第4話 理想の騎士 ◇
女の姿になって街を歩くというのは、思っていた以上に落ち着かないものだった。
レベッカたちに着せられた淡い色のドレスは、俺の好みから言えばかなり可愛い。袖口にあしらわれた細かなレースも、裾に散らされた小さな花の刺繍も、よくできている。
……だからといって、自分が着て歩きたいかと聞かれれば、話は別だ。
(目立ってないよな……?)
何度目になるか分からない確認をしながら、俺は隣を歩くレベッカを横目で見る。本人はそんな俺の心配など一切気にすることなく、楽しそうに店先を覗き込んでいた。
「兄様、次はあちらのお店を見ましょう!」
「まだ見るのか?」
「まだ三軒目ですけど?」
「もう三軒だ」
「たった三軒です」
基準が違う。
姉たちと出かけたときにも思ったことだが、女性の買い物というものは、どうしてこうも長いのだろう。ひとつの店へ入り、あれが可愛い、これも可愛いと眺めているうちに、時間が過ぎていく。
「……どうして女性はこんなに買い物が好きなんだ」
「兄様だって、オリビア様と一緒なら楽しいんじゃないですか?」
「……は?」
「オリビア様のお買い物に付き合うんですよ。二人で」
「…………」
「それって、ほとんどデートですよね」
「デ、デート……」
その言葉を聞いただけで、何度も思い描いた光景がするりと頭の中に浮かんだ。
隣を歩くオリビア。彼女が立ち止まった店を一緒に覗いていると、ふいにこちらを振り返る。
『どちらが似合うと思います?』
そんなふうに聞かれて、俺が選んだものを身につけてくれて――
(……無理だ)
想像しただけで顔が熱くなった。
「兄様?」
「何でもない」
「顔、赤いですよ?」
「何でもないと言っている」
レベッカが何とも言えない顔でこちらを見る。放っておいてほしい。
そんな調子でいくつかの店を回っているうちに、購入したものがずいぶん増えていた。
同行していた侍従が、それらを一度馬車へ運ぶことになり、レベッカも次に行きたい店を見てくると言って、少し離れていった。
「ここで待っていてくださいね、兄様」
「分かった」
「知らない人について行ったりしないでくださいよ?」
「俺を何歳だと思ってる」
「今日は見た目だけなら可愛いご令嬢なので」
「余計な心配だ」
笑いながら去っていく妹を見送り、俺は木陰へ寄った。
一人になると、急に周囲の様子が目に入ってくる。
手を取り合って歩く恋人たち。
楽しそうに店を覗く夫婦。
何かを選びながら、自然に顔を寄せて笑い合う男女。
(俺も、いつかオリビアと……)
そんなふうになれるのだろうか。
婚約してから十年。仲良くなりたいという気持ちだけはずっとあるのに、近づこうとすればするほど緊張してしまい、気づけば距離はむしろ遠くなっている。
もし結婚したあとも、今のままだったら。同じ屋敷に暮らしているのに、まともに会話すらできない夫婦になったら、どうする。
(……それだけは嫌だ)
せめて、自然に話せるようになりたい。できれば、オリビアを笑わせられるような男になりたい。
そう思うのに、肝心の方法が分からない。
(どうすればいいんだ……)
また同じところで思考が止まる。
「ねえ」
「…………」
「ねえってば」
「…………」
「おーい、聞いてる?」
「……え?」
声をかけられていたことに、ようやく気づいた。
顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。しかも、その隣にはもう一人いる。
「ねぇ、君。さっきから一人?」
「……?」
何の話だ。一瞬そう思ってから、自分の姿を思い出した。
(ああ……そういえば今、女だったな)
魔道具のおかげで身体つきまで変わっている。化粧もされ、ドレスまで着ているのだから、知らない人間が俺を令嬢だと思うのも無理はない。
そう思ったものの、こんな格好で騒ぎを起こすわけにもいかない。ここで正体が露見したら、俺はしばらく屋敷から出られない気がする。
「……人を待っていますので」
当たり障りなく断る。これで終わると思った。
ところが、男たちは引かなかった。
「じゃあ、その子が来るまででいいからさ。俺たちとお茶しない?」
「結構です」
「そんなこと言わないで。すぐそこだから」
「お断りします」
何度断っても引かない。やがて一人が、進路を塞ぐように前へ出た。
(……面倒だな)
力ずくでどかすこと自体は難しくない。だが、今の見た目で男を投げ飛ばしたりすれば、それはそれで騒ぎになる。なるべく穏便に済ませたい。
そう思っていた、そのときだった。
「感心しないね」
落ち着いた声が割って入った。
二人の男が振り返り、相手の顔を見た途端に口ごもる。何やら小声で言い合っていたが、その間に、一人の騎士見習いが俺と男たちの間へ進み出た。
(……?)
俺を庇うように立ったその人の顔は、ここからでは見えない。
けれど、背筋はまっすぐに伸び、その後ろ姿には迷いがなかった。
「この子の声で分かるでしょう? 迷惑だってこと」
「な、なんだよ。俺たちはただ誘ってるだけだろ」
「誘うだけなら、一度断られたところで終わりにするものじゃないかな」
騎士見習いが、腰の剣へさりげなく手を添えた。
「嫌がっている女性に無理強いするのは、あまり感心しないと言っているんだ」
(……格好いい)
反射的にそう思った。
声を荒らげるわけでもない。威圧的な態度を取るわけでもない。それでも、相手を退かせるだけの強さがある。
「それとも、このまま話を続ける?」
男たちは何か捨て台詞を残して去っていった。
けれど、最後の方はほとんど耳に入っていなかった。
俺の視線は、目の前の騎士見習いに釘付けになっていたからだ。
男たちがいなくなったのを確認すると、その人がこちらを振り返る。
「ご令嬢、ご無事ですか? もう大丈夫――」
「大丈夫です。助けてくださってありがとうございま――」
最後まで言えなかった。顔が見えた瞬間、息を呑んだからだ。
黒い髪に、すっと通った鼻筋。まだ若い騎士見習いらしいその顔立ちは、どこか中性的で整っている。細身ではあるけれど、剣を帯びた姿が不思議なくらい様になっていた。
何より目を引いたのは、迷わず間に入り、嫌がっている人間を庇ったその振る舞いだった。相手を刺激しすぎることなく、それでいて一歩も引かない。
(……これだ)
頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。
俺がずっとなろうとしてきたのは、こんな男だった。
落ち着いていて、堂々としていて、格好いい――オリビアが好きなのだろうと思っている、そんな男。
(こういう人なんじゃないのか……?)
俺がどれだけ格好よく振る舞おうとしても、いつもどこかぎこちなくなる。特にオリビアを前にすれば、言葉すらまともに出てこない。
けれど、目の前の人は違った。何も考えずとも、自然にこう振る舞えるように見える。
(……理想だ)
気づけばじっと見つめてしまっていた。
「あの……本当に怪我はありませんか?」
「あっ……はい! 大丈夫です。すみません。助けていただいたのに、じろじろ見てしまって」
「いえ。それならよかったです」
そう言われてほっとした拍子に、俺は思わず笑った。すると、なぜか彼がこちらを見つめたまま動かなくなる。
(……?)
何かおかしなところでもあるのだろうか。
気にはなったが、それ以上に、このまま別れてしまうのが惜しかった。
この人のそばで、その振る舞いを見ていたい。少しでも学べたら、俺もオリビアの前で堂々としていられるかもしれない。
けれど、助けてもらったばかりの相手を、どう引き留めればいいのだろう。
「「あの……」」
「「はい!」」
「「…………」」
声が重なり、返事まで揃ってしまった。
堪えきれずに小さく笑うと、彼の表情も緩んだ。
「先ほどは、本当にありがとうございました」
「いえ。当然のことをしただけです」
「それでも、助かりました。何かお礼をさせてください」
これで、もう少し話すきっかけになればいい。
そんな期待を込めて返事を待った。
「お礼なんて、そんな――」
彼は断りかけて、ふと言葉を止めた。何か思いついたのか、少し迷うような表情を浮かべる。
「あの」
「はい?」
「それなら、一つだけお願いしてもいいですか?」
「もちろんです。私にできることなら」
何だろう。そう思いながら待っていると、その人は少しだけ躊躇ってから口を開いた。
「……僕と、友人になってはもらえませんか?」
「……え?」
一瞬、意味が理解できなかった。
友人。今、確かにそう言った。
(この人から?)
さっきまで、自分から同じことを言おうか迷っていた相手だ。まさか向こうから言ってくれるなんて、思ってもみなかった。
(……神様、ありがとう)
思わずそんなことまで考えた。
「すみません。突然こんなことを言われても困りますよね。今のは忘れて――」
「なります!」
考えるより先に、声が出ていた。
「……え?」
「ぜひ、友人になってください!」
相手が目を丸くしている。少し勢いがありすぎたかもしれない。けれど、今さら引っ込める気はなかった。
「本当に?」
「はい!」
迷いなく答えると、相手も嬉しそうに笑った。
「それなら……改めて。僕はオリバーです」
「オリバー様……」
その名前を口にする。覚えやすいし、何よりきっと忘れることはないだろう。
「私はエリ……」
そこまで言って、危うく本名を口にしかけた。
(……危ない!)
慌てて小さく咳払いをする。
「……エリーです。エリーと呼んでください」
咄嗟に出た名前だった。我ながら安直すぎる気もしたが、オリバーは特に疑った様子もなかった。
「エリー嬢」
「はい」
そう呼ばれると、なぜだか少しくすぐったい。
そこでようやく、俺は今の状況を冷静に振り返った。
女の姿で男に助けられ、その男の振る舞いを見習うために友人になる。
(……これ、オリビアとの仲を改善するための行動として、合っているんだろうか)
少し考えたが、ほかに案も浮かばなかった。
少なくとも、部屋で頭を抱えているだけだった昨日よりは、何かが変わりそうな気がする。
――その“オリバー”こそが、十年間、どうしようもないほど想い続けているオリビア本人だとも知らずに。




