第14話 友人だけでは説明できない ◇
騎士団の会議室でオリバーの姿を見つけた瞬間、俺は危うく手にしていた資料を取り落としかけた。
黒い髪に、男性らしく整えられた顔立ち。いつもより高い背丈に騎士見習い風の服装まで加われば、街で会うときとは少し印象が違って見える。
それでも、見間違えるはずがなかった。
つい先日までエリーとして同じテーブルを囲み、互いの婚約者について相談し合っていた相手だ。
(……どうしてオリバーがここにいるんだ)
頭の中ではかなり動揺していたものの、どうにか表には出さずに済んだらしい。
ヴィクトル殿の後ろに控えていたオリバーも、俺と目が合った瞬間だけわずかに身体を強張らせたが、すぐに何事もなかったような顔へ戻った。
「ああ。こいつはオリバー。俺の親戚だ。今日は人手が足りないから、補助に連れてきた」
(……親戚?)
思わぬ言葉に、今度は別の意味で驚かされる。
「オリバーと申します。本日はよろしくお願いいたします」
本人はそんな俺の内心など知るはずもなく、初対面の相手へ向けるように丁寧に頭を下げた。
(……知っている)
甘すぎる菓子はあまり得意ではないことも、婚約者への贈り物に悩んでいたことも、困ったときには少し眉尻が下がることも。
もちろん、それを口に出すわけにはいかない。
「エリック・ウィルモアです。こちらこそ、よろしくお願いします」
どうにかそれだけを返し、何事もなかったように資料へ視線を戻した。
我ながら、よく平静を装えたと思う。
しかし、頭の中まで平静でいられたわけではなかった。
以前、オリバーは騎士団にいる親戚から手伝いを頼まれたと言っていた。その相手がヴィクトル殿なら、話は綺麗に繋がる。
そしてヴィクトル殿は、オリビアの兄だ。
(……だから、似ていたのか)
若草色の瞳だけではない。笑ったときの表情や、ふとした瞬間の仕草まで、オリビアと重なって見えることがあった。
性別も背丈も纏う雰囲気も違うため、これまでは偶然だと思っていたけれど、親戚なら多少似ていても何も不思議ではない。
そう納得しかけて、すぐに別の疑問が浮かんだ。
(……ということは、オリビアとも面識があるのか?)
むしろ、親戚なら以前から知り合いであっても不思議ではない。
その可能性に気づいた途端、以前から気になっていた「オリバーはオリビアの好みにあまりにも近い」という事実まで、急に重みを増してくる。
――落ち着いていて、堂々としていて、格好いい男性。
俺はずっと、それが彼女の理想像なのだと思っていた。だから少しでも近づこうと、自分なりに振る舞ってきたのだ。
けれど、もしその噂が漠然とした好みではなく、誰か具体的な人物を指していたのだとしたら。
(……まさか、オリバーのことだったりしないだろうな)
考えすぎだとは思う。
それでも、二人が以前から知り合いだったのなら、完全にあり得ないとも言い切れない。
以前は、できればオリバーをオリビアには会わせたくないと思っていたのに、まさかその心配をするよりずっと前から面識があったとしたら。
(……手遅れだった、ということか?)
そこまで考えて、俺は小さく息を吐いた。
まだ何も分かっていないのに、一人で勝手に話を進めすぎている。
だからこそ会議が終わったあと、ヴィクトル殿にはまず一つだけ尋ねるつもりだった。
――オリバーは、オリビアとも面識があるのか。
ところが、出発直前の騎士団はあまりにも慌ただしく、ヴィクトル殿へ声をかけるたびに別の用件が飛び込んでくる。結局、聞きたいことは何一つ聞けないまま、討伐隊は王都を出ることになった。
◇
王都を出てからも、どうにもオリバーのことが気になって仕方がなかった。
あれこれ考えすぎない方がいいと思うのに、気づけば何度もその姿を探してしまう。
少し前方を進みながら何気なく後ろを振り返ると、補給用の荷車のそばで、本人が一覧表らしき紙を片手に騎士と話している。
エリーとして会うときのオリバーは、俺にとって気兼ねなく話せる友人だ。
婚約者には言えないようなことも相談できるし、くだらない話で笑うことだってできる。
ところが今の俺はエリック・ウィルモアで、オリバーにとっては今日初めて顔を合わせた人間でしかない。
親しげに声をかけるのは不自然だ。
それくらい分かっているのに、姿を見つけるとどうしても話したくなる。
もし本当にオリビアと以前から親しいのなら、少しくらい距離を置いた方がいいのではないかと思う一方で、せっかく近くにいるのだから話してみたいという気持ちも消えなかった。
結局、近くにいた騎士が荷物を運ぶため離れ、オリバーが一人になったところで、俺はそちらへ足を向けていた。
「オリバー……だったか」
呼びかけると、オリバーが振り返る。
一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに柔らかく笑った。
「はい。ウィルモア様、ですよね。先ほど会議で」
「ああ。先ほどはきちんと話す時間がなかったから」
「そうですね。ずいぶん慌ただしかったですし」
初対面らしい会話をしていることが、ひどく奇妙だった。
エリーとしてならもっと気楽に話せるのに、今は互いの距離を探るような言葉しか使えない。
「ヴィクトル殿の親戚だと聞いた」
「はい。今日は人手が足りないからと声をかけてもらって」
その答えに、なぜかほんの少しだけ引っかかるものがあった。
けれど、何が気になったのか自分でもすぐには分からない。
それより今は、もっと確かめたいことがある。
(――オリビアとは、以前から知り合いなのか)
けれど、初対面の相手へいきなり婚約者との関係を尋ねるのは、どう考えても不自然だ。
「どうかしましたか?」
「いや……慣れない場所で大変ではないかと思って」
「ああ……それはもう」
オリバーは困ったように笑った。
「僕は静かに荷物でも運んでいればいいと思っていたんですけど、気づいたら会議にも連れていかれていました」
「ヴィクトル殿に?」
「はい。何でも『聞いておいた方が早い』らしくて」
少し不満そうに言う様子を見ていると、初対面を装っている今でも、やはり知っているオリバーなのだと妙に安心する。
「……大変だな」
「本当に」
二人で顔を見合わせて笑うと、それだけで妙に気持ちが軽くなる。
オリビアとの関係が気になるから距離を置いた方がいいと考えていたはずなのに、実際に話してみれば、やはり楽しい。
「でも、ウィルモア様もこのまま現地まで?」
「ああ。俺も後方で調整を担当する」
今後、こうした案件に関わる立場になる以上、現場を知っておいた方がいいという父の判断もあって、今回は俺も同行することになっていた。
「そうなんですね。では、現地でもお会いするかもしれませんね」
「そうだな」
オリバーが少し嬉しそうに笑ったように見え、それだけで俺まで嬉しくなる。
(……俺は何を喜んでいるんだ)
我ながら、よく分からない。
前方から名前を呼ばれ、俺は「今行きます」と返してから、もう一度オリバーへ向き直った。
「では、また」
「はい。また」
そう言って別れたばかりなのに、もう次に話せる機会を楽しみにしている自分がいた。
(……友人だからだ)
今は、そういうことにしておこう。
◇
目的地へ着いた頃には、昼を少し回っていた。
魔物が目撃されているのは、王都からそう遠くない森の周辺だった。
今回確認されているのは小型から中型の魔物が中心で、単体なら数人の騎士で対処できる程度らしい。ただ、ここ最近は目撃数そのものが増えており、その原因を探ることも今回の任務に含まれている。
前線へ向かう騎士たちが森へ入っていく一方、俺たち後方組は街道沿いに簡易の拠点を整えていった。
補給物資を降ろし、負傷者が出た場合に備えて場所を確保し、伝令が行き来する経路を確認する。
俺も到着早々、報告を受けながら人員配置の確認に追われた。
「東側の班から連絡です。予定より魔物の数が多いと」
「種類は?」
「灰牙狼が中心です。ただ、森の奥には別種がいる可能性もあるそうです」
「増援は必要ですか?」
「現時点では不要とのことです」
「分かりました。補給班には知らせてください。予定より長引く可能性があります」
「はい」
報告を受け、地図へ印をつける。
負傷者が出たと聞けば医療班へ連絡し、物資の減りが早ければ次の補給を調整する。
剣を振るう騎士たちほど目立つ仕事ではないけれど、一つ判断を誤れば前線へ影響が出る。父の仕事を手伝うようになってから、こうした調整にも少しずつ関わるようになった。
「ウィルモア様、こちらの確認をお願いします」
「ああ」
差し出された一覧を受け取りながら、ふと周囲へ目を向ける。
少し離れたところで、オリバーが荷物を運んでいた。
先ほどまで書類を扱っていたと思えば、今度は医療班へ水を届けている。
細身の身体の割に動きは軽く、荷物を抱えても危なげがない。
以前、エリーに扮した俺を助けてくれたときにも感じたが、オリバーは身体の使い方にかなり慣れているらしい。
ヴィクトル殿の親戚なら、幼い頃から多少は剣を教わっていても不思議ではない。
そんなことを考えていると、オリバーがこちらを向いた。
目が合ったので軽く会釈をすると、少し驚いたあと、柔らかく笑って会釈を返してくる。
(……可愛い)
反射的にそう思い、わずかに戸惑った。
以前からオリバーの笑った顔を可愛いと思うことはあった。オリビアと親戚だと分かった今なら、似た雰囲気に惹かれているだけだと説明することもできる。
そう自分へ言い聞かせようとした、そのときだった。
「ウィルモア様!」
鋭い声に思考を断ち切られて顔を上げると、森の方から一人の伝令がこちらへ駆けてくるところだった。
「東側から魔物が数体、包囲を抜けました!」
「こちらへ?」
「はい! 街道側へ向かっています!」
周囲の空気が、一瞬で張り詰める。
「後方の非戦闘員を荷車の裏へ。医療班も下げてください」
「はい!」
「護衛は?」
「三名が向かっています!」
「足りなければ西側から二名回してください。負傷者の搬送経路だけは塞がないように!」
指示を出しながら、俺も腰の剣へ手をかける。
父から最低限は身につけておけと言われ、護身程度なら剣も扱える。ただし、もちろん本職の騎士と比べられるような腕ではない。
森の方から唸り声が聞こえた直後、木々の間から灰色の影が飛び出してきた。
「三体!」
騎士たちが前へ出て二体を抑えたものの、残る一体が横をすり抜ける。
その先には、薬箱を抱えた医療班の若い男がいた。
「下がれ!」
俺は考えるより先に男の腕を引いて後ろへ押しやり、同時に剣を抜いた。
迫ってきた牙を受け止めた瞬間、腕に重い衝撃が走る。
どうにか押し返したものの、灰牙狼はすぐに体勢を整え、横へ回り込もうとする。
避けること自体はできる。
しかし、後ろには先ほどの男がいる。俺が退けば、そちらへ向かうかもしれない。
剣を構え直した、その瞬間だった。
一陣の風のように黒い影が視界へ飛び込み、鋭い金属音とともに灰牙狼の爪が弾かれた。
そのまま流れるように身体をひねり、灰牙狼の勢いを正面から受け止めることなく、剣の角度を変えて横へと受け流した。
周囲の騎士たちが鍛えた身体で攻撃を受け止め、力で押し返していくのとは明らかに違う。
オリバーの動きにはほとんど力任せなところがなく、相手の勢いすら利用するように身をかわすと、崩れた体勢のわずかな隙へ迷いなく剣を滑り込ませた。
その一連の動きは驚くほど無駄がなく、戦っているというのに、どこか目を奪われるほど鮮やかだった。
灰牙狼が地面へ転がり、立ち上がるより早く、駆けつけた騎士がとどめを刺した。
「大丈夫ですか!?」
俺の前に立っていた青年が勢いよく振り返ると、若草色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめた。
「……オリバー」
いつもの柔らかな笑顔ではない。
真剣な眼差しに、わずかに寄せられた眉。手には近くにあった予備の剣が握られている。
「お怪我はありませんか?」
「……ない」
「本当に?」
「ああ」
答えながらも、目が離せなかった。
周囲の騎士たちと比べれば細身の身体なのに、あの剣さばきには少しの危なげもなかった。
(……格好いい)
その言葉が、ごく自然に浮かんだ。
可愛いとか、オリビアに似ているとか、そういうことではない。今、目の前にいるオリバー自身を見て、純粋に格好いいと思った。
気づけば鼓動が妙に速くなっていた。魔物に襲われた直後だからなのか、それとも別の理由なのか、自分でも分からない。
「ウィルモア様?」
呼ばれてようやく我に返る。どうやら俺は、しばらく何も考えられないまま、オリバーを見つめていたらしい。
「……助かった。ありがとう」
そう答えた声が、思っていたよりも柔らかくなった。
灰牙狼を受け止めた拍子に姿勢が崩れていたせいで、立っているオリバーを自然と少し見上げる形になる。近い距離で目が合った瞬間、なぜか頬まで少し熱くなった。
そのまま礼を言うと、今度はオリバーがぴたりと動きを止めた。
「……オリバー?」
「い、いえ。何でもありません」
そう答えながら視線を泳がせ、オリバーはわずかに顔を逸らした。頬だけでなく、耳まで少し赤くなっているように見える。
(……?)
ついさっきまで魔物を前にあれほど凛々しい顔をしていたというのに、今度は妙に落ち着きがない。
不思議に思っていると、オリバーが手にしていた剣を返そうとするように少し身を引いた。
「あ」
離れていこうとした瞬間、反射的に手を伸ばしていた。
指先が掴んだのは、オリバーの服の裾だった。
「……ウィルモア様?」
不思議そうに振り返られて、そこで初めて自分が何をしているのか気づく。
誰かの服の裾を掴んで呼び止めるなど、普段の俺ならまずしない。
(……今の、エリーのときみたいじゃないか)
そう思った途端、急に気恥ずかしくなった。
エリーでいるときなら、こうして相手の袖や裾へ手を伸ばしても、それほど意識したことはない。
けれど今は、エリック・ウィルモアの姿をしている。
慌てて手を離そうとしたものの、先ほど俺の前へ飛び込んできた姿が頭をよぎり、そのまま別の言葉が口をついた。
「君は……怪我していないのか?」
「僕ですか?」
「ああ。俺の前に飛び込んできただろう」
オリバーは少し目を見開いたあと、なぜかさらに困ったように視線を逸らした。
「だ、大丈夫です。どこも怪我していませんよ」
「……そうか。なら、よかった」
無事だと聞いて、思っていた以上にほっとした。
そこでようやく、まだ裾を掴んだままだったことを思い出し、今度こそ指を離した。
「……すまない」
「いえ……」
オリバーは何とも言えない顔でこちらを見たあと、そっと片手で口元を覆った。
「……どうした?」
「何でもありません!」
返事だけは妙に勢いがあるのに、耳はまだ赤いままだった。
エリーのときにも俺が何かすると、時折こうして固まることがある。
一瞬だけそのことが頭をよぎったものの、エリーと今の俺では見た目がまるで違うのだから、さすがに考えすぎだろう。
それよりも、先ほどの姿がまた頭から離れない。
(……格好よかった)
そう思うだけで、まだ頬に残っていた熱が引く気配はない。
さらに厄介なことに、そこから別の考えまで連想してしまった。
(オリビアが、こういう男を好きになるのも分かる気がする。……いや、分かってどうする)
何より困るのは、オリビアの好みとして納得したからではなく、俺自身がオリバーを格好いいと思ったことだった。
「オリバー!」
そこへ低い声が飛んできたため振り返ると、ヴィクトル殿が険しい顔でこちらへ駆けてきていた。
「お前、何してる! 前に出るなと言っただろう!」
「でも、目の前で――」
「だからって飛び出すやつがあるか!」
「すみません……」
さっきまで灰牙狼を相手にしていたとは思えないほど、オリバーが素直に縮こまる。
ヴィクトル殿は深くため息を吐きながら、頭から足元まで確認するように見た。
「怪我は?」
「ありません」
「本当に?」
「さっきウィルモア様にも同じこと聞きました」
「お前が聞く側になるな」
「はい……」
思わず笑いそうになった。
先ほどまで灰牙狼を相手にあれほど凛々しく立ち回っていたのに、ヴィクトル殿に叱られる姿はどこか年相応で、その落差が少し可笑しい。
「ヴィクトル殿。オリバーに助けてもらいました。俺を庇って前へ出たんです」
「……そうか」
ヴィクトル殿は一度俺を見て、それからまたオリバーへ視線を戻した。
「だからって、お前が飛び出していい理由にはならん」
「分かってます」
「分かってない顔だな」
「分かってますって」
少し不満そうにヴィクトル殿を見上げるオリバーの様子からも、二人がかなり気安い間柄なのだと分かる。
親戚なのだから当然なのかもしれないが、その距離の近さを見ると、やはりオリビアとも以前から親しいのではないかという考えが頭をよぎった。
「ウィルモア様。本当に、どこも怪我していませんか?」
「ああ。大丈夫だ」
「よかった」
心から安心したように笑われ、また胸が跳ねる。
今度は、魔物に襲われた直後だからという言い訳が少し苦しくなってきた。
◇
その後は大きな混乱もなく討伐が進み、夕方になる前には周辺の安全が確認された。
前線へ出ていた騎士たちが順次戻ってくる頃には張り詰めていた空気も緩み、あちこちから安堵した声や笑い声が聞こえ始める。
俺は報告をまとめながら、何度か無意識にオリバーの姿を探していた。
本人は先ほどのことなど大したことではなかったように、また補給の仕事へ戻っている。
それでも俺の頭には、剣を手に俺の前へ飛び込んできた姿が焼きついていた。
男を格好いいと思うこと自体は、別におかしなことではない。騎士たちの戦いを見て、そう感じることだってある。
ただ、先ほどオリバーへ抱いた感情は、それだけでは片づけられない気がした。オリビアに似ているからでも、友人だからでもなく、間違いなくオリバー自身へ向けたものだった。
(……考えるのはやめよう)
今ここで答えを出せる気がしない。
そう思って報告書へ視線を戻そうとしたところで、少し離れた場所から賑やかな声が聞こえてきた。
「オリバー! お前、すごかったな!」
「え?」
「さっき見たぞ。あの飛び込み方!」
若い騎士の一人が、オリバーの肩へ勢いよく腕を回した。
「ちょっ……」
「本当に補助か? うちに入れよ!」
「いや、僕は――」
困ったように笑うオリバーを見て、なぜか最初に浮かんだのは、
(……近いな)
ということだった。
男同士なのだから、あれくらい普通だろう。騎士たちは普段から肩を叩き合ったり、腕を回したりしている。
頭ではそう分かっているのに、オリバーの肩に回された腕が妙に気に障った。
自分でも理由が分からず戸惑っているうちに、今度はヴィクトル殿が現れた。
「おい。何してる」
「隊長? いや、今日の活躍を――」
ヴィクトル殿は無言でオリバーの肩に回されていた腕を掴むと、そのまま迷いなく外した。
「こいつ、疲れてるんだから絡むな」
「いや、僕は別に――」
「オリバー、お前は黙ってろ」
「はい」
あまりにも自然な動作だったせいか、周囲の騎士たちまで一瞬黙る。
並んで立つ二人を見ると、確かにどこか似ていた。
ヴィクトル殿は鍛えられた体格に精悍な顔立ちをした、いかにも騎士らしい男だ。一方のオリバーはもっと華奢で、同じ男性として見ても綺麗な顔立ちをしている。
系統は違うのに、二人並ぶと妙に収まりがいい。
「……なんか、絵になるな」
誰かがぼそりと呟いた。
(……絵になる?)
なぜか、その言葉まで引っかかった。
「隊長とオリバー?」
「顔だけ見ればな。さすが親戚というか」
「でも、距離近くないか?」
ヴィクトル殿がオリバーを連れて少し離れたところまで行くと、近くにいた騎士たちが小声で話し始める。
「隊長、オリバーにだけ過保護すぎないか?」
「親戚なんだろ?」
「でも、あそこまで?」
「かなり近い親戚なんじゃないか?」
「近いって言ってもなあ……」
しばらく二人の背中を眺めていた一人が、妙に真剣な顔になった。
「……内縁の妻、ならぬ内縁の親戚?」
「何だよ、内縁の親戚って」
「いや、何となく」
「何となくで親戚を内縁にするな」
思わず吹き出しかけた。
さすがに意味が分からない。
「でも隊長、婚約者いるだろ?」
「ああ。だが侯爵家同士で決まった政略婚約だったはず」
「……政略?」
「おい、そこで妙な顔するなよ」
「いや、だって……」
数人の視線が、またヴィクトル殿とオリバーへ向く。
「まさか……?」
「やめろ。隊長に聞かれたら殺されるぞ」
「でも、あの過保護さだぞ?」
「だから親戚なんだろ」
「内縁の親戚?」
「それ気に入っただけだろ」
くだらない会話だ。
ヴィクトル殿には婚約者がいるし、政略的に決まった縁ではあっても、不仲だという話を聞いたことはない。騎士たちの憶測など完全な冗談だと分かっている。
それなのに、二人が並んでいる姿を見ると、妙にその距離の近さが気にかかった。
そんなことまで気にしている自分にも、少し戸惑う。
そんな中、それまで黙っていた別の若い騎士が、心底困ったような声を上げた。
「……それ、本当なら俺困るんだけど」
「何が?」
「俺、普通にオリバー狙ってた」
一瞬、周囲が静まり返る。
「お前は黙ってろ」
「いや、大事だろ」
「いつからだよ」
「今日」
「早いわ」
周囲に笑い声が起こる。
今日会ったばかりの相手を気に入ったという、ただそれだけの軽口なのだから、俺も笑って聞き流せばいいはずだった。
なのに、「狙っていた」という言葉だけが妙に引っかかる。
(……狙っていた?)
胸の奥に、説明のつかない小さな不快感が残った。
ヴィクトル殿との距離の近さも、今の騎士の言葉も、なぜかどちらも面白くない。
友人だから気になるだけだと、理由ならいくらでもつけられる。それでも、胸の奥に残ったものは綺麗には消えてくれなかった。
少し離れたところで、ヴィクトル殿に何か言われたオリバーが、不貞腐れたように唇を尖らせている。
けれど、その頬はほんのり赤い。
するとヴィクトル殿は、そんなオリバーの様子を見て何か言ったあと、ごく自然な仕草でその頭をぽんぽんと二度軽く叩いた。
オリバーはますます不満そうな顔をしたものの、振り払うこともしない。
(……随分、親しいんだな)
エリーとして何度も会ってきた俺でも、あんな表情は見たことがない。どうやらヴィクトル殿の前では、普段よりずっと年下らしい顔をするらしい。
それだけ気を許している相手なのだろうと思うと、なぜか少し面白くなかった。
(……いや、オリバーには婚約者もいるんだ。ヴィクトル殿だけが特別というわけでもないだろう)
そう考えると、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。
(……いや、何で俺は安心してるんだ)
自分でもよく分からないまま、もう一度オリバーへ目を向ける。すると、その顔を見た途端、また話したいと思った。
オリビアと面識があるのかは知りたい。もし以前から親しいのなら、あまり近づかない方がいいのかもしれない。
それなのに、本人を見れば話したくなるし、他の誰かが近づけば面白くない。
今日までは、友人として好ましく思っているだけなのだと考えていた。
けれど、剣を手にしたオリバーを見た瞬間から、それだけでは少し説明しきれない何かが増えてしまった気がする。
自分でも、まだそれが何なのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、今日一日でオリバーという人間が、昨日までよりさらに気になる存在になってしまったということだった。




