↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男装騎士と女装令嬢の両片思い~恋愛相談の相手が婚約者本人だとは、お互いに気づいていません~  作者: はな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

第3話 理想の令嬢



 いつもより高い視線から見る街は、不思議なくらい違って見えた。


 歩いているのは、いつもと同じ道だ。並んでいる店も、行き交う人々も、見慣れたものばかりである。


 それなのに、黒いかつらを被り、騎士見習いの服をまとっているだけで、まるで知らない街を歩いているような気分になった。


 足元の底の厚いブーツには、まだ少し慣れない。けれど、その重さも腰に下げた剣の感触も、今はむしろ心強く感じた。

 何より、ドレスの裾を気にする必要もなければ、令嬢らしく小さな歩幅で歩く必要もない。


(……楽だわ)


 思わずそんなことを考える。


 誰も私をオリビア・ルメイン侯爵令嬢だとは思っていない。

 道を歩いていても、いつものように視線を向けられることはないし、知り合いに見つかって挨拶をする必要もない。


 ただの若い騎士見習い。

 そう思うだけで、肩から何かが降りたような気がした。


 気の向くままに歩いているうち、いつの間にか富裕層向けの店が集まる商業地区まで来ていた。

 考えてみれば、普段買い物をするときも大抵この辺りへ来る。何も考えずに歩いていたせいで、自然と足が向いたのだろう。


 店先には色とりどりの菓子が並び、向かいの服飾店では春物のドレスが飾られている。

 普段なら足を止めるところだけれど、今の格好でじっくり眺めるのも妙な気がして、そのまま通り過ぎた。


 代わりに目についたのは、道行く人々だった。


 楽しそうに話しながら歩く若い男女。

 夫らしき男性の腕に手を添え、笑っている女性。

 店先で何かを選びながら顔を見合わせる老夫婦。


(……いいなぁ。私もエリック様とあんなふうに……)


 何気なくそう思ったあとで、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 そうなれたらいいと、昔は何度も夢見ていた。

 二人で街を歩き、お互いの好きなものを知り、くだらないことで笑い合う。


 婚約者だからではなく、一緒にいたいから隣にいる。

 そんな関係になれたなら、と。


 けれど、十年経っても私たちはまともな会話すら続かない。


(……何を考えているのよ、私は)


 もう期待しないと決めたはずだ。せっかく気分転換に出てきたのに、またエリック様のことで落ち込んでいては意味がない。


 私は軽く頭を振り、目の前の景色へ意識を戻した。


 そのとき、少し離れたところから男の声が聞こえてきた。


「ねえ、君。さっきから一人?」

「……人を待っていますので」


 続いて聞こえた女性の声は落ち着いていたけれど、明らかに迷惑そうだった。


 何となく気になってそちらを見ると、二人組の若い男に、一人の令嬢が囲まれている。


「じゃあ、その子が来るまででいいからさ。俺たちとお茶しない?」

「結構です」

「そんなこと言わないで。すぐそこだから」

「お断りします」


 令嬢ははっきり断っているが、それでも男たちは退く様子がない。しかも、一人が令嬢の進路を塞ぐように立った。あれでは、彼女がその場を離れたくても離れられない。


 私は小さく息を吐いた。


 本物の騎士ではない。もちろん、警邏の権限があるわけでもない。


 けれど――


(見て見ぬふりをするのも、嫌だわ)


 何より、今の私は騎士見習いの格好をしている。少なくとも、あの男たちを怯ませる程度には役に立つかもしれない。


 そう考えたときには、もう足が動いていた。


「感心しないね」


 男たちと令嬢の間へ入る。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


「この子の声で分かるでしょう? 迷惑だってこと」

「なんだ、おま……」


 二人の男が、ぎょっとしたようにこちらを見る。


 しかし私の顔を見た途端、一人が不自然に言葉を切った。もう一人もこちらをまじまじと見つめたあと、隣の男へ小声で囁く。


「……顔、よすぎだろ」

「今それ関係ねえだろ」


(……何の話?)


 よく聞き取れなかったけれど、少なくとも出鼻をくじくことはできたようだ。騎士見習いの格好というのは、思っていた以上に効果があるらしい。


「な、なんだよ。俺たちはただ誘ってるだけだろ」

「誘うだけなら、一度断られたところで終わりにするものじゃないかな」

「は?」

「嫌がっている女性に無理強いするのは、あまり感心しないと言っているんだ」


 言いながら、腰の剣へさりげなく手を添える。もちろん抜く気などない。ただ、騎士らしく見せるには十分だったようだ。


 二人の視線が、私の剣へ落ちる。


「それとも、このまま話を続ける?」

「……ちっ。なんだよ、お高くとまりやがって」

「お前なんかこっちから願い下げだ」


 どうやら諦めたらしい。二人は最後にそんな捨て台詞を残し、人混みの中へ消えていった。


(……よかった)


 少しだけ肩の力を抜く。大騒ぎになって本物の騎士が来るようなことになれば、こちらも困るところだった。騎士見習いの格好をしているとはいえ、身分を尋ねられれば説明に困る。


 ひとまず穏便に済んだことに安心しながら、私は後ろにいた令嬢を振り返った。


「ご令嬢、ご無事ですか? もう大丈夫――」


 そう続けようとして、言葉が止まった。


(――可愛い)


 目の前にいた令嬢を見た瞬間、頭の中に浮かんだのはそれだけだった。


 華奢な身体に、柔らかな色合いの髪。大きな瞳と、整った愛らしい顔立ち。淡い色のドレスもよく似合っていて、立っているだけで周囲の空気まで柔らかくなるような少女だった。


 先ほどまで男たちに囲まれていたからだろうか。少しだけ困ったような表情まで、妙に庇護欲を掻き立てる。


「大丈夫です。助けてくださってありがとうございま――」


 なぜか、令嬢の言葉も途中で止まった。大きな瞳をさらに見開き、こちらをじっと見ている。


(……?)


 どうしたのだろう。かつらでもずれているのかと一瞬心配になったけれど、彼女は驚いているというより、何かを見つけたような顔をしていた。


 そのまま、しばらく二人で見つめ合う。先に我に返ったのは私だった。


「あの……本当に怪我はありませんか?」

「あっ……はい! 大丈夫です。すみません。助けていただいたのに、じろじろ見てしまって」

「いえ。それならよかったです」


 彼女がにこりと微笑む。

 その瞬間、柔らかな雰囲気がいっそう増して、周囲まで明るくなったような気がした。


(……やっぱり可愛い)


 何なのだろう、この可愛さは。


 学園には王都近郊の貴族子女が多く通っていたし、侯爵家の娘という立場上、私も同年代の令嬢の顔はそれなりに覚えている。

 社交の場にも出ていたから、これほど目立つ容姿の令嬢なら、一度でも見かければ記憶に残っているはずだ。


 けれど、彼女を見た覚えはなかった。


 それに――


(こういう方なのかしら)


 ふと、以前耳にした話を思い出した。


 エリック様は、明るくて愛嬌のある女性が好みらしい。誰が言い出した話なのかも分からないし、本当かどうか確かめたこともない。


 それでも、その噂を聞いてからというもの、私は何度も自分なりに努力してきた。できるだけ柔らかな色のドレスを選び、仕草にも気を配り、笑顔の練習までした。


 けれど、元々さっぱりした性格なのだ。いざエリック様を目の前にすると緊張してしまうこともあり、愛嬌のある可愛らしい女性になれている自信などまるでない。


 でも、目の前の令嬢は違った。


 立ち姿も、話し方も、少し困ったように笑う表情も、何もかもが自然に可愛らしい。


(……こういう女性が、エリック様の好みなのかもしれない)


 そう思った瞬間、胸の奥がほんの少しだけちくりとした。


 けれど同時に、別の考えが浮かんだ。


(この方と仲良くなれたら……)


 少しくらい、愛嬌のある振る舞いを学べるのではないだろうか。


 そうすれば――


 ……いや。今さらエリック様との関係をどうこうしようというわけではない。もう期待しないと決めたのだから。


(でも、少しくらい参考にするだけなら……)


 なぜか自分自身へ言い訳をしながら、私は目の前の令嬢をもう一度見た。すると彼女もまた、なぜかじっとこちらを見ている。


「「あの……」」

「「はい!」」

「「…………」」


 今度は二人揃って黙り込む。先ほどまでの緊張が嘘のように、何だか少し可笑しくなった。

 令嬢も同じだったらしい。ふっと表情を緩めると、楽しそうに小さく笑った。

 その笑いにつられて、私の頬も自然と緩む。


 その笑顔を見て、私はまた思った。


(可愛い……!)


「先ほどは、本当にありがとうございました」

「いえ。当然のことをしただけです」

「それでも、助かりました。何かお礼をさせてください」

「お礼なんて、そんな」


 断ろうとして、私は言葉を止めた。


 ――お礼。


 もし本当に何か一つ、お願いをしていいのなら――


 頭に浮かんだのは、自分でも随分と突拍子のない考えだった。


 初対面の相手だ。普通なら、そんなことを頼むものではない。けれど、ここで別れてしまえば、おそらく二度と会うことはないだろう。


(……聞くだけ、聞いてみようかしら)


「あの」

「はい?」

「それなら、一つだけお願いしてもいいですか?」

「もちろんです。私にできることなら」


 令嬢が素直に頷く。

 私は少しだけ躊躇ったあと、思い切って口を開いた。


「……僕と、友人になってはもらえませんか?」

「……え?」


 大きな瞳が、さらに丸くなる。

 ぽかんとしたまま私を見つめるその顔を見て、胸の奥にじわじわと後悔が広がっていく。


(やっぱり変だったわよね!?)


 助けた相手に突然「友人になってほしい」など、冷静に考えれば相当おかしい。


(というか、これでは私までナンパしているみたいじゃない……!)


「すみません。突然こんなことを言われても困りますよね。今のは忘れて――」

「なります!」

「……え?」

「ぜひ、友人になってください!」


 今度は私が目を丸くする番だった。令嬢はなぜか、とても嬉しそうに笑っている。


「本当に?」

「はい!」


 あまりにも迷いのない返事に、こちらまで嬉しくなった。


「それなら……改めて。僕は……オリバーです」


 本当の名を名乗るわけにはいかない。一瞬迷った末に、オリビアから少しだけ変えた名前を口にする。


「オリバー様……」


 令嬢は確認するようにその名前を繰り返してから、柔らかく微笑んだ。


「私はエリ……」


 そこで彼女は不自然に言葉を切り、小さく咳払いをした。


「……エリーです。エリーと呼んでください」

「エリー嬢」

「はい」


 こうして私は、ほんの少し気分転換をするために男装して出かけた街で、とても可愛らしい一人の令嬢と友人になった。


 ――目の前の“エリー”が、十年間想い続けている婚約者本人だとも知らずに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。