ」

 凜華は絃楠の前に立つと、小瓶から無色透明の液体を、彼の赤く腫れた目元へと一滴、二滴と落とした。

「くっ。少し沁みますが……」

「我慢して。すぐに引くから」

 絃楠は顔をしかめながら、数度パチパチと瞬きを繰り返した。


 効果はすぐに現れた。血走っていた彼の白目が、見る見るうちに澄んだ白色へと戻っていくではないか。

 目の奥に居座っていた重苦しい熱感も消え去り、視界が恐ろしいほどにクリアになる。

「……素晴らしい。痛みもすっかり消えました。さすがは、後宮一の宸眷の薬師殿ですね」

 絃楠は潤んだ翠色の瞳を細めて微笑んだ。

 その優艶な美しさに、寿寿は「はわ……」とおかしな声を出して見惚れる。


「効いたなら何より。さ、おやつにしよう」

 凜華が促すと、寿寿は温かい麦茶を全員の茶碗に注いだ。

「真っ黒でも大丈夫なんですね……?」

 寿寿は、恐る恐る自分の分の芋餅を口に運んだ。

 ごくりと呑み込んだ瞬間、その顔は深い安堵に満ちた。

「あ、甘くてもっちもちです。いつもの美味しいお芋の味です」

「では、私もご相伴にあずかりましょう」

 絃楠も長袖を優雅に押さえながら、上品に箸を進めた。

 漆黒の物体を口に含むと彼は感嘆した。

「これは美味しい。お米の餅よりも口当たりが軽やかで、喉越しもなめらかですね」

「山芋も『山薬(さんやく)』という名の生薬だからね。アミラーゼなどの消化酵素がたっぷり含まれているから、胃腸に負担をかけずに栄養を効率よく吸収できる。冷えや寝不足で体力が落ちている絃楠さんには、お米の餅よりおあつらえ向きの薬膳おやつよ」

「そうでしたか。ありがとうございます。ここに来ると、他では味わえないものが食べられます」


 寿寿が嬉しそうに話しかける。

「絃楠さん。生地も餡もまだあるので、いっぱい食べてください。お持ち帰りもできますよ」

「夕飯にするといいわ。温めなければ白い団子のままだしね」と凜華も相槌を打つ。

 絃楠が答えた。

「ええ、喜んでいただいていきます。網で焼いて白黒の団子を並べて楽しむのもいいかもしれません」

「囲碁かオセロみたいだね」と何気なく凜華が言った。

「……おせろ?」絃楠と寿寿が同時に突っ込む。

 温かな室内で、三人は見た目こそ真っ黒な芋餅を頬張りながら、和やかに笑い合うのだった。


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