第7話 作戦実行
エリック様と会う日の朝。
鏡の前で髪を整えてもらっていると、扉が軽く叩かれた。
「オリビア、入ってもいいか?」
「はい」
返事をすると、兄が扉を開けて顔を覗かせた。
「今日はエリック殿のところへ行くんだったか?」
「はい。午後からお邪魔する予定です」
「そうか」
それだけ言って立ち去るのかと思ったのに、兄はなぜかその場から動かなかった。
鏡越しに視線を向けると、こちらを見ながら何やら面白そうに笑っている。
「……何ですか?」
「いや。この前できた友人から、何かいい助言でももらったのかと思って」
「どうしてその話になるんですか」
「お前が自分で話したんだろう」
そう言われて、初めてオリバーの姿で街へ出た日のことを思い出す。
屋敷へ戻った私に、兄は当然のように「どうだった?」と尋ねてきた。男装して一人で街を歩いた感想を聞きたかったのだろう。
けれど、そのときの私は別のことで頭がいっぱいだった。
『友人ができました』
『……友人?』
『はい。とても可愛らしい方なんです』
『待て。令嬢か?』
『そうです』
『お前が男だと思われたまま?』
『はい』
兄が何とも言えない顔になったことを覚えている。
そのあと、私が困っている彼女を助けたこと、そのままカフェでお茶をして友人になったことまで話すと、兄はしばらく黙ったあと、
『……まあ、お前が楽しそうならいいか』
と、何かを諦めたように言った。
その後、エリーともう一度会ったことも話していたから、兄も彼女のことは知っている。
「その友人とは、婚約者のことで相談し合ってるんだったな」
「……そこまで話しましたっけ?」
「話した」
「そうでしたか」
どうやら私は、思っていた以上にエリーのことを兄に話していたらしい。
少し恥ずかしくなって視線を逸らすと、兄が小さく笑った。
「随分と気が合うみたいだな」
「はい。とても話しやすい方なんです」
そう答えると、自然と頬が緩んだ。
エリーといると、不思議なくらい気を張らずにいられる。
令嬢らしく振る舞わなければとか、可愛らしく見せなければとか、そんなことを考える必要がない。
それでも彼女は、私と一緒にいると落ち着くと言ってくれた。
あの言葉を思い出すだけで、今でも少し胸が温かくなる。
「それで、今日は何か試すのか?」
「……一つだけ」
「一つ?」
「いつもより少しだけ、素直に話してみようと思っています」
兄は少し意外そうに目を見開いたものの、それ以上問いただすことはせず、「そうか」とだけ答えた。
「それなら、頑張ってこい」
「はい」
返事をしながら、私は鏡の中の自分を見つめた。
今日も髪は綺麗に整えられ、ドレスにもおかしなところはない。見た目だけなら、いつもと何も変わらない。
けれど今日は、ほんの少しだけ違う自分でいたかった。無理に明るく振る舞う必要も、エリック様のお好みに近づこうとして何もかも変える必要もない。
エリーは、そう言ってくれた。
(……一つだけ、思ったことをそのまま言ってみよう)
そう心の中で繰り返し、私は屋敷を出た。
◇
ウィルモア侯爵家の屋敷へ着くと、いつものようにエリック様が迎えてくださった。
「いらっしゃい、オリビア」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ああ。……その、今日は天気もいいな」
「はい。とても」
「…………」
「…………」
早速、会話が途切れた。
始まって数分である。
いつもならここで、次は何を話せばいいのかと必死に考え始める。天気の次なら庭の花だろうか。
それとも最近あった出来事か、エリック様のお仕事について尋ねた方が、気の利いた婚約者らしく見えるだろうか。
そんなふうに考え始めると、どんどん分からなくなっていく。
そのとき、ふとエリーの言葉が蘇った。
『明後日は、いつもと違う自分になろうとしなくてもいいんじゃないでしょうか』
――違う。今日は、そうやって考えすぎないようにするのだった。
何も思いつかないのなら、無理に話題を作らなくてもいい。そう考えるだけで、いつもなら苦しく感じる沈黙も、ほんの少しだけ軽くなった。
「……では、行こうか」
「はい」
エリック様に案内され、いつもの客間へ向かう。
窓の外にはよく手入れされた庭が広がり、午後の柔らかな光が室内へ差し込んでいた。
すでにテーブルには茶器が用意され、その横にはいくつもの菓子が並べられていた。
色鮮やかな果物を飾った小さなタルトや、砂糖衣をかけた花の形の焼き菓子。その隣には、木の実をたっぷり使った素朴な焼き菓子も置かれている。
椅子に腰掛けた私は、何となくその菓子の皿へ視線を向けた。
いつもなら、私は迷わず見た目の可愛らしいものを選んでいた。
花の形をした菓子や、果物が華やかに飾られたものを嬉しそうに選ぶ方が、エリック様のお好きな「明るくて愛嬌のある女性」に近く見える気がしていたからだ。
もちろん、そういう菓子が嫌いなわけではない。見た目は可愛いと思うし、眺めているのも好きだ。
ただ――
(……甘いのよね)
今日並んでいる花の形の菓子も、表面にはたっぷりと砂糖衣がかけられていて、見るからに甘そうだった。
美味しいだろうとは思う。けれど、正直に言えば、私はその隣にある木の実の焼き菓子の方が食べたい。
甘さも控えめそうで、ついそちらへ視線が向いた。
花の菓子へ手を伸ばしかけて、止める。
今度は木の実の焼き菓子へ視線を移したものの、やはり迷ってしまって手が動かない。
「オリビア?」
名前を呼ばれて、はっと顔を上げた。どうやら、かなり不自然な動きをしていたらしい。
「どれか気になるものでも?」
「あ……」
声をかけられ、思わずいつものように花の菓子へ手を伸ばしかける。
けれど、その指先は途中で止まった。
本当に食べたいのは、その隣にある木の実の焼き菓子だ。
(……一つだけ)
今日は、一つだけ素直になる。
そう約束した。
(エリー……私に力を貸して……!)
私は小さく息を吸うと、木の実の焼き菓子へ手を伸ばした。
「こちらをいただいてもいいでしょうか」
「もちろん」
エリック様の瞳に一瞬だけ驚きが浮かんだ。けれど、それもすぐに消え、いつもの穏やかで落ち着いた表情に戻った。
ただ、私が選んだ焼き菓子をもう一度見るあたり、やはり少し意外だったらしい。
「珍しいな」
「……珍しいですか?」
「ああ。いつもは、もっと華やかなものを選んでいただろう?」
やはり、いつも何を選んでいたのかまで見られていたらしい。そう思うと、胸が少しだけ緊張する。
けれど、ここまで来て誤魔化してしまえば、何も変わらない。
「あの……エリック様」
「何だ?」
「私、実は……あまり甘すぎるものは得意ではないんです」
「…………え?」
エリック様が固まった。
予想以上の反応に、こちらまで不安になる。
「もちろん、嫌いというわけではありません。甘いものも普通にいただきますし、見た目が可愛らしいものも好きです。ただ、食べるなら甘さが控えめなものの方が好みで……」
「……そうだったのか」
「はい」
エリック様は、私が選んだ焼き菓子へ視線を落とした。
「木の実が入ったものが好きなのか?」
「好きです。あとは、果物を使ったものでも、あまり砂糖をたくさん使っていないものなら」
「焼き菓子の方がいい?」
「そうですね。甘さが控えめなら、そちらの方が好きかもしれません」
「……知らなかった」
ぽつりと言われ、私は少し緊張しながらエリック様の表情を窺った。
けれど、その声にも表情にも、責めるようなものは見当たらない。ただ純粋に、初めて知ったことに驚いているだけのようだった。
「今まで、こういうことをお話ししたことがありませんでしたからね」
「そうだな」
エリック様は少し考えるように菓子の皿を眺め、それから私へ視線を戻した。
「では、次からは甘さを控えたものも多めに用意してもらおう」
「え?」
「せっかくオリビアが来るんだ。好きなものがあった方がいいだろう?」
あまりにも当たり前のように言われて、一瞬言葉が出なかった。
嫌な顔をされるどころか、次からは私の好みに合わせてくださるという。胸の奥に張りつめていたものが、少しだけほどけていくような気がした。
「……ありがとうございます」
「いや。今まで知らなかった俺も悪かった」
「そんな。私が言わなかっただけですから」
「それでも、もっと聞いておけばよかったな」
「…………」
そこで私は、ふと気づいた。
(……あれ?)
会話が、続いている。
私が自分の好みを話せば、エリック様がそれについて尋ねてくださる。答えると、またそこから次の言葉が返ってくる。
ただそれだけのことなのに、私たちにとっては、それがひどく新鮮だった。
いつもなら、何を話そう、どう答えよう、どうすれば相手によく思ってもらえるだろうと考えているうちに、どちらかの言葉が途切れてしまう。
それなのに今日は、今のところ一度も話題を無理に探していない。
胸の内で、思わず彼女の名前を呼ぶ。
(……エリー! あなた、すごいわ……!)
たった一つ、正直に話しただけなのに。
あれほど難しかったエリック様との会話が、今はちゃんと続いている。そのことが嬉しくて、気づけば少し頬が緩んでいた。
「……オリビア?」
「はい?」
顔を上げると、エリック様がこちらを見ていた。いつもの落ち着いた表情のままだったけれど、ほんの少しだけ目元が柔らかいように見える。
「いや……何だか嬉しそうだったから」
「え?」
今度はこちらが固まる番だった。
可愛らしく笑おうと意識したわけでもないのに、どうやら嬉しさがそのまま顔に出ていたらしい。
「すみません」
「どうして謝るんだ?」
「いえ、その……」
何と答えればいいのか迷ったものの、今日の約束を思い出して、少しだけ勇気を出す。
「エリック様と、いつもよりたくさんお話しできている気がして……少し、嬉しかったんです」
言い終える頃には、少しだけ視線が下がっていた。こんなことを口にするのは、思っていた以上に恥ずかしい。
今度こそ、エリック様がぴたりと動きを止めた。
目を見開いたまま、まるで思いがけない一撃でも受けたようにこちらを見つめている。
「エリック様?」
「……いや」
わずかに顔を逸らされた。
いつもなら、それだけで何を考えているのか分からないと思っていただろう。けれど、よくよく見れば、平静を装いながら口元が緩まないように堪えているようにも見える。
(……もしかして、照れていらっしゃるのかしら)
「俺も……そう思っていた」
「本当ですか?」
「ああ」
それだけなのに、胸の奥が温かくなった。
どうやら今日、嬉しいと思っていたのは私だけではなかったらしい。
エリック様がカップへ手を伸ばしたのを見て、私も紅茶を一口飲む。それから先ほど選んだ焼き菓子を口にすると、木の実の香ばしさと控えめな甘さが広がった。
(……美味しい)
やっぱりこちらを選んでよかった。
そう思いながら顔を上げると、エリック様はまだ菓子の皿を見ていた。何かを選ぼうとしているのだろうか。
その姿を見ているうちに、ふと思う。
私は今日、自分の好きなものを少しだけ話した。では、エリック様は何がお好きなのだろう。
これまで一緒に何度もお茶をしてきたのに、私は彼が何を好んでいるのか、ほとんど知らない。
いつもエリック様が選ぶのは、比較的見た目の落ち着いた菓子だった。
甘いものにも、それほど興味はないのだと思っていた。
「……エリック様は?」
「ん?」
「どれがお好きなんですか?」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
今までなら、こんなふうに自然に聞けただろうか。
相手の好みを知りたいと思っても、「こんなことを聞いて迷惑ではないか」「急に尋ねたら変ではないか」と考えているうちに、結局何も言えずに終わっていた気がする。
けれど今日は、不思議なくらいすんなりと言葉が出た。
一方、尋ねられたエリック様は、なぜかすぐには答えなかった。
「俺は……」
菓子の皿を見つめたまま、少しだけ考え込んでいる。
「……エリック様?」
「ああ、いや」
そこでエリック様は一度息を吐くと、意を決したように顔を上げた。
いつになく真剣な表情でまっすぐ見つめられ、不意に胸が跳ねる。
「――実は、俺は甘いものが好きなんだ」
「…………え?」
思わず聞き返してしまった。
「甘いもの、ですか?」
「ああ」
「……お好きなんですか?」
「かなり」
「かなり……?」
「ああ。かなり好きだ」
「…………」
今度は私が菓子の皿へ目を向けた。
そこには、砂糖衣をたっぷりかけた花の焼き菓子や、色鮮やかな果物を飾ったタルトが並んでいる。どれも私がこれまで、エリック様の前で「可愛らしい女性」に見えるようにと選んできたものばかりだ。
それなのに、エリック様自身が選ぶのは、いつだってもっと見た目の落ち着いた菓子だった。
黙ったままの私を前に、エリック様はいつもの落ち着いた表情を崩してはいない。
けれど、よく見れば、こちらの反応を窺うように紫の瞳がわずかに揺れていた。
「でも……」
「うん」
「エリック様はいつも、甘さの控えめそうなものを選んでいらっしゃいましたよね?」
「……そうだな」
「ですから私、甘いものはあまりお好きではないのだと思っていました」
「いや……」
エリック様は少し気まずそうに視線を逸らした。
平静を装っているようだったけれど、よく見れば、視線が何度もこちらへ戻ってくる。
どうやら私の反応が気になって仕方がないらしい。
「……むしろ、好きだ」
「むしろ……」
何だか頭が追いつかない。
十年近く婚約者でいたというのに、私は彼のことをこんなにも知らなかったのだろうか。
「では、あの花の形のお菓子も?」
「ああ。好きだ」
「果物のタルトも?」
「好きだな」
「クリームを使ったものも?」
「好きだ」
「…………ほとんどお好きなのでは?」
「……甘ければ、大体好きだ」
少しだけ居心地悪そうに答える姿が、いつもの落ち着いたエリック様とはどこか違って見えた。
そのことがおかしくて、つい笑いがこぼれる。
「ふふっ」
すると、エリック様の表情が一瞬だけ強張った。
「……おかしかったか?」
「え? いえ! そうではなくて。ただ、少し意外で……」
慌てて否定すると、エリック様はどこかほっとしたように、わずかに肩の力を抜いた。
「自分でも、そう見えないようにしていたからな」
「どうしてですか?」
「それは……」
尋ねると、エリック様がわずかに言葉に詰まった。
すぐには答えず、何かを迷うように視線を落とす。
けれど、やがて小さく息を吐くと、意を決したようにこちらを見た。
「――少し、格好をつけていたんだ」
「え……?」
思わず目を見開いた。
そんな私の反応を見て、エリック様が少し居心地悪そうに眉を寄せる。
「……そんなに意外だったか?」
「い、いえ」
甘いものが好きだったことにも驚いたけれど、それ以上に引っかかったのは、「そう見えないようにしていた」という言葉だった。
エリック様は、いつだって自然に落ち着いているのだと思っていた。何でもそつなくこなし、堂々としていて、私のように相手からどう見られるかを気にして振る舞うことなどないのだと。
けれど、今の言い方ではまるで――
(……エリック様も、格好よく見せようとしていた……?)
――誰に。
そこまで考えた途端、胸の奥が妙にざわついた。けれど、それ以上を尋ねる勇気はまだない。
代わりに、私は目の前のエリック様を見つめた。
甘いものが、それもかなり好きらしい。
それは今まで知らなかった、エリック様の一面だった。
けれど不思議なことに、それを知って幻滅するどころか、むしろ嬉しいと思っている自分がいた。
「……教えていただけて、嬉しいです」
「――え?」
「エリック様がお好きなものを、私はほとんど知りませんでしたから。だから……一つ知ることができて、嬉しいです」
そう口にすると、不思議なくらい素直に笑えた。
今まで知らなかったエリック様の一面を知れたことが、思っていた以上に嬉しかったのだ。
するとなぜか、エリック様がぴたりと動きを止めた。
しばらくこちらを見つめたまま何も言わず、やがて片手で口元を隠すようにしながら、エリック様はわずかに顔を逸らした。
よく見ると、その耳がほんのり赤くなっているようにも見えた。けれど、それが照れているせいなのか、窓から差し込む陽のせいなのか、私にはまだ分からなかった。
「エリック様?」
「いや……。そ、そうか。なら、よかった」
「では、今日はお好きなものを召し上がってください」
「……いいのか?」
「もちろんです。エリック様のお屋敷のお菓子なのですから」
「それはそうなんだが……」
そう言いながら、エリック様の手がゆっくりと伸びる。
選んだのは、先ほどから私が甘そうだと思っていた花の形の焼き菓子だった。
(本当にお好きなのね)
一口食べた瞬間、エリック様の表情がほんの少しだけ緩んだ。
大きく笑ったわけではない。それでも、いつもの落ち着いた表情よりずっと柔らかく見える。
そんな小さな変化に気づいた途端、なぜか胸の奥がくすぐったくなった。
「……美味しいですか?」
「ああ」
「ふふっ、そんなに?」
「また笑ったな」
「だって、本当にお好きなんだなと思って」
「好きだと言っただろう」
「そうですけど」
また会話が続いている。
しかも今度は、何を話そうかと必死になって考えているわけではない。思ったことを口にすれば、エリック様が返してくださる。
その返事を聞くと、また次の言葉が自然に浮かんでくる。
それが、驚くほど楽しかった。
(エリー……! あなた、本当にすごいわ……!)
改めて、心の底から彼女に感謝した。
明るく笑わなければ、愛嬌のある女性に見せなければ――そう考えながら話していた頃よりも、今の方がずっと自然に笑えている気がする。
しかも、エリック様もいつもよりよく話してくださっていた。
「オリビア。さっきの話だが……」
「甘さが控えめなお菓子ですか?」
「ああ。今度から用意しておく。今日のものも気に入ったなら、同じものを頼ませよう」
「本当ですか?」
「もちろん」
嬉しくて、また自然に笑みがこぼれた。
胸の奥がふわふわと浮き立っていて、今日は些細なことでも笑ってしまいそうだった。
「ありがとうございます」
「……俺の好きなものばかりを用意するつもりはないからな」
「分かっています」
「いや、その……俺が甘いものを好きだと知ったからといって、オリビアまで無理に付き合う必要はない、という意味だ」
少し慌てたように付け加える姿を見て、思わず目を瞬かせた。
どうやらエリック様は、私が無理に自分へ合わせないよう気にしてくださっているらしい。そう思うと、何だか嬉しくなった。
「では、次にお茶をするときは、両方にしましょう」
「両方?」
「甘さが控えめなものと、エリック様がお好きな甘いものを」
私がそう言うと、エリック様が一瞬驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「ああ。そうしよう」
たったそれだけの約束だった。
けれど、次に会うときには、今日よりもう少し自然に話せるような気がした。
◇
帰りの馬車の中で、私は今日のことを何度も思い返していた。
エリック様が甘いものを、それもかなりお好きだったこと。花の形の菓子を口にしたとき、ほんの少し嬉しそうに表情を緩めていたこと。
そして何より――。
(今日は、ちゃんとお話しできた)
何を話せばいいのかと必死に考え続けなくても、今日はいつもよりずっと長く、自然に会話が続いた。
きっかけは、本当に小さなことだった。ただ、甘すぎるものはあまり得意ではないと正直に話しただけ。それなのに、そこからエリック様の好みまで知ることができた。
エリーの言っていた通りだった。無理に別の自分になろうとしなくても、こうしてちゃんと話せるのだ。
(次に会ったら、絶対に報告しなくちゃ)
きっとエリーも喜んでくれる。
私が婚約者とうまく話せたと知ったら、あの優しい笑顔で「よかったですね」と言ってくれるだろう。
そう考えるだけで、自然と頬が緩んだ。
(エリー、本当にありがとう)
まさかその本人が、今日ずっと向かいに座っていたとも知らずに。
私は、次にエリーと会う日を今から楽しみにしていた。




