第5話 婚約者の相談相手
エリーと名乗った令嬢と友人になったあと、私たちはそのまま近くのカフェへ入ることになった。
助けてもらったお礼をしたいというエリーと、友人になってもらえただけで十分だという私の間で、しばらく押し問答が続いた。
けれど、エリーもなかなか譲らない。
「では、お茶くらいはご一緒してください」
そう言われてしまえば、私も断る理由はなかった。
というより――
(むしろ、もう少し一緒にいたい)
せっかく友人になれたのだから、少しくらいゆっくり話してみたい。
何より、目の前にいるこの令嬢のことを、私はまだほとんど何も知らないのだ。
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
店へ入る際、私は扉を押さえてエリーを先に通した。
そして振り返った彼女が、柔らかく微笑む。
(……可愛い)
さっきから、それしか考えていない気がする。
けれど、本当に可愛いのだから仕方がない。
席へ案内されると、今度はエリーのために椅子を引いた。
「どうぞ」
「えっ……あ、ありがとうございます」
少し驚いたように目を瞬かせたあと、エリーはおずおずと腰を下ろした。
(これで合ってるわよね……?)
急に自信がなくなりながらも、私も向かいの席へ座る。
兄や父、それから家に出入りする騎士たちが女性をエスコートする姿なら、これまで何度も見てきた。
訓練の合間に、若い騎士たちが令嬢との接し方について話しているのを耳にしたこともある。
まさか、自分が実践する日が来るとは思わなかったけれど。
(今の私はオリバーなんだから、ちゃんとしないと)
せっかく友人になってくれた相手に、変な男だと思われたくはない。
メニューを開きながら、何気なくエリーへ視線を向ける。
やはり、近くで見ても可愛らしい。
柔らかな色合いの髪に、整った愛らしい顔立ち。表情もころころと変わるし、仕草にも自然な愛嬌がある。
(こういうところなのよね……)
無理に作っているようには少しも見えない。自然に笑って、自然に相手との距離を縮められる。
私がエリック様の前で何度やろうとしても、うまくできなかったことだ。
(それにしても……本当に、見たことがないわ)
改めてエリーを見ながら、私は首を傾げる。
学園には王都近郊の貴族子女が多く通っていたし、侯爵家の娘という立場上、私も同年代の令嬢の顔はそれなりに覚えている。
社交の場にもある程度出ていたから、これほど目立つ容姿の令嬢なら、一度でも見かければ記憶に残っているはずだ。
けれど、どれだけ思い返してみても、エリーらしき人物を見た記憶がない。
(こんなに可愛い方なら、絶対に忘れないと思うのだけど……)
外国から来た令嬢なのだろうか。
あるいは何か事情があって、あまり社交の場に出ていなかったのかもしれない。
聞いてみようかとも思ったけれど、出会ったばかりで家のことを根掘り葉掘り尋ねるのも失礼な気がして、やめておいた。
それに――
(私だって、本当の身分を隠しているものね)
相手だけに正直さを求めるのはおかしい。
「オリバー様は、何にしますか?」
「え?」
考え込んでいたせいで、エリーの声に少し遅れて反応した。
「あちらの焼き菓子、おいしそうだなと思って」
エリーが指差した先へ目を向ける。
店内の菓子棚には、色とりどりの焼き菓子が並んでいた。
その中でも彼女が示したのは、小さな花を模したものだった。淡い桃色の糖衣がたっぷりとかけられ、中央には砂糖漬けの小さな花まで飾られている。
(見るからに甘そう……でも、可愛い)
そして、迷わずこういう菓子を選ぶエリーも何だか可愛らしい。
そんなことを考えながら彼女へ視線を戻すと、ちょうど目が合った。
「確かに。……可愛いですね」
「……可愛い?」
エリーの大きな瞳が、わずかに見開かれる。
一瞬、何かを確かめるようにこちらを見つめた。
「はい。あの花の形、よくできていると思いませんか?」
「あ……お菓子のことですね」
「?」
なぜか、エリーの頬がほんのり赤くなった。
何だろう。言い方がおかしかっただろうか。
「エリー嬢?」
「い、いえ! 何でもありません」
慌てて首を振る姿まで可愛い。
(こういうところよね……)
自然に表情が動いて、見ているこちらまでつられて笑いそうになる。私が意識して同じことをしようとすると、途端にぎこちなくなってしまうのに。
エリック様の前なら、なおさらだ。
「では、あれにしましょうか?」
「あ……」
思わず頷きかけて、もう一度菓子棚を見る。
「どうしました?」
「いえ。見た目はすごく好きなんですけど、僕、あまり甘すぎるものは得意ではなくて」
「そうなんですか?」
「はい。苦手というほどではないんですが、もう少し甘さが控えめなものの方が好きですね」
口にしてから、こんなふうに自分の好みを素直に話すのは久しぶりな気がした。
令嬢として誰かとお茶をするときは、出されたものを好き嫌いせず食べるのが当たり前だったし、エリック様との茶会ではなおさら、自分の好みを口にする余裕などなかった。
きっとエリック様も、私が甘すぎるものをあまり得意ではないことなど知らないだろう。
「でしたら……こちらはどうですか?」
エリーが今度は手元のメニューを指差した。
「木の実を使った焼き菓子で、甘さは控えめだそうです」
「本当ですね。僕はこちらの方が好きかもしれません」
「では、オリバー様はそちらですね。私は最初の花のお菓子にします」
「やっぱり、あれがいいんですね」
「はい!」
嬉しそうにそう答えるエリーを見て、ふと気になった。
菓子を選んでいるときの彼女は、さっきまで以上に表情が明るい。
「エリー嬢は甘いものがお好きなんですか?」
「はい! 大好きです!」
あまりにも迷いのない返事に、思わず笑ってしまう。
好きなものへの気持ちが、こんなにも素直に顔に出るのかと思うと、何だか微笑ましかった。
「だから、あのお菓子を選んだんですね」
「可愛いですし、きっと甘くておいしいだろうなと思って」
そう言って菓子棚を見るエリーは、本当に嬉しそうだった。
(エリーは甘いものが好きなのね)
そう思うと、ふとエリック様との茶会を思い出した。
エリック様は、どれだけ可愛らしい菓子が並んでいても、嬉しそうに目を留めることなどない。口にするのも、どちらかといえば甘さの控えめそうなものばかりだった。
対して私はといえば、少しでも可愛らしく見られたくて、花や果物で飾られた甘そうな菓子を選ぶことが多かった。
本当は、甘すぎるものはそれほど得意ではないのだけれど。
(やっぱり、エリック様は甘いものにはあまり興味がないのかしら)
目の前で嬉しそうに菓子を選ぶエリーとは、ずいぶん違う。
そんなことを考えながら、それぞれ好みの菓子とお茶を注文した。
注文を済ませると、少しだけ沈黙が落ちた。
けれど、不思議と気まずくはない。
エリック様との茶会では、沈黙が訪れるたびに何か話さなければと焦ってしまうのに、エリーを前にしていると、そこまで身構えなくて済む。
それが少し不思議だった。
「そういえば……せっかく友人になったのですし、私のことは『エリー』と呼んでください」
「え?」
「エリー嬢、では少しよそよそしいでしょう?」
そう言って笑う彼女に、私は少しだけ迷ってから頷いた。
「それなら……エリー」
「はい」
たったそれだけなのに、急に距離が縮まったような気がして、少し嬉しくなる。
「僕のことも、オリバーと呼んでください」
「……オリバー?」
「はい」
エリーが確かめるように名前を呼ぶ。
自分で決めた偽名なのに、誰かにそう呼ばれるのは妙にくすぐったかった。
「それで、オリバー。どうして、私と友人になりたいと思ったんですか?」
「えっ」
思わず固まった。
まさか、いきなりそこを聞かれるとは思わなかった。
「あっ! 嫌だったわけではありません」
私の反応を見て、エリーが慌てて言葉を付け足す。
「ただ……助けてくださったうえに、友人にまでと言ってくださったので。少し気になって」
「そうですよね……」
当然の疑問だ。
勢いで友人になってほしいと言ってしまったけれど、改めて考えれば、かなり不自然だったと思う。
正直に言うべきだろうか。
あなたのように明るくて愛嬌のある女性になりたいから、参考にしたいのだと。
(……いや、それはおかしいわよね)
今の私は、少なくともエリーから見れば男なのだ。
そんなことを言えば、別の意味で不思議に思われかねない。
しばらく悩んだ末、私は少しだけ言葉を選ぶことにした。
「実は……僕には婚約者がいるんです」
「婚約者?」
「はい。ずっと大切に思っている人なんですが、その人を前にすると、どうしてもうまく話せなくなってしまって」
名前は出さない。
けれど、嘘ではない。
「もう少し、その人に好かれたいと思っているんです」
自分で口にしてみると、妙に恥ずかしい。
もう期待しないと決めたばかりなのに、何を言っているのだろう。
それでも、気持ちまでなくなったわけではない。
「ただ、どうすれば距離を縮められるのか分からなくて」
「そうなんですか?」
「はい。普段なら普通にできることまで、その人の前では急にできなくなってしまうんです」
エリーは真剣な表情で、黙って私の話を聞いている。
からかうでも、不思議そうにするでもなく、ただ続きを待つようにこちらを見つめてくれていた。
その眼差しに少しだけ背中を押されるような気がして、私は続ける。
「だから……エリーみたいに、初対面の相手にも自然に笑ったり、打ち解けたりできる人を見て、少し見習えたらと思ったんです」
「私を……?」
「はい。……変な理由ですよね」
「い、いえ! そんなことは! むしろ……その」
勢いよく否定され、その反応に少しだけほっとした。でも今度はエリーの方が、言いにくそうに視線を泳がせる。
「私も、オリバーを見て、似たようなことを思っていました」
「……僕を?」
「はい」
まさかの返答に、今度はこちらが目を丸くする。
エリーが私を見て、いったい何を思ったというのだろう。
「……実は、私も同じなんです」
「同じ?」
「私にも婚約者がいて。その人に、もっと好かれたいと思っていて……」
「そうなんですね」
「でも、どう接したらいいのか分からなくて」
エリーは少し困ったように笑った。
その表情を見た瞬間、ふっと親近感が湧く。
(……同じだ)
私もずっとそうだった。
好きなのに、どうすればいいか分からない。
好かれたいのに、近づこうとすると失敗する。
エリーが、少しだけ照れくさそうに続けた。
「だから……オリバーみたいに落ち着いていて、自然に人を助けられる人を見て、すごいなと思ったんです」
「僕が……?」
「はい」
そんなふうに言われたのは初めてだった。
令嬢として生きていると、剣を扱えることも、さっぱりした性格も、あまり褒められるものではないと思っていた。
けれど、今の姿――オリバーとしてなら、そんな自分を素敵だと言ってもらえる。
それが何だか嬉しくて、同時に少しくすぐったかった。
気づけば、私は少し身を乗り出していた。
「じゃあ……お互い、似たような悩みを抱えているということですね」
「……そう、かもしれません」
エリーも少し可笑しそうに笑う。
その瞬間、さっきまでより一気に距離が縮まったような気がした。
「それなら、ときおり相談し合いませんか?」
「相談……?」
「はい」
口にしてから、これはいい考えかもしれないと思った。
自分一人で考えていると、どうしても同じところで行き詰まってしまう。
けれど、エリーなら違う視点から何か気づいてくれるかもしれないし、私も彼女の力になれるかもしれない。
「僕一人では、どうしても考えが偏ってしまうんです。どうすればもっと自然に相手と話せるのか、どうしたら距離を縮められるのか……エリーから見て気づいたことがあれば、教えてもらえたら助かります」
「そんな……私なんかでよければ」
「その代わり、僕もエリーの力になりたいです」
そう言うと、エリーは一瞬きょとんとしたように目を瞬かせ、それからふわりと表情を綻ばせた。
どうやら、この提案を心強く感じているのは私だけではないらしい。
「本当ですか?」
「もちろん」
「では……お願いしてもいいですか?」
「はい」
こうして、私たちは互いの婚約者との仲を深めるため、相談し合うことになった。
少なくともこのときの私たちは、それ以上ないほど心強い相談相手を得たつもりでいた。
――この相談が、すでに十分おかしな方向へ進んでいることにも気づかずに。
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