第100話 翠玲幻戯団殺人事件<一>
さて、ローマ帝国の暴君カリギュラが観劇中に暗殺されたり、米国のリンカーン大統領がフォード劇場で凶弾に倒れたりと、劇場という非日常の空間はしばしば血なまぐさい惨劇の舞台となってきた。
観客は、作り物の死には涙でハンカチを濡らすくせに、本物の殺意が隣りで牙を剥いていたら「見事な演出だ」と手を叩いて喜ぶもの。人間の目や耳は、つくづく観たいものだけを見聞きするようできている。
そんな舞台の上で完遂された殺人は、虚構と現実の境界線が曖昧になるがゆえに、いつの時代もドラマチックであり、どうしようもなく救いのない結末を迎えるのである。
ある秋晴れの日のこと、壺天閣に周但娘がやってきた。
早速にも寿寿が客間に案内する。
凜華が白衣姿のまま客間に入ってゆくと、但娘はぎょっとし、ぷいっと顔を背けた。
「ちょ、ちょっとあんたさあ……。いくら家だからって、下着のまま出てくるのはどうなのよ。私は先春殿の筆頭侍女なんだからね。失礼でしょ! もう、これだから下賤の生まれは……」
と矢継ぎ早に文句を言った。景雲と全く同じ反応である。
「下着じゃないよ。これは白衣だよ」
またかとうんざりしながら、凜華は抗議する。
「薬師が服の上に着るものなんだってば」と胸を張った。
「わざわざ下着を上に?」
但娘は、急にハッとして口に手を当てた。今度は大真面目に言った。
「……あ。もしかして、陛下はそういう格好のあんたに興奮するの? 長楽殿ではできない卑猥な遊びに興じてるの? だったらごめん。陛下には言わないで」
「違うし!」
引っ越しを機に、羽根を伸ばして痴女プレイを楽しんでいるわけではない。皇帝の性癖に対する熱い風評被害でもある。景雲が知ったら怒るだろう。
失礼な……と思いつつも、おかしな誤解を招き続けるのも辛い。凜華はしぶしぶ白衣を脱いだ。
寿寿が、麦茶を乗せた盆を持って入ってくる。
但娘は麦茶を飲みながら、室内に置かれた豪華な家具や、置物をしげしげと眺めた。
「外はボロっちいのに、中はとんでもなく豪華ね。長楽殿と変わらないじゃない」
「陛下が内装を自分好みに変えているの。来るたびに私物を置いていくし……。二階に片付けようとすると怒るし。困ってるんだよね」
眉間を揉みながら愚痴をこぼす凜華を、但娘はジト目で睨みつける。
「あんた、それ自慢にしか聞こえないから」
実際のところ、壺天閣は内部だけでなく外観も小ぎれいになりつつある。
「陛下が通われるところなのに、ボロ家のままなのはいかがなものか」という話になり、昼間は司設監の職人や庭師がやってくる。
彼らは古い扉、窓枠や格子を取り替えたり、壁や柱を顔料で塗り直したりしてせっせとリフォームしている。庭も雑草を抜いたり、花壇を作って花木を植えたりと整備している。
鍵も随時新品のものに取り換えられてゆく。当然のことながら、景雲は壺天閣の合鍵を持っている。
我が家同然に入ってくるし、一階を好きに使っているが、大家に文句を言えるはずもない。凜華は快適な生活を送りつつも、景雲とは謎の半同棲状態にあった。
「ところで今日は何しに来たの? ラボを見に来ただけ?」
凜華の問いに、但娘は「ああ」と思い出したように手を叩いた。
梅妃や実家に命じられた偵察も兼ねてはいるが、表向きの用件は別にあった。
「近々、先春殿でお芝居の特別公演があるの。もう舞台作りも始まっていてね、毎日賑やかなもんよ。光栄に思いなさい。梅妃さまはあんたを公演にお招きくださったのよ」
話を聞けば、梅妃の実家であり朝廷でも力を持つ名門・蕭家が後援している「翠玲幻戯団」という一座が、後宮に招かれて特別公演を行うのだという。
この一座は、役者から裏方に至るまで全員が女性で構成されているため、男子禁制の掟が厳しい後宮であっても問題なく入ることができた。
梅妃は、最近凜華が彩煥殿の麗妃に呼ばれ、そのまま泊まって朝帰りしたことを知っていた。
現地では宝石泥棒の捕物帳をやっていたわけだが、凜華が麗妃と親しくしていることに胸をざわつかせたのである。
梅妃にとって、彩煥殿の麗妃はライバル。麗妃のバックについている呉家もけして侮れない。
一応にも配下としている凜華が、他の妃と親しくするのは正直面白くなかった。凜華が行くところは、皇帝の覚えもめでたくなる。蕭家主催の観劇に呼んで、凜華が自派閥であることを内外にアピールしたかった。
「へえ、後宮に劇団を呼んでプライベート公演しちゃうんだ。お金持ちのやることはスケールが違うなあ」
凜華が感心したように言うと、寿寿は目を輝かせた。
「お芝居なんてすごい! 私、村にいた頃は、秋祭りで来る巡業の一座が本当に楽しみで。毎年待ち焦がれていたんです」
「寿寿は芝居が好きなの?」
「はい!」寿寿は満面の笑みを浮かべた。
村娘の寿寿にとって、故郷で観た田舎芝居はまさに非日常空間、夢のようなひと時だった。
現代とは違い、この世界は刺激も娯楽も少ない。読み書きのできない庶民は尚更で、旅回りの講談、曲芸、芝居を観るのは一生に数回あるかないかの一大イベントだった。住んでいる村に来ない場合は、山や河を二つも三つも越えて、はるばる巡業地まで出かけていくのである。
都や地方を巡業する劇団、それも若い女が多い一座は、男たちから熱狂的な人気を集めていた。人気の理由は、純粋な芸への評価ばかりではない。
劇団と劇団員は、男も女も事実上の売春を兼ねていることが多かった。公演でしばらく滞在し、あらかた稼ぐと次の町や村に移動する。行きずりの男に女、後腐れなく遊べるとあって、男たちはここぞとばかりに群がってくる。役者は舞台がはねると、今度は宴席や夜のご指名で引っ張りだこになる。
地方領主の好色ジジイともなると、一座を屋敷に長逗留させて、女たちを片端から食い散らかそうと下品な舌舐めずりをしているのが常であった。
しかし、「翠玲幻戯団」は違った。
この劇団は団員同士の結束が強く、どれほど金を積まれようとも脅されようとも、性接待や枕営業にはけして応じない。己の鍛え上げた「芸」のみを売る、誇り高い一座だった。
劇団員一丸の気高さと圧倒的な実力が、都で公演した際に蕭家の目に留まった。蕭家がパトロンとなり、梅妃の慰めにと後宮へ出張することになったのである。
「凜華さんもお芝居が好きなんですか?」
寿寿の朗らかな問いに、凜華はうーんと短く唸った。
「そういうわけでもないけど……」
凜華は、演劇や舞台にはさほど興味はなかった。
祖母や伯母に連れられて地方の公民館で民芸を観たり、勤めていた製薬会社が後援している舞台のチケットを貰って付き合いで観に行ったりした程度である。
と言っても、娯楽が少ないのは後宮も同じ。
寿寿は喜んでいるし、大事な顧客である梅妃の誘いを断って不興を買っても面倒だ。
「いいよ。寿寿が観たいなら行こう」
「やったあ! 嬉しいです!」
わざわざ伝えに来た但娘の手前もある。凜華は、先春殿の招きに応じることにした。




